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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

アマテラス

2009-04-24 00:19:03 | 思索
お袋が脳梗塞で倒れ帰らぬ人となった時、淡々と思いを巡らせたのは、遠い記憶を遡りながら、あの時は嬉しそうだったな、またあの時は楽しそうだったな、きっと幸せだっただろうな、と、お袋の幸福を数え、その時間を足算することだった。というも、辛いこと、悲しいこと、苦しいことの積み重ねを必死に耐えて生きたお袋の人生を、どうしても幸せなものとしたかったのだ。幸せな人生とは何か、不幸な人生とは何か。辛い人生を生きたお袋の最期は最も痛ましく悲惨だった。生きることを終えたその人の人生が幸せであったか否かは、どう考えればいいのだろう。死ぬ直前がどうであったかで決まるのか?いや違う。

「地上に悲しみが尽きる日は無くても、地上に憎しみが尽きる日は無くても、それに優る笑顔が、ひとつ多くあればいい」(泣かないでアマテラス)

そう。僕は中島みゆき、に賛成だ。幸せな人生とは幸せの積分(足算)なのだ。僕は今、たぶん苦しい中にあるのだと思う。少なくとも5年前よりも間違いなく苦しい。このまま終わるのかも知れない。しかし既に、僕の人生は幸福な人生だったのだ。
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