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噛噛堂 あと2112冊

遅読、積ん読、併読、乱読。それでも読んどく、70までの2112冊。いよいよカウントダウン。

小さい魔女

2009年11月01日 | 噛噛堂のできるまで棚

これもオヤジが「おみやげ」で買ってきてくれた本だったなぁ…
あのころ。
隣の家が100メートル先の、開発されたばかりのイナカ分譲地に住んでいた子供には、
本屋さんは遠い遠い存在でした…

オトフリート・プロイスラー    学研  1965年(CopyRight1957)
 ワルプルギスの夜の魔女の祭りに、小さい魔女は出る資格なし。なぜって、まだまだたったの127才なんだもの…
ところが年に一度のその夜、ブロッケン山にまぎれこんだ小さい魔女は、いじわるなルンプンペルおばさんに見つかり、魔女のおかしらに突き出されてしまったからさあ大変!
「よい魔女」になることを条件に許してもらった小さい魔女。相棒のカラス、アブラクサスのアドバイスに従い、「よい魔女」を目指して魔法を駆使するのですが…


そうですなぁ。キャスティングするとしたら、ターシャ・テューダーか? ザンバラ髪でね。

誰がどう見ても「よい魔女」だよなあ、てな成長ぶりの最後になって、ドンデン。
そしてそれが、最後の最後に、
さらにドンデン。
子ども心にも、今読んでも、胸のすくその最後にゃ、いっしょに叫びたい、
「ワルプルギスのよーる!」 って。

さ、いけずな上司にガッツリやられちまった日の夜とかに、
どーぞオトーサンも、オカーサンも、読んでいっしょにスカッと、「ワルプルギスのよーる!」


ウィニー・ガイラーの挿絵がまた秀逸です。
この線のタッチに、日本ではないよその国のにおいを見ていた気がします。あの頃。

Re6冊目 (全48冊目)

いやいやえん

2009年09月12日 | 噛噛堂のできるまで棚

ケータイ機種変更により、以降の画像はムダに大きく表示されてしまいますこと、ご勘弁のほど…

中川李枝子さく・大村百合子え    福音館  1962年

おぎょうぎの悪い、きかん坊のしげるが通うちゅーりっぷほいくえん。
でも、先生も、お母さんも、「しげるちゃんっ!」と、イエローカードを出しはするけど、
ぎゅううと上からレッドカードを出しはしない。

ほしぐみさんの男の子たちが積み木の船でくじらとりにでかけたり、
何から何までちこちゃんの真似をしなくてはならなくなったり、
こぐちゃんが保育園に訪ねてきたり、
おおかみが美味しそうなしげるを食べようと企んだり、
くろい山の子鬼に助けてもらったり。

そして、ついに、「いやいやえん」へ入れられてしまうしげる。
なにをしたってかまわない「いやいやえん」の中にあって、いろんなことがキチンとしているちゅーりっぷほいくえんが恋しくなってしまうしげる。
ま、そんなこんなで明日っからまたちゅーりっぷほいくえんに行くようになったって、そうそうコイツの根性はかわりゃしないだろうけど。ってゆうか、変にはかわってほしくないけど。

秀逸なのは、こぐちゃんの章。
お山に住んでるこぐまのこぐちゃん。
口に出して言ってみて下され、ハイ、「こぐちゃん」
魔力のような名前っす。
小沢一郎も、酒井法子も、「こぐちゃん」と、ひとこと大きな声でこぐちゃんを呼んでみてほしいです。
何物にも負ける気がしない、脱力のかわいさオーラに包まれる気がします。
もう一度、ハイ、「こぐちゃん」
ちなみに画像は、パンツをかぶってシャツをはいてしまってのたうちまわっているこぐちゃんの図です。
この一枚に、大村百合子画伯の才能が凝縮されている!
とはいえ、上記状況を知らずに見ると、何の絵だかわかりませんが(笑)

ところで、1962年刊行のこのオハナシ。
今の子には、注釈なしでは「?」な表記もそこここに。例えば、
みんなは、ごふじょうへいってから、ぼうしをかぶってそとへでました。 とか、
「わがはいは、たんげさぜんである」 とか。
それでも、何度版を重ねようとも、注釈など付けずにいてほしい…
何十年たとうと、聞かれた大人が答えてあげたいものです。ごふじょうと、たんげさぜんを。

Re5冊目 (全36冊目)

龍の子太郎

2009年08月24日 | 噛噛堂のできるまで棚

松谷みよ子    講談社  1960年

「おかあさんは北のみずうみにいる。おらが、つよい、かしこい子になってたずねていくのをまっている、そう、ばあさまはいった。おら、さがす。ひとつひとつ、ぬまでも、みずうみでも、おかあさんにめぐりあうまでさがしていく。だども、おら、てんぐさまに力はもらったが、かしこくなったかなあ、おかあさんにあいにいってもはずかしくないほどに、かしこくなったかなあ」…

ばあさまにつくってもらっただんごをくっちゃあ、毎日けものたちと野山で遊び呆けていた龍の子太郎。
ある日じぶんの出生の秘密を知り、龍に姿を変えてしまったまだ見ぬ母をたずねて旅に出る。
天狗に力をもらい、黒鬼を退治し、にわとり長者をぎゃふんと言わせるなまけものの成長譚。

ただの昔話と思うなかれ。
これこそが、声に出して読みたい日本語。
ばあさまが菜を洗っている川に何かが流れてくる音は、つんぶくかんぶく つんぶくかんぶく
けものたちの大相撲、その掛け声は、でんかしょう でんかしょう
まさに、日本の音だね。
けものたちといっしょになってゆかいになって、太郎といっしょになってちからがわいて。

何度も何度も読んだこの本の魅力箇所は、おかあさんが食べてしまったイワナ3匹。(やっぱ食いもんなんだな)
そんなにもうまい魚がこの世にあるとは!
ご多分にもれず魚嫌いの幼少期、3匹も立て続けにむしゃむしゃと食べてしまうほどうまい魚ってのに、食べたこともないのにうっとりしたものです。

 Re4冊目 (全28冊目)

チム・ラビットのぼうけん

2009年05月25日 | 噛噛堂のできるまで棚

アリソン・アトリー作/石井桃子・訳 中川宗弥・画    童心社  1967年初版

吉四六さんの次に手にした「本」が、チム・ラビット。
オヤジのおみやげだったんだな、これが。
読むとしたら推理小説か歴史モノってオヤジが、よくぞこれを選んでくれたものよ。
イギリスの児童文学が、石井桃子の名訳と、中川宗弥の美しきペン画により、どこか「日本」なうさぎのオハナシという、原作とはまた別の世界が生み出されています。
原作読んでないけど。
&この独特の世界をつくりだすのに貢献しているのが、活字。
今、手元にあるのは2004年の53刷版ですが、装丁も、挿絵も、何より活字が当時のまま。頑固にチムの世界を守ろうとしている童心社の良心よ。
ワープロやパソコンのフォントではとうていお目にかからなくなった、ハネやトメやテンがしっかりと滲まんばかりに紙に打ち込まれているような、「お」や「も」や「を」の美しさ。
だんだん老眼キビしき折りから、文庫の活字が大きくなるのはありがたいけど、新潮ですら講談社のよなまるまるとした活字になっちゃっちゃあ…と、つねづね「活字」ひとつでモノガタリ感がズレてしまうことに憤っていたこの身(目?)には、まったくもって宝石のごとくの「THE・本」であります。

今になってみれば、ものがたりそのものもさることながら、「紙」と「活字」という「本」ならではのマテリアルに魅せられていくことになった一冊だったのだなー、とつくづく思われるのでした。

そしてまた、上におさとうのついている、ぱりっとやけた、きいろいほっとけーきや、大きなほしぶどうけーきや、きのこのふらいという、食べたことはないけど、なんかおいしそうな食べ物の表現を、うっとりと、何度も何度も読み返すようになった事始めの一冊だったのだなー、とも思われるのでした。

Re 2冊目 (全8冊目)


ゆかいな吉四六さん

2009年05月13日 | 噛噛堂のできるまで棚

絵本ではない「本」として、初めて手にした記念すべき「本」。
それが吉四六さん。
おばあちゃんが買ってくれた40年以上前の、そのまんまの装丁・挿絵で存在していようとは…
我が市の図書館にはなく、隣市から取り寄せていただいたわけですが、
窓口で受け取ったときには、思わず知らず「嗚呼…」とカンドーのため息でした。

富田博之  /装丁・挿絵-箕田源二郎
講学館 日本の子ども文庫3  1960年初版


どのハナシももちろん覚えていますとも。
擦り切れるほど何度も読んで、実際擦り切れて、学級文庫なんぞにも供出したもんだから更に擦り切れて、結局いつの間にか手放したわけで。
中でも忘れられないのは、豆腐の中にもぐり込んだドジョウ。
皆がドジョウ鍋をしようと鍋を囲んだところに「おっかあに食わせる豆腐をあっためてくれ」とやってきた吉四六さん。あっためるだけならとOKが出て、しばらくクタクタと豆腐は鍋の中…。「おっかあが待ってるから、じゃあ…」と吉四六さんが豆腐をすくって帰ったら、、、ドジョウがいないじゃんっ!
生きたまま鍋に放り込まれたドジョウたち、冷たい豆腐が投げ込まれたらこれ幸いとばかりに豆腐の中にズブズブもぐって避難していたとは…!

当時、ドジョウが好きでした。
その当時、魚屋さんには生きたドジョウを売る大きな木桶が必ずあったものです。
豆腐にもぐり込んだたくさんのドジョウ…
子ども心に、うっとりするよな美味の予感と共に記憶に残ったのは、吉四六さんの悪知恵。もとい頓知の数々。
庄屋さんにもお殿様にも、頓知でもって真っ向対決。
今の日本に必要なのは、こんな首相じゃないでしょうかね。

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