
天竜川を北上し、川が天竜美林に囲まれはじめたすぐその先で、大きな支流が流れ込んでくる。支流というにはあまりにもスケールの大きなこの川が、全国のカヌーイストや清流ウォッチャーに名の知れた気田川だ。
小学校の水泳の授業はアユやアマゴ、オイカワが泳ぐ近くの川だった。魚たちの習性とは不思議なもので、川に入らず、水面に人影が映るとサカナたちは一斉に姿を隠す。しかしひとたび人が川の中に潜っていくと、彼らは隠れ家から出てきてヒトと戯れるようにまた泳ぎだす。一昨年の夏、気田川でこの体験に近いことがあった。
水中メガネをかけて流れに入り、魚の姿を探してみたが、いくら泳いでも魚たちの影は見当たらない。あきらめて背中を上流にして立ち込み、そのまま頭を沈めて下流を眺めた瞬間、驚きの場面に遭遇した。なんと、魚たちが視界の両側からまん中に向かってどんどん飛び込んでくるのだ。きっと、自分の体が水の流れのスピードを抑え、体の下流側に緩流帯が出現したからだろう。魚が自分に向かって泳いでくるという現象。これは、水のボリュームがあり、川の高低差が大きすぎず、長い流程をもった川でなくては遭遇できないはずだ。水泳の授業をした川は高低差があり、水量が少ないから緩い流れと急な流れが入り混じり、サカナたちの緩流帯への移動は容易いからこうは行かない。気田川に豊かな流れがあることの証が、この現象なのだ。
気田川は秋葉神社下社から天竜川に合流するまで、両岸の人工物が少なくなり、四万十川にも匹敵するような自然景観に圧倒される。今年5月中旬、仲間たちとこの区間をカヤックでツーリングした。途中、魚たちと戯れたまだ冷たい流れに身をひたしてみた。カヤックが下っていく心地よいスピード。水にひたらなければわからない水圧と水流。この川の魅力を知るには、カヤックで下るとともに、ぜひ泳いでみてほしい。流れのもつ絶妙なボリューム感とスピード感こそ、日本の正しい清流の尺度となるべきなのだ。
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「清流」とは、ただ水質が良い水の流れのことだけではない。この水量、この水流、この水圧、この景観があってこそなのだ。
■ビジネスマガジンVEGA 7月号「しずおか自然回帰の旅⑤」として寄稿