所要で長崎を訪れていた。滞在中のホテルの部屋の入口に朝の新聞がはさんであった。 読んだ記事の中に「道徳教育」が教科とされ、その教科書が検定にが合格したというのが目に入った。 この中から各地方の教育委員会が選定して用いるらしい。要点ししかわからないが、息苦しさを感じた。
どんな人物が教科書検定にかかわったのかは知らないが、文科省の役人ともども何と頭の固いことか、 いかにもこじつけるよう内容に驚きを感じた。時代の読み方や事実をあいまいにする表現など、子どもたちへの 躾を押し付けるようなものだった。
たとえば「にちようびのさんぽみち」の項で散歩道で見つけた店は最初に掲載されていたのは、「パン屋」さんだった。 しかし、検定では「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」という項目に馴染まないとして、「和菓子屋」に 変わった。また公園の遊び用具が消え、和楽器の店に変えた。意図がわからない。
旅先の長崎にはカステラという銘柄の店が多く、有名だ。私もお土産に買って帰った。このカステラは本来日本のもの ではない。日本の食の中には、ポルトガルや海外からの伝来物は多い。「てんぷら」もTempora というスペイン語系だ そうだ。日本にはこうして輸入したものを巧みに日本化されたものは物が多い。如何にも日本的なイメージを持たせようと 和楽器に親しませようとしたのであろうが、これなど熟知していない役人たちの視野の狭い発想にすぎない。
今の時代、多文化社会であり、伝統文化を継承するのは、そこに没頭できる群れに委ねておけば大丈夫なのだ。 国や郷土を愛する精神は、国家権力が上からの目線で指示されるとろくなことはない。文科省は日本の純粋性を捉え させようとしているのだろうが、これは履き違えた考えだ。あまりにも視野が狭すぎる。滑稽としか思えない。
そんな内容の道徳教育課程をどう評価するのだろうか。ユニークな自己表現を許さない教育環境の中で果たして柔軟な 人間を醸成していくことはできるのだろうか。昨今の森友学園問題を見ても、旧憲法や教育理念を今も実行する経営者の 歪んだ教育観、その教育を素晴らしいと名誉校長を受ける軽率なある人物の思想なき直観性、教育勅語を賛美する おかしな閣僚や国粋的な組織や政治集団の面々、さらに責任の所在をあいまいにして問題の解決を避けようとする 官僚や自治体のなすりあい、こんな醜い争いに防御しあう彼らこそ、大人の道徳教育を受けるべきではないのか。 この教科書、いったい誰のための道徳教育?といいたい。
やさしいタイガー