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ワールドカップサッカー・アジア予選③

2005-01-28 | Football Asia
そして準々決勝のポルトガル戦。開始22分までに朴勝人、李東云、楊成国の連続ゴールで3得点を奪ってしまう。ポルトガルのシュートはGK(しかも素手だった)が早い動きで好セーブを続ける。観客はこの未知なる国に“ easy ! easy ! “ と声援を送る。しかし健闘もここまでであった。大会得点王のエウゼビオにPK2本を含む4連続ゴールで逆転を許し、終了間際にはアウグストにも追加点を喫し 3-5 で破れ大会を後にすることとなった。エウゼビオの4得点目の PKは微妙な判定であったがしかし、Goodison Park の観客はスタンドを去るアジアからのサッカー小国の健闘に暖かい拍手を送った。もし、対戦相手がエウゼビオの様な一人の卓越したストライカーの得点力に頼るチームでなければ、違った結果になっていたかも知れない。大会後欧州を訪問した日本人は地元の人から”貴方はNorth Koreaから来たのですか?あの大会はすごかったですね。“と声を掛けられたらしい。
この大会で北朝鮮が作った実績から FIFA は次大会からアジア、アフリカにそれぞれ出場枠を1カ国ずつ与えるようになり、この北朝鮮の快進撃は当時メキシコ五輪で銅メダルを勝ち取った日本の快挙と並んで韓国に焦燥感を与えることになる。だがこれ以降、北朝鮮サッカーは下降線を辿りだす。
自らがアジアの出場枠を確保しながら、本大会出場を果たしていない、というよりも前回の日韓大会までの9大会中、5大会もエントリーそのものをしないかった。イングランド大会直後の70年、74年、と連続してワールド杯予選を棄権している。その原因は60年代にサッカー界を支えた当時の朝鮮労働党副委員長、朴金が1968年に金日成主席と政治対立の末に粛正をされ、多くの選手、役員が粛清、野放されてしまったからであった。
イングランド大会の得点者、楊成国は8年後に平壌 4.25 チームのメンバーとして、また朴斗翼は代表監督として 1989年にそれぞれ来日をしている。しかし2得点を挙げた朴勝人は政治収容所に入れられたらしい。 アジア、アフリカ諸国のサッカー協会関係者はその収容所に足を向けて寝るのは心苦しいことなのである。  <つづく>
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