風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

うらめしや~、冥土のみやげ展 @東京藝大美術館

2015-09-06 00:00:21 | 美術展、文学展etc



藝大祭をやっていたせいか、この絵↑が2週間オンリー公開のせいか、吐きそうな混雑であった。。。
みんな幽霊が好きなのね

「全生庵・三遊亭圓朝のコレクションを中心に」という今回の企画展。
圓朝さんというとアレですね、先々月の歌舞伎座で猿之助(シネマ歌舞伎では三津五郎さん)が演じていた方ですね。
今回湯呑煙管も展示されていたのですが、おかげでそれらを使っている圓朝さんの姿をリアルに想像することができました。
『牡丹灯籠』の速記本の前では年配のご婦人方が「ほら、この間のタマちゃんの!」。玉ちゃんて・・・可愛い・・・。
明治期の歌舞伎座の『怪異談牡丹灯籠』の番付も展示されていて、午前11時開演って今と同じだったんだなーと。尾上菊之助による新三郎が評判の公演だったそうです。

以下、雑感。


上村松園1875-1949 「焔」 (東京国立博物館蔵)
すごい人だかりだった^^; 
この女性は源氏物語の六条御息所で、松園が謡曲「葵上」に想を得て描いたものだそうです。生霊となっても品を失っていないところは、能の印象と同じでした。


月岡芳年1839-1892 「月百姿 源氏夕顔巻」 (太田記念美術館蔵)
同じく源氏物語より。恨みや怨念はなく、儚い雰囲気の夕顔の幽霊。でも夕顔って六条御息所の霊に殺されはするけど、自身は幽霊にはならないのではなかったっけ?と思ったら、能で「夕顔」「半蔀」という曲があるのですね。いつか観てみたいです。


鰭崎英朋1880-1968 「蚊帳の前の幽霊」
画像だとわかりにくいですが、実物は行灯の灯りが本当の灯りのように見えて、とっても美しかったです。
蚊帳はやっぱり幽霊の必須アイテムなのね。はっきり形が見えないところが、夜の闇の濃かった昔の人々には不気味に感じられたのかな。子供の頃はうちにもあって、私は部屋の中にもうひとつ部屋ができたみたいで、楽しくて大好きでした。母親は幽霊が出そうで嫌だって言ってましたけど。
行灯や燈籠も、やっぱり今の時代のLEDとは風情という点では天と地ですよね。
そういえば先日読んだ塩田による中勘助の談話で、日常の中の薄ぼんやりとした闇と光の美しさを教えてくれたのがハーン(小泉八雲)だったというようなことが書かれてありました。明治末期の日本は異国の人からそういうことを教えられなければならないほど既に闇が消えかかっていたのかもしれませんね。谷崎潤一郎にしてもこの時代の一部の人達の、驚くべき速さで失われゆく日本の文化や伝統美に対する愛惜の念は想像にかたくありません。なにせつい最近まで江戸、という時代ですものね。でもそういう感覚は今の時代も同じかな。玉三郎さんなどもよくこぼされていますね。


菊池容斎1788-1878 「蚊帳の前に座る幽霊」 (全生庵蔵)
こちらも幽霊と蚊帳。どんな想いを此の世に残しているのか、どこか寂しそうな幽霊。行灯の光は蛍のようにも見えました。


歌川芳延1838-1890 「海坊主」 (全生庵蔵)
こちらは幽霊というより妖怪。静かな満月と穏やかな水面が不気味で素敵でした。


月岡芳年 「豪傑奇術競」
上の夕顔と同じ画家ですが、こちらは幽霊でもお化けでもなく、“豪傑とそれぞれが妖術で使っている動物”の各コンビの絵。色彩が派手で躍動感があって、アニメみたいでカッコよかった!絵葉書があったら欲しかったな。


歌川国芳1798-1861 「源義経都を打立西國へ相渉らんとせし折から大物の沖にて難風に逢給ひしに平家の亡霊あらはれて判官主従に恨みをなす」
謡曲「船弁慶」に題をとった絵ですが、私は船弁慶を観たことがないので、義経千本桜の大物浦を思い出しながら見ました。平家の亡霊の描き方がクールだわ~。


歌川国芳 「五十三駅岡崎」
昨年の大浮世絵展で観た国芳の「日本駄右エ門猫之古事」と同じ題材ですね。てかほとんど同じ笑。
にゃんこの影が浮かび上がる行灯に、手拭いで頬かむりして踊るにゃんこ達。これ、元ネタは歌舞伎の『梅初春五十三駅』なのだそうで。調べたら2007年正月に国立劇場で菊五郎さん達が復活上演してたんですね。うわ~観たかった!しかしこういうくだらなそうな大らかな狂言って菊五郎さんがいなくなったら誰が演じられるんだろう。海老蔵あたり、やってくれないかなあ。松緑でもいいけど。
やはり同じ題材の「五十三対岡部」も展示されていました。


葛飾北斎1760-1849 「さらやしき 百物語」 (東京国立博物館)
「まったく皿一枚割ったくらいで殺されちゃあたまんないわよね~。ふぅ~」て声が聞こえてきそうなお菊さん 首が皿になってます。

この他筆者不肖の多くの絵、四谷怪談や牡丹燈篭の錦絵、赤子を抱いた姑獲鳥の絵、池田輝方の「積恋雪関扉」の絵(菊ちゃんの観たかった;;)などなど、美しく哀しく楽しい、充実した展覧会でした。
そうそう、会場内で四谷怪談の講談のビデオ(by一龍斎貞水さん)を流していて、岩の幽霊に追い詰められた伊右衛門が「首が飛んでも動いて見せるわ」と言って切腹して幕だったのですけど、講談の四谷怪談ってこういう終わり方なのかしら。歌舞伎とは違うんですね。それとも音声が聞き取りにくかったので聞き違えたかな。基本言葉だけなので寺町の描写がよりリアルに想像できて、面白かったです。

最後に、展覧会HPよりこちらをご紹介して、本日はこれぎり~


中島光村 「月に柳図」 (全生庵蔵)

 世に幽霊の正体見たり枯れ尾花、という。これは主に「幽霊なんかいない」という局面で引き合いに出される言葉なのだけれど、はたしてそうなのだろうか。
 実は枯れ尾花こそが幽霊なのだ。
 中島光村は花鳥風月をよく描く人であったらしい。この絵にも幽霊は描かれていない。幽霊画の多くが芝居の幽霊を模したようなものであるのに対し、この絵の題名は「月に柳図」、これは風景画なのである。しかし朧月(おぼろづき)と叢雲(むらくも)、そして枝垂れ柳の組み合わせに、見る者は怪しい横顔を見出(みいだ)してしまう。
 これは自然物を幽霊に「見立て」たのではない。これが幽霊の本質なのだ。人は、何もないところに何かを見てしまうものなのだ。それをどう解釈するかは見る者次第なのである。
 この図が描かれたのは明治の後年であるが、まだそうしたものに対する江戸の「粋」が残っていたのだろう。
(京極夏彦)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする