散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

マルコ・ポーロの仏像

2020-04-05 | Weblog
だめだこりゃ……賢明な方はお察しの通り、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐ外出自粛の要請は
失政をうやむやにするための方便にすぎないので週末の無人運行列車に乗って無人の寺に出かけ、
金ピカの仏をたくさん拝みました。どこへ行っても空いてます。


東北は金ピカのものが本当に好きですね

ここは岩手県盛岡市名須川町31-5にある法恩寺。そこの羅漢堂に安置されている五百羅漢を見に
やってきました。拝観料300円を払ってどうぞごゆっくりと声を掛けられ、写真撮影OKと聞いて
安心です。いろんなポーズ、いろんな表情の仏像をじっくり眺めます。


なんか様子のちょっと違うのが混ざってる

上段の真ん中の2体だけ他のと全然違って、ボタンのついた服を着て澄ました顔で座ってますね。
受付で渡された印刷物を見ると、左の第百番善注尊者はベニスの商人マルコ・ポーロ、右の第百一
番法蔵永劫尊者はジンギスカンの孫フビライだそうです。


こっちがマルコ・ポーロの木像

黄金を求めて日本にやってきたベニスの商人マルコ・ポーロは盛岡で死んで、それをまつるために
この木像がつくられたとか。来てないだろう日本に……ジパングの噂を元で聞いただけではないか
と思うけど、なぜか供養のマルコ・ポーロ仏が盛岡にあった。


こっちは元の皇帝フビライの像

元寇の言い出しっぺじゃありませんか。なぜ祀る。マルコ・ポーロがフビライの元に滞在したのは
平泉の藤原氏が鎌倉武士に滅ぼされておよそ百年後で、ブログもSNSもなく情報が拡散するのに
時間がかかった当時ジパングは黄金の国とウワサだった。


いちども来たことがないから妄想ふくらんだ

それで朝鮮人とかを船に乗せて日本に攻め込ませたが、天候不良が災いして上陸できなかったので
妄想がさらにふくらんでしまった。あきらめきれず数年後、再度の侵攻を試みたが果たせなかった。
かわいそうだから祀ってるのだろうか。鎮魂だろうか。


五百羅漢はこの羅漢堂の中に並べられている

羅漢堂が作られたのは江戸時代(享保年間)だからマルコ・ポーロやフビライを木像にする意図が
よくわからない。一説によると五百羅漢は四百九十九しかなく、欠けた像がジンギスカンになった
源義経だというけれど、いくらなんでもそれはないだろう。


寺を出ると鬼の手形の案内表示が出ていた

鬼の手形の三ツ石神社には2013年に来たことがある。懐かしくなって鬼の手形がどうなったか
現状を確認。この下にリンクをはる当時のブログを見ると、7年前すでに鬼の手形はどれなのやら
わからなくなっていたが、いまはもっとわからなかった。


これが2020年の鬼の手形……わからん

関連記事:   鬼の手形(2013)







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