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「切通乃写生」の坂道

2022-06-25 | Weblog

岸田劉生の「切通乃写生」はもともと「道路と土手と塀」という題名だったらしい。写生というには絵の具を盛った仕上げにどことなく作為のようなものがある。道路と土手と塀の質感を増しているというか、見たままより印象を強めているというか。

そんな切通しの坂が代々木に実在すると聞き、歩いて尋ねてみた。明治神宮を西参道から出た界隈だというので表参道から侵入し、拝殿の前でひとしきり絵馬など眺めて西参道へ抜ける。岸田劉生が代々木に住んで「道路と土手と塀」を描いたのは1915年(大正4年)だから、大正9年創建の明治神宮は当時まだなかった。

西詰所から明治神宮を出るとポニー広場があり、そこにいるポニーと目が合った。こう見えてポニーはこどもではなく、おとなになっても体高が147cm以下の馬のことをポニーと呼んでいるだけで、おそらく長老のような分別を持ってこちらを見ている。この広場がある東京乗馬倶楽部は大正10年発足というから、劉生が絵を描いた当時まだなかった。

東京乗馬倶楽部のすぐ前に小田急線の参宮橋駅がある。そこから歩き出せば目当ての坂道はすぐなんだけども、それじゃ散歩にならないから、わざわざ明治神宮を抜けてきた。代々木4丁目、神宮を背にして最初の信号を左折したところに建つ寺の門前に「岸田劉生が描いた切通しの坂」と刻んだ石碑があった。

坂を下って振り向くと「道路と土手と塀」の絵を彷彿とさせる坂がそこにあった。岸田劉生は駆け出しのころ印象派の影響を強く受け、のちにルネサンスの写実的な手法を取り入れたというから、後の世の私たちが常識として持っている西洋絵画史の流れをさかのぼるように坂道を描いた。

「道路と土手と塀(切通乃写生)」のころは舗装道路ではなく土がむき出しで、石ころや草を細密に描きたいと画家に思わせる何かが道路と土手と塀にあった。いまはどうだろう? 同じ場所に立ってスマホで写真を撮りながら、107年前といまを見比べて参宮橋から電車で帰った。

 

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