風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

本年も大変お世話になりました。

2022-12-28 20:05:59 | クラシック音楽

András Schiff - Sonata No.32 in C minor, Op.111 - Beethoven Lecture-Recitals

先日クラシック音楽ファンの方と、「無人島に一曲だけ持っていくなら?」という例え話について話していたのですが。
その方はブルックナーをあげ、私はベートーヴェンのピアノソナタ32番をあげました。
その方は「そんな曲を持っていったら、もう死んじゃってもいいやという気持ちになってしまわないか?」と。
実はわたし、この例え話って、無人島に行って、いずれそのままそこで最期を迎える(戻れる可能性は99%ない)ことが前提の話なのかと思っていたのです。
でも普通の人は、無人島での孤独をなんとか耐え抜いて、いつか皆のいる場所に生きて戻ることを目的としているのだろうか。
おそらくそれが普通の感覚なのだろうな、私の感覚は普通ではないのだろうな、と気づきました。そうかあ。そうだよなあ。
とはいえ私も現実に本当に無人島に行かねばならなくなったら、人の声が入った歌を持っていくような気もしますが(やっぱりみゆきさんかなあ)。

そんなわけで、ベートーヴェンのピアノソナタ32番。
冒頭に載せた動画はシフによる同曲のレクチャーですが、33:30あたりの高音トリルからふっと緊張が解けて此岸に戻る流れが、私がこの曲の中で最も好きな部分です。シフが"the grounds and the heavens(地上と天上)"と言っているまさにそのとおりの感覚を、私もそこに感じます。
シフはこの最も遠く離れた2つの世界について「this is I think the Beethoven's question where is our place as human beings between those two levels.(ベートーヴェンはここで、我々人間の居場所はこの2つの世界のどちらなのか?と問いかけているのだと思う)」と。続いて、「how does he come back from that faraway land to home.(どのように彼はそんな遥か遠くの場所からhomeに戻ってくるのか)」と。
シフはこの曲を聴く度に、弾く度に、gratitude(感謝)forgiving(許し)の感覚を覚える、と言っています。そしてそれは、他の誰よりも苦難の人生を歩んだベートーヴェンの「いま生きて、このような音楽を書けることへの深い、聖なる宗教的なまでの神への感謝」であると。

32番は「此岸と彼岸」に喩えられることが多い曲だけれど、シフの解釈では、最後に”彼”は此岸のhomeに戻ってきているのですよね。また、シフもそういう演奏をしている。私はシフのこの前向きな演奏がとてもとても好きなのです。
一方でまた、私がこの32番という曲から感じるのは、一度彼岸から此岸に戻り、自分の人生の全てをgratitude(感謝)とforgiving(許し)の中で肯定し、最後にはより遠い本当の彼岸へ旅立っている、そういう感覚です。つまりこの曲のラストのhomeは、此岸だけでなく彼岸のその場所も意味しているように感じられるのです。個人的に、バレンボイムやポリーニの演奏では彼岸を感じます。
これはゴルトベルク変奏曲から受ける感覚と同じで、あの曲も最後に始まりの場所に戻って、静かに円環が閉じられますよね。あの最後のアリアは、私にとっては此岸のhomeよりもむしろ彼岸のhomeという感覚の方が強いのです。誰もが最後は還るべき場所に還れる安心感のようなものを、ゴルトベルクも、この32番も、感じさせてくれます。

トーマス・マンは小説『ファウストゥス博士』の中で、32番の第二楽章を「戻ることのない終わり」と表現しているそうです。
トーマス・マン、、、。
グールドが漱石の『草枕』と並んで愛読書としていたのが、マンの『魔の山』。
漱石とグールドについてこのブログに書いたのは、2018年の年末のご挨拶のときでした。あれから4年。何かというと私の前に現れるトーマス・マン、、、。
いい加減に腹を括ってこの年末年始に読んでみよう、と図書館で借りてきました。『魔の山』と『ファウストゥス博士』。
が、いきなり長編はハードルが高すぎる…と感じ、まずは中編『ヴェニスに死す』を読み始めてみたところ、翻訳の日本語がとんでもなく読みにくい(新潮文庫版)。最初から挫折しそうになったけど、ようやくストーリーが進んで面白くなってきたので(主人公がヴェニスで美少年と出会ったところ)、読み続けられそうです。なお有名なヴィスコンティの映画は未見です。

以前もご紹介しましたが、グールドによる『草枕』のラジオ朗読はもっっっのすごくいいので、ご興味のある方は聴いてみてね。youtubeで聴けます。朗読に先立って、グールドはこんな風に解説しています。
「『草枕』が書かれたのは日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマス・マンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」

軽く年末のご挨拶を、と思っていたのに、結局いつものように長くなってしまった
皆さま、本年も当ブログにお越しくださり、本当にありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください

※追記
ベルリン発 〓 バレンボイムが一時的に現場復帰」(月刊音楽祭)
バレンさん、神経系の重い病気だともうピアノを弾くことは難しいのだろうか…。昨年、あんなに素晴らしい32番を弾いてくださったばかりなのに…。
今年の大晦日と元旦の2日間だけ指揮台に復帰し、シュターツカペレベルリンの第九を指揮されるそうです。
どうかバレンさんの病気が快癒しますように。
以下は、昨年の来日前のインタビューでの、ベートーヴェンの最後の3つのソナタについてのバレンさんの言葉です。

私たちは内面と外面、両方の世界で音楽と結びついています。3曲は(番号としての)最後だけにとどまらず、文字通りのファイナル、一つの役割を終えて到達した満足感とともに奏でる作品です。日本の聴衆の皆さんも、そのような感覚に浸り、じっくりと耳を傾けていただければと思います。
discovermusic.jp

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