散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

釈迦牟尼

2004-09-12 | Weblog
歩くのが唯一の趣味みたいなものなのに、夏のあいだは暑くてあまり歩けなかった。しかし昨日は涼しかったので、麻布十番から六本木を通って青山へ抜け、原宿まで歩いて行った。秋から冬、春にかけては歩くのにいい季節だ。いけないのは梅雨と夏で、しょうがないからジムに足繁く通うことになる。習慣だから昨日もジムの準備をして家を出たところ、おや歩けるではないかと2本の足を交互に動かしているうちに、原宿まで来てしまった。ヘッドホンで音楽を聴きながら。ジムに行くのは今度にしよう。断食して以来どうもウェイトトレーニングみたいなことをする力が出ない。ウォーキングからはじめて次第に体力を回復させるべきなのかもしれない。厄介なことだ。ぜんぜん食べずに動かないでいるよりも、適当に食べて動いたほうが少なくとも気分はいい。ジムに行ったら、断食のあいだ実家に身を寄せていた妻と娘を迎えに行くつもりだったが、自分たちで帰れるから夕飯まで好きにしてかまわないとPHSに連絡があった。手間が省けて結構だ。ぽっかり空いた時間をどうやって埋めよう。喫茶店に入ってリュックの中を探ると本が1冊あった。『原始仏教 その思想と生活』中村元(NHKブックス、1970)……暇つぶしにちょうどいい。ジャイナ教徒は何事も所有しないために、衣服をも捨てて裸で過ごすという。また生きものを殺さないために、白いマスクをして口から虫が入らないようにするという。衣服もないのにマスクだけは持っているのか? いちゃもんをつけるのはやめておこう。釈迦牟尼は29歳で家を出て遍歴行者となり、苦行を6年間つんだ結果、苦行は無意味であるということを悟り、それから苦行をやめて覚者になったという。そうか苦行は無意味なんだ。やっぱり。そして当時の仏教徒は肉を食べていたという。なんだ坊さん四つ足を食べて問題ないのか。さて読書も飽きたし店でもぶらぶら見て歩こうかと、原宿から渋谷まで寄り道しながら流れて来た。夕方か。もう夏も終わりだからビアガーデンでビールを1杯飲んで帰ろう。そう思ったけど結局、2杯飲んで帰った。家でも夕飯のときビールを飲んだ。せっかく断食したのにすっかり元の黙阿弥。いいんだ、苦行は無意味であるということをぼくも悟ったんだから。釈迦牟尼といっしょだもん。
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする