風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 @歌舞伎座(6月11、19日)

2022-06-24 03:27:22 | 歌舞伎

©松竹


人間はみんな、「本当だよ」と言いながら「嘘だ」とも言えちゃうんです。ただ人間はここに生きていて雨に濡れちゃうのね、と言っている中に、人間模様が煌めく入っているところが、この作品の凄さだと思います。…
ふるあめりかに袖がぬれてない人って、いつどこにいるのかしらね。

(坂東玉三郎 『週刊文春WOMAN vol.14』)

玉三郎さんのお役の中で5本の指に入るくらい好きな『ふるあめりか~』のお園!
シネマ歌舞伎でしか観たことがなかったので、今回観ることができて本当に嬉しい(もちろん仁左衛門さんとの『与話情浮名横櫛』が中止になったのは残念だけれど…)。歌舞伎座で上演されるのは、2007年以来だそうです。
11日と19日の2回行きました。
それぞれ演じ方が違っていたけれど、どちらも本当に感動してしまった。。。。。

生で観て実感できたことの一つは、照明効果の美しさ。
一切の照明が落とされた暗闇の中で、お芝居は始まる。
舞台上に見えるのは、窓の隙間から漏れる微かな光のみ。そこは岩亀楼の遊女亀遊(雪之丞さん)が病に伏している行燈部屋で、女中や下男達が次々と出入りするけれど、すぐに出て行ってしまう。そこに芸者のお園(玉三郎さん)が登場して窓をさっと開けると、ぱぁっと一瞬で太陽の光が差し込んで部屋が昼間の明るさに変わる。
「ここから見ると港は本当にいい眺めですよ。海っていうのはいいわねえ、私は大好きだ」と晴れ晴れとした声で亀遊に話しかけるお園。
外国の船々が停泊する幕末の横浜の港の風景が見えるようで、大好きな場面です。
廓が次第に夜へと移り変わっていく様も、とても美しかった。
あと、最終幕の雨(本水使用でしたよね?)の効果も素晴らしかったなあ。あの本降りの雨音が、終盤の物語と重なって胸に迫る…。

今回観て改めて、本当によく出来た作品だなあと感じました。
私達が生きるこの世界は、今も昔も虚構だらけ。
それぞれが身勝手に虚構を作り上げ、虚構を利用し、利用され、何が嘘で何が本当か誰にもわからなくなってしまうような空騒ぎの中で、人々は生きている。
それは攘夷志士達も、岩亀楼の主人も、藤吉も、そしてお園も同じ。
話の舞台である廓という場所自体が、虚構の世界そのものといえる。
この作品の独特さは、そんな虚構を否定しないところ。肯定も否定もしない。
虚実入り混じったこの世界の中で、降る雨にびしょ濡れになりながら生きているのがこの世界の殆どの人達で。そういう人々の人間模様を、この作品はただ描いている。
お園もまた虚構の世界にどっぷり漬かっていながら、同時に、その中で本当に大切なものは何か、変わらないものは何なのかをちゃんと見抜いている女性。淋しくって、悲しくって、心細くって、ひとりで死んでしまった遊女亀遊。その真実を心にしっかりと秘めながら、お園は明日もお座敷に出て「横浜は、ここ岩亀楼」と虚構をうたい、生きていくのでしょう。玉さま曰く、お園は「世の怒涛にどんなに踏みにじられても起きあがり、たとえ戦車のキャタピラに轢かれても、それでも立直っていく女だろうと感じます」とのこと(中公文庫)。

 そして、嘘と本当がないまぜになっているお園の本音が、最後に浮き彫りになって見えてくるのです。終幕では、時が過ぎて、開国も攘夷も意味が無くなっているのです。攘夷党の動きさえも、世の中の流れからすれば、大きな空騒ぎにすぎなかったということなのでしょう。かつて亀遊を「攘夷女郎」とまつりあげた当の攘夷派の連中によって、皮肉にも亀遊の伝説は暴かれてしまいます。
 国を左右するような人たちの生き方でさえ、廓の空騒ぎと変わらないじゃないか――と、ひとりお園は悲嘆にくれます。芸者で、飲んべえで、空騒ぎの人生そのものを送ってきたお園ですが、実はこのような真実を見つめていたのです。落ちぶれてはいるけれども、彼女は本当の心を持っていて真実を見抜くことができた、ということなのでしょう。この真実は、人間の本音とも言い換えられると思います。彼女は決して迫り来る将来を見据えたりは出来なかったでしょう。しかし、今、目の前に繰り広げられている光景の中で、しっかりと真実を受け止めているのです。戯曲の中で、お園が真実を見抜く目を持っていたということは、有吉佐和子先生ご自身の、真実を見抜く目の鋭さを伝えているように思えてなりません。
(坂東玉三郎 中公文庫『ふるあめりか~』特別寄稿)

配役について。
玉三郎さんのお園は、もう鉄板。
大大大好き。あの台詞回しと作り上げる空気の見事さと言ったら!
そしてラスト、攘夷志士達が去って、部屋に一人残ったお園。ここの玉さまは圧巻の一言。秘めていた胸の内を全て吐き出し、
「それにしても、よく降る雨だねえ。」
この静かな余韻が残る幕切れも、素晴らしいよね。。。。。
ああ、玉さま

今回は新派からの出演が多数だったせいか、物語がリアルに迫って感じられて、とてもよかった。
イルウス(桂佑輔さん)も小山(田口守さん)も、みんな上手い~。
雪之丞さんの亀遊は、最初に見た11日は「17歳の役にしては貫禄ありすぎ?」と感じたけれど、二回目に観た19日にはちゃんと可愛らしく儚げに見えて、藤吉(福之助)とお似合いのカップルでした。
緑郎さんの岡田も、11日には声が掠れていて心配したけど、19日には声にも張りが出ていて、存在感のある演技を見せてくださいました。この役、合ってる。格好いい♪
雪之丞さん&緑郎さんを再び歌舞伎座で見られて、嬉しかったな でも下記の対談を読むと、澤瀉屋→新派への移籍には色々な事情があったようだな…とも感じた。

雪之丞 新派に移籍した私たちが歌舞伎座に出ることは死ぬまでないと思っておりました。いま一番にあるのは、嬉しさと有り難いという気持ちです。若旦那(玉三郎さん)はさらっとおっしゃるけど、誰かに「うん」と言わせるっていうことの大変さがなかったはずがありません。

緑郎 私たちはそれを忘れちゃいけないですよね。

雪之丞 しかも今回は本当にほとんどの新派の俳優さん、女優さんを呼んでいただいてるんです。

玉三郎 私は澤瀉屋さんの具合が悪くなった後、この二人がどうやって生きていくのかしらと、とても気がかりだったんです。新派に移籍したのも私は客観的に見てきたので、二人のためにも歌舞伎、新派という枠を外していけたらと思うんです。

緑郎 昔、若旦那が「役者は地獄を見なきゃダメだよ」という言葉をくださいました。新派に移籍をして二年ぐらい経ってからですかね、ある日、ふっとその言葉が出てきて。やはり、僕と雪之丞ではまだまだ思っているものができないので。

玉三郎 わかります。

緑郎 そういうものが毎日毎日枷になって苦しくて、でもこれ乗り越えないとな、これがたぶん若旦那が仰った地獄、僕にとっての地獄なのかな、というのは常に考えていました。

(『週刊文春WOMAN vol.14』)

そしてそして、鴈治郎さんの岩亀楼主人
商売人の強かさと人間的な温かみのバランスが、素晴らしかった。嘘をつくのもただ金儲けだけが理由なのではなく(それがメインだが)、お客様が喜んでくださることをするのが商売だというような気持ちも感じられるところが良かったな。
玉三郎さんとの掛け合いは絶品!
鴈治郎さんの今までのお役の中で一番好きかも(と言われて鴈治郎さんが嬉しいかどうかはわからないが…)。

大好きなお芝居をこんな素晴らしい配役で観ることができて、本当に幸せでした
玉三郎さんは今回、この作品と『日本橋』のどちらを上演するかで迷われたとのこと。玉さまの『日本橋』…!
「雛の節句のあくる晩、春で、朧で、御縁日、同じ栄螺と蛤を放して、巡査の帳面に、名を並べて、女房と名告つて、一所に詣る西海岸の、お地蔵様が縁結び。……これで出来なきゃ、日本は暗夜だわ」
これを言う玉さまを生で観たい&聞きたい…!玉さま、どうかどうか近いうちに『日本橋』の方もお願いします…!!!歌舞伎でも新派でも、どちらへでも馳せ参じます!

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作品全体の印象について―――
 日本の根本的なところが、本当にある意味シニカルに描かれていて、日本の伝説というものは、ほとんどこういう風に出来上がったのではないかと思ってしまいます(笑)。本当に、近代の名作です。

 男達はみんな外に出て行くけれど、女達は廓から出ることが出来ず、外から来るものをどうやって受け入れていくか葛藤します。お園が水平線を眺めて想いをめぐらすのも、外に行けない女の物語だということなんです。

 喜劇なのか悲劇なのか、わからないところで、あれだけ楽しませながら、人間の深層心理を深く描いていきます。そして、最後にお園が女性としての本心を言う・・・不条理劇のようでありながら、非常に心情に訴える、とても素晴らしい作品です。

みどころ―――
 男達は、開国するか鎖国するか、命がけで議論していたのに、結局時が過ぎればどちらでも良くなってしまう。でも、どちらでも良くなってしまう事を女の方が先に知っているんですよね。それでも女は、どんなに苦しくても本音と建前をきちんとわきまえて、廓で商売をしていきます。

 それから、女からみた男の身勝手さが、否定するのではなく手の届かないものとして描かれています。勤皇・佐幕がばかばかしいと一面的に言うのではなくて、お園は、「あの人たちだって大変なのよ」と言って否定しません。岩亀楼の主人もいるし、お客もいる。お客の気持ちもわかるけど、主人の気持ちもわかる。その中庸をとった中でやっているんですね。

 攘夷党の連中が「あのころの華やかな攘夷党の時代終わった」と言います。政治的な建前で流れていく世の中は、その時代時代で終わっていく。しかし、建前ではない本音というのは変わらない・・・それでいて、有吉先生の独特な作風として、本音は変わらないから建前を否定するとも言わずに、建前は建前でやりましょうって(笑)。

 攘夷党の連中が、お園を納得させて帰っていくところなんて、あれも建前ですよね。あの辺りが巧みに人間模様として描かれていて、それを暗い話にしないところが、やはり有吉先生が劇作家として素晴らしいところだと思います。

印象的な場面―――
 岩亀楼のような水商売の場所では、昼間は、夜の支度をしています。そして、外が暮れてくると、中に明かりがついて、夜の世界に変わっていきます。とくに、三幕では、その移り変わりの雰囲気を上手く出して、お客様がそこに居ながら廓に入っていったように感じていただければと思っています。

 外の海の風景を大事にして、日が沈んで暮れなずんでいくと、お客さんがお酒を飲みに騒ぎながら入ってくる・・・このような雰囲気もなかなか舞台では出すことができないので、とても意識しました。

 このお芝居は、初めの行燈部屋を除いて、ほとんどこの一場です。その中でシュチュエーションが変わって物語が進んでいくというのは、やはり有吉先生の筆の素晴らしいところだと思います。

歌舞伎美人 玉三郎 シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を語る


©松竹

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©松竹

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観劇前にイグジットメルサの成田新川で鰻丼。お手頃価格で美味でした

ところで、上で引用させていただいた『週刊文春WOMAN vol.14』には、アニメ『平家物語』で脚本を担当された吉田玲子さんと菊之助の対談も掲載されているのです。とても充実した内容だったので、ご興味のある方はぜひ。


※坂東玉三郎公式ページ 今月のコメント
※坂東玉三郎が語る『ふるあめりかに袖はぬらさじ』有吉佐和子が込めた人間愛~歌舞伎座『六月大歌舞伎』インタビュー(SPICE
※坂東玉三郎×喜多村緑郎×河合雪之丞が幕末の遊郭を描く 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』6月歌舞伎座取材会レポート(SPICE
※「ふるあめりかに袖はぬらさじ」坂東玉三郎、新派との合同公演に笑顔「いつでも一緒にできれば」(ステージナタリー
※「役者は地獄を見なきゃダメだよ」坂東玉三郎の言葉を喜多村緑郎、河合雪之丞がいま噛みしめる理由(文春オンライン
※操を守り自害した「攘夷女郎」は実在したか?「ふるあめりかに袖はぬらさじ」に隠された真相(warakuweb
※横浜公園水琴窟の謎から浮世絵で港崎遊郭の歴史を紐解く(はまレポ.com

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