United Minds (Strikes Back)

2013年に解散した電子音楽ユニット、SpiSunのWeblog“United Minds”跡地

単なる四月日記 Vol.2 〔by ラウド〕

2010-05-19 21:50:17 | History
単なる四月日記 Vol.1 〔by ラウド〕の続き。



理知光寺跡
いつか来たことがあるような既視感のある坂道を登っていくと、そこに護良親王の墓地があった。


春の日差しに緑が映えて鮮やかこの上ない。
我々以外にここに来ていた方の話によれば、ここはきちんと宮内庁が管理しているらしい。
武家政権の中心地とはいえ、そういった事実が更なる重みを感じさせてくれる。
写真ではわかりにくいが、階段は長くとても急であった。


頂上は厳しい崖になっている。この風景があまりにも我が故郷との共通点を感じさせたので、思わず写真を撮ってしまった。一緒に馬論やyuz君がいても何の違和感もない風景である。


護良親王を手厚く葬ったのは、元々ここに存在した理智光寺の僧らしい。
理智光寺は、そもそも鎌倉三大将軍源実朝の供養の為に建てられたとも聞く。いずれにせよ、悲運の中で亡くなった重要人物を弔う役目を果たしていたという事になる。

しつこいようだが、この周辺ののどかな住宅地の風景は、我がふるさとを嫌でも思い起こさせるものだった。
これも繰り返しになるが、品の良さと歴史的な重要性、更に歴史そのものを大事にする姿勢で圧倒的に負けているのだが。
とはいえ、自分が見慣れた(ように思える)風景の中に重要な歴史が息づき無理なく同居しているこの地は、ある意味で小学生の頃から歴史の舞台に憧れてきた僕にとってはある意味で理想の場所なのかもしれない。
そんな理想の地がこうして実在するという事実に、自分の置かれた現実との間に奇妙なギャップを感じてしまう。うまく言葉で説明できないのがもどかしいが、ここで見た風景がしばらく頭の中にちらつき続け、数日はふわふわとした気分で過ごしてしまった。
鎌倉は奥が深い。


源頼朝の墓地
ひとまず、八幡宮方面に戻る事にした。


桜の下を、カップルを乗せた人力車が通る。なかなか綺麗な光景だった。


昨年の鎌倉行きの際にも訪れた場所だが、今回は昼間、かつ訪れる人も多い。随分と印象が違って見える。
人気の無い夕暮れ時に訪れた前回はさすがに畏怖を感じるほどの迫力があったが、この日は鎌倉の総大将も多くの人の訪れにご満悦のように思えた。


墓地の下にあった公園。武家政権の生みの親の名前が付けられた公園ってすごいよね。小学校時代の僕だったら、それだけで興奮して鼻血を出しそうだ。


紅葉山やぐら
ここからは、cloud9氏が以前鎌倉に来た際に見つけられなかった、北条氏の“腹切りやぐら”を目指す事にした。
この日も完全に逆方向に進んでしまうものの、日暮れ前に彼の地へ接近する事に成功。


途中の滑川沿いに色づく木々が美しかった。


しかし辿り着いた所は、やぐらはやぐらでも“紅葉山やぐら”という場所だった。
調べてみてもなかなか決定的な情報が得られないが、どうやら鎌倉幕府の持ち物だったという説が一般的らしい。
NHK大河ドラマ『北条時宗』放送を気に、現在の姿へ整備されたとも聞く。


東勝寺跡
一旦来た道を戻り、先ほどは左に曲がった道を、今度は右に進む。
いよいよ今回の旅のハイライトの地に辿り着いた。


東勝寺合戦。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の為の戦争、元弘の乱の最後の戦い。
かつてこの地にあった東勝寺に於いて、日本発の武家政権である鎌倉幕府、並びに北条執権家は終焉を迎えた。


伝承によれば、滅び行く北条家はこの地で一族郎党全員が自決したという。
『阿部一族』を思い起こさせるような壮絶な最後である。
一つの時代が多くの命と共に散っていった事を実感し、しばし黙祷。
ちょうどいいタイミングで陽が傾いてきたところで、今回の旅も終わったのだった。



個人的には、鎌倉末期~南北朝末期というのは知っているつもりで殆ど何も知らない時代であった。まさに空白地帯という感。
今回の旅は、その辺を重点的に巡ったわけだが、これは明らかに僕がプランを考えていたら思い付かない順路であったと思う。鎌倉の新たな一面を堪能させて頂いた、cloud9氏に深い感謝を。
しかし鎌倉はやはり置くが深い。まだまだ見るべき所があるようだと実感した。