風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 「マーラー10番」 @東京芸術劇場(2月23日)

2024-03-19 17:18:16 | クラシック音楽



【マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)】
マーラー10番を聴くのは初めて。
「補筆版」ってどうなのだろうという気持ちがあってあまり食指が動かなかったのだけれど、”インバル都響のマーラー”は都響名物のように言われているので一度聴いてみたくて。
そして予習でyoutubeで数年前の同コンビの演奏を聴いてみたら、、、なんて良い曲。聴かず嫌いはいかんですね。

今日の演奏は、マーラー特有の諧謔味や可愛らしい音やしっとりとした美しさとかはあまり感じられなかったけれど、それを補って余りある重く濃く暗く、そして開放感のある音。高音の突き抜け感。改めてインバルは都響に良い音を出させますねぇ。。。
特にヴィオラとチェロの美しさが印象的でした。
全体的には速めで推進力があって、もう少しゆっくりひたらせて〜と感じることもあったのに、最後の長い長い一音の深みと静けさにやられた。。。。
あの終楽章、それまでの楽章で描かれたマーラーの葛藤や苦悩やアルマへの様々な感情(全てひっくるめての愛情)を最後に彼が音楽の世界の中で静かに美しく昇華させたような、そんな感覚を覚えながら聴いていました。

カテコのインバルも、とても満足そうだった
この日はヴィオラの店村さんの最後の日で、終演後に花束とご趣味の釣り竿が送られていました。今日のヴィオラの音、本当に素晴らしかった。真ん前の席(今日も最前列笑)で堪能させていただきました。

インバルの次回の来日は、6月の都響1000回公演のブルックナー9番とのこと。
お元気で来日してください!今回のご様子だと全く心配はいらなそうですけれど

※参考:グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第10番 補筆5楽章版(千葉フィル)


インバルが語るマーラー10番(クック版) Inbal on Mahler's 10th-Cooke Version

【マーラーが遺した最後の言葉 最もマーラーらしく 最上の「クック版」】

 作曲家が遺した未完の作品が、常に完成されるべきものとは限りません。けれどもマーラーの交響曲第10番には、大いにその価値があります。なぜならそれはマーラーが書いた交響曲という自叙伝の続きであり、彼の人生と願望、世界観についての長編小説の続きだからです。
 マーラーは何回も「別れ」(Abschied)を告げています。《大地の歌》では「永遠に、永遠に」と。第9交響曲で彼は人生に別れを告げ、死を受け入れます。そして第10番は、まるで死後の世界で書かれたような、非常に不思議な強い印象を受けます。死後に彼が復活し、人生や死について回想しているかのような。
 楽譜には、彼の妻に宛てたたくさんの書き込みがあり、妻への愛を表しています。2人の生活は大きな問題を抱えていたのですが、マーラーは音楽の中で愛が完全に成就するようにしたのです。最終楽章は、彼が人生に求め、得られなかったすべてのものへの熱望で、心が張り裂けるようです。
 完成されていたら、これは非常に偉大な交響曲だったでしょう。肝心なのは、彼がすべての小節を書き、全曲を通して欠落はなかったということです。作品の半分はオーケストレーションまで完成し、残りも四段譜に各声部が書かれていましたが、いくつかの箇所はハーモニーを完成させる必要がありました。
 シェーンベルクやベルクなどの作曲家は交響曲を完成させる勇気がありませんでした。デリック・クックだけがまるでマーラーが乗り移ったかのように取り組み、何年もかかって演奏可能な状態にまで仕上げました。
 私がロンドンのBBC交響楽団で演奏した際、クックがリハーサルに立ち会い、いくつかの箇所で代替のオーケストレーションを話し合いましたが、彼はその後改訂版(第3稿第1版)を出版しました。彼の死後、助手が小さな修正を加えた新しい版(第3稿第2版)も出ましたが、私はいくつか同意できない変更点は前の版に戻しています。それが最も満足できる、マーラーの精神に忠実なものだと思うからです。
 クックの作業は、すべてマーラーのスケッチに基づいています。その後、他の研究者などによる別の完成版も作られましたが、私はクック版が最もマーラーらしく、信頼できる、最上のヴァージョンだと考えています。
 この演奏をお聴きいただくことは非常に重要なことで、これによって彼の全交響曲シリーズが完結するのです。ちょうどマーラー最後の言葉のように。
(エリアフ・インバル)

曲目解説(都響)『月刊都響』2014年7・8月号の原稿を改訂)








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ファビオ・ビオンディ バッハ無伴奏全曲 @神奈川県立音楽堂(2月17日)

2024-03-19 16:55:20 | クラシック音楽



≪第1部≫ 14:00開演
 ソナタ 第1番
 パルティータ 第1番
 ソナタ 第2番
 ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005 3. ラルゴ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 4. プレスト(アンコール)
 
≪第2部≫ 18:00開演
 パルティータ 第2番
**休憩**
 ソナタ 第3番
 パルティータ 第3番
 ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003 3. アンダンテ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 1. アダージョ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 4. プレスト(アンコール)


一か月以内に感想を書こうと思っていたのに、それも守れなくなってしまった。短くサラッと書けばいいだけなのにね。。

疲れた心がバッハの無伴奏を求めていたので、直前に一日券を半額で譲っていただいて行ってきました。地元なので気楽。
ビオンディを聴くのは初めて。
事前にyoutubeで聴いた彼の無伴奏はあまり好みとはいえなかったのだけれど、生で聴くと、人間らしい体温をもった演奏が心地よく感じられました。

これまで聴いたバッハの無伴奏はファウストとカヴァコスで、どちらも大曲シャコンヌを最後に持つパルティータ2番をプログラムの最後に持ってきていたのだけれど、今回はソナタとパルティータが交互に1→2→3番と演奏されました。

当初の予定では第一部のパルティータ1番とソナタ2番の間に休憩が入るはずだったのだけれど、、、普通にソナタ2番が始まった笑。
でもこれで正解!ソナタ1番→パルティータ1番と順に良くなっていって、やはりビオンディのようなタイプはパルティータの方が合ってるのかな?と思いかけたところで、ソナタ2番の冒頭から飛躍的に音が変わったから
私の大好きなソナタ2番のアンダンテ、彼の録音よりも今日の演奏の方が自然な軽やかさと優しさと深みが感じられて良かった。

休憩がなくなったので第一部が1時間で終わっちゃったので、第二部開始の18時まで桜木町駅のスープストックで時間を潰し、再び第二部へ。
先ほども書いたけれど、パルティータ2番が第二部の最初(全曲演奏会の真ん中)に演奏されたのが新鮮でした。
この曲順だと、短調→短調→短調→短調→長調→長調となるんですよね
ビオンディのシャコンヌの演奏を聴きながら、「人生に対する熱量が足りない自分」というものを改めて思ってしまいました。
最近気になってるんですよね。前から思ってはいたけれど、最近特にそれが気になる。もう少し自分の人生に対して熱量を持つべきなのでは、と。
谷川さんが似たようなことを数年前の対談会で仰っていたなぁ。コロナ前だったので90歳直前くらいのご年齢の頃だったか。


【盛会のうちに全曲演奏終了しました!】

ファビオ・ビオンディ バッハ「無伴奏」全曲
2/17 第1部+第2部 終了しました!
第1部では予定していた休憩がなくなってしまうというハプニングもありましたが、多くのお客様の熱い拍手とブラボーのお声をいただき、無事、全曲演奏を終えることができました。
各公演後のサイン会では長い列ができ、たくさんのお客様がひとりひとりビオンディ氏とあたたかい交流をされていました。
終演後、ビオンディ氏は改めて、J.S.バッハ「無伴奏ソナタとパルティータ」一挙演奏という取り組みに真剣に参加し、支えてくださったお客様の知性と素晴らしさへの感動を口にしていました。
第2部のアンコール最後の曲では「このホールに捧げる。輝かしい未来があるように」とのコメントがありました。
お客様も含めてこの日集ってくださったすべての人へのメッセージだと思います。
ご来場くださったすべての皆様に心より感謝申し上げます。

<おまけ:終演後のマエストロ・ビオンディ語録より>
…リピートと装飾については、今回のツアーでは毎回変えていました。
だから演奏時間はCDとは違っていたと思います。
大阪・いずみホールとも違っていたはずです。
お客様が入った生演奏で、全てのリピートを弾くのは現実的とはいえません。
装飾についても、アンコールで弾いた曲の装飾が、本編と違うことに、お客様は気づかれたと思います。
そうです。私は即興演奏しているのです。
バッハの装飾には、フレンチスタイル、イタリアンスタイル、そしてジャーマンスタイル等色々なものがある。
それらを組み合わせて弾いているのです。
即興的にどのスタイルをどこで採用するかの判断をできる様になるのはとても大変です。
それにはとてもとても長い練習しかありません。
そして何より大事なのは、どこまで許されるのか、という「限界」の感覚です。
どんなに即興的でも、音楽はあくまでバッハの音楽を逸脱してはいけないのです。

特設サイト@神奈川県立音楽堂)

ファビオ・ビオンディ メッセージ

Sonata No. 2 in A Minor, BWV 1003: No. 3, Andante

Partita No. 2 in D Minor, BWV 1004: No. 5, Ciaccona

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