風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

生誕130年 没後50年 中勘助展 @神奈川近代文学館

2015-07-23 14:06:56 | 美術展、文学展etc



最終日(20日)に行ってきました、中勘助生誕130年没後50年の企画展。
海の日に文学館に行くワタクシ・・・

今まであまり気にしていなかったのですけど、この文学館には「特別展」と「企画展」の2種類があるそうで、企画展では図録は販売しないのだそうです 展示スペースも第二展示室のみで特別展の半分でしたが、文学展はまともに見るとほんっとーーーーに体力を使うので、今回くらいの展示量が私にはちょうどいい(それでも3時間いた。周りの顔ぶれも同じであった)。しかし泉鏡花、太宰治、谷崎潤一郎は特別展だったのに、中勘助は企画展ですか。やっぱり知名度の違いだろうか。。

以下、図録代わりの覚書。ほんの一部ですが。
今回も期待どおりの大変満足のいく展示でした。観覧料たった400円なのに素晴らしい充実度~。

銀の匙
子供の口に入るようにと探してきたものだから当然ですが、想像以上に小さくて、可愛らしかった

小倉百人一首の本(背表紙に兄金一と勘助の墨書あり)

十六むさしの盤と札

夏目漱石の書簡(明治44円4月29日、大正2年2月26日、同3月4日、同3月16日、大正3年7月13日、同10月27日、大正4年3月18日)
特に銀の匙後篇を「私は大変好きです」と言ってる手紙の現物を見られたのはよかった。

末子に贈った『提婆達多』の初版本(中表紙に「末子様 勘助」と署名あり)
勘助はいつも著作の初版本を一番最初に「初穂」と言って末子にあげていました。

『しづかな流』の装幀が思い通りに仕上がっていることを感謝する、岩波茂雄宛書簡。大正7年6月。
一見シンプルな装幀ですが、結構こだわりがあったのですね。他にも装幀や目次について細かく指示してる手紙がいくつか展示されていました。

『銀の匙』の背は丸背ではなく角背で、と依頼する岩波宛書簡。大正15年。
本の絵が描いてあって、背部分を矢印で指して「←コノトコロ」とあるのが楽しい。全集でもこれはちゃんと絵を載せてくれてるのですよ。

兄金一の釣り道具(おもり、浮子、土瓶など)
これは見られて嬉しかった。色も形も『沼のほとり』や『遺品』に書かれてあるとおり。土瓶は末子の編んだ茶色の網でちゃんと包まれていて、想像していたより遥かに小さなサイズでした(直径8cmくらい)。浮子は丁寧に削ったと勘助自身も書いているけれど、素人離れした出来。朱と黒の漆塗りも美しかった。

「尾崎君とは話したことはありませんが顔や声はよくおぼえてをります」という荻原井泉水宛書簡。昭和15年5月。
尾崎放哉って中勘助と一高&東大の同期だったのですね(学部は別)。漱石つながりでもあるのかな。放哉サンは、私が「もう人間の煩わしさから逃れて独りになりたいっ(>_<)」となったときに必ず思いとどまらせてくれる有難~い御方でございます。

森鴎外の次女小堀杏奴宛の書簡
2006年に発見された小堀杏奴宛の159通の手紙の一部(なので全集には載っておらず、『鴎外の遺産3』に収録されています)。末子と勘助より。誤解を恐れずにいえば、末子と勘助の文章はどちらも、仲のいい夫婦のそれにしか読めません(じゃれあっている)。金一が妬ましく感じたとしても無理はないというか、それで横暴に振る舞うから更にこの二人の結びつきは強いものになってしまうという悪循環だったのかなぁ・・・。ところで手紙の中で末子は杏奴の息子鴎一郎のことを「それ以上可愛くなったら、食べてしまいますよ」と書いております。だから勘助だけではないよー、とロリコン疑惑に少しだけ異議を唱えてみる。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の著作の蔵書
漱石の本は好まなかったけどハーンの本は好きだったのね。

テライケメンな金一兄さんの写真
お兄さんのお顔、初めてちゃんと拝見しました。勘助も綺麗な顔をしていますけど、若い頃の兄さん、イケメンすぎ。
岩波「図書」で菊野美恵子さんが書かれているところによりますと、彼らの親戚曰く「(倒れる前の)金一さんのおきれいだったこと、素敵だったことは勘助さんなんか問題にならない」とのこと。

・漱石がしかめっ面で、勘助はサワヤカ君で写っている一高卒業式の集合写真
こういう集合写真で見ると、本当に漱石は小柄な人だったのねぇ・・・。

塩田章の手帳
昭和14年の出会いから昭和40年に勘助が倒れる前日まで、塩田はその談話を手帳に書き留めていました。とっても小さな手帳に小さな丁寧な字で(最後の手帳は大きめでしたが)。「キリスト教にも仏教にも空の思想があるのは面白い」というものや、漱石の話題に花を咲かせ「生前あまりお話しできなかったのに、先生が亡くなってからはなつかしく思いだされます」(昭和26年8月)といったもの、そして倒れる12時間前に勘助と話した内容についても。

小堀四郎画 中末子像
静岡市蔵で、今回初公開とのこと。これも見られて嬉しかったですねぇ。これについて書かれてあるのは『蜜蜂』だったか。勘助はこの絵を生涯大切に手元に置いていたそうです。
※追記:小堀四郎宛の書簡によると、実際に完成し手渡されたのは昭和36年のようです。

末子の画帳(昭和五年十二月 末子、の日付と署名あり)
『蜜蜂』口絵の原画といわれる木賊(トクサ)の絵が描かれています。

・末子について詠んだ「雨も悲し風も悲し」「肩すそさせのこほろぎは」の詩稿(浄書)

静岡時代の日記帳数冊
15×20cmくらいのノートに小さな字でびっしり書かれてありました。

この他にも多数の書簡や草稿などが展示されてありました。



文学館


梅雨明けの猛暑でガラガラな港のみえる丘公園
三連休の最終日なのにこの空きよう^^;
つきあたりは大佛次郎記念館。


お約束のベイブリッジと麒麟のような大黒ふ頭のクレーン


アメリカ山公園の花もカラカラ


アメリカ山公園のアメリカノウゼンカズラ
こんな色のノウゼンカズラもあるんですねー。


暑いし空腹だしで、元町の手近な店でビーフシチューランチ。1120円也


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