conparu blog

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古代をかじる 再

2014-10-15 22:49:44 | 随想
古代をかじる その2
         
 
日本列島への民族移動が始まる前に、南方洋や大陸北方から個々に渡来し、移住した原住民がいた。蝦夷や熊襲となる元祖だろう。アジアの広範囲から人類の移動軌跡があり、足...


 「古代をかじる その2」は2013年10月13日にブログに載せたものです。
饒速日(ニギハヤヒ)と 瓊々杵(ニニギ)は同族の天孫族ですが、東征の一次隊と二次隊の違いがある。一次隊の饒速日は東征先である出雲族の入り婿となって宇摩志麻治を産み、 居ついてしまう。
本拠地の邪馬台国の命に背いた行為であるから、征伐隊の二次隊として瓊々杵が遣わされたのである。おそらく先遣隊の数倍の兵力と武器を以って出雲に乗り込んだのであろう。

出雲の銅剣の武器に対して鉄剣の武器を持った瓊々杵の勢力の前に、饒速日は帰順を余儀なくされ降参するが、出雲族を率いる長髄彦(ナガスネヒコ)は最後まで抵抗して絶滅するのである。
邪馬台国にとって大陸や朝鮮半島からの侵略に弱い、(九州の)筑紫野に居るよりももっと内陸の安全地帯を求めたかった。そのためには出雲王国の勢力圏を打破しなければならなかったのだ。

出雲王国の支配地は大和地方にも及んでいたので、後の神武(イワレヒコ)の代になって熊野地方から攻め入り征服します。大和政権の始まりです。

古事記に記された神武天皇の東征が、どのようなルートで行われたのか釈然としなかったのであるが
、出雲を征服した時点ではまだ筑紫野の何処かに本拠地があったようだ。
だからこそ瓊々杵の東征と神武の東征が重なって表されるのだろう。

大まかな足跡を掴むことで、流れとしては自然だと言えることもある。
ネット探索により、非常に参考になったブログもあります。古事記を覗いて謎の多い筋道が、自分の中では一本に纏まった感が得られた。ど素人の古代散策としてはこれでよい。

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