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噛噛堂 あと2112冊

遅読、積ん読、併読、乱読。それでも読んどく、70までの2112冊。いよいよカウントダウン。

妖怪と歩く

2010年07月14日 | 「この人」を見よ棚

サブタイトル「ドキュメント・水木しげる」
足立倫行    新潮文庫  2010年(1994年単行本)


ませガキだったあの頃。
叔父の部屋に忍び込んではこっそり読んでた、「COM」と「ガロ」。
手塚治虫「火の鳥」が柱だった「COM」の方は、ガキが読んでも、まあわからないではない、どこか明快さがありましたが、
「ガロ」の方は、暗いわ、怖いわ、よくわかんないわ。。。
でも、それでもどこか惹かれるもの有り。

今にして、手塚と水木の確執を本書で知ったり、
ご存じ連ドラ「ゲゲゲの女房」で「ガロ」(劇中では「ゼタ」)創刊の経緯を知ったりしてみれば、
ガキの感じた二誌比較も、あながちズレてはいなかったのですねぇ。



妖怪よりも強烈なキャラをもつ水木氏を前にして、
「はたしてどこまでこの人を書けるのか…」と悩み逡巡しながらも、とにかく見つめ続け、書き続けてきた後に、著者の感じたこの感覚が、まさに水木とこの本の魅力を表しています。
…そして、水木のいるあたりから聞こえてくるのは強烈な生命力の叫びだった。食欲と性欲と睡眠欲と排泄欲に基づいた根源的な生命肯定のメッセージである。人の「死」や「不幸」をも取り込んで栄養素としてしまう、貪欲なまでの生の賛歌である……

執筆から15年を経ての文庫化に際して補記された「まえがき」と「あとがき」が、
米寿にいたってこの大妖怪が、少し変性している様も映して興を添えます。

new106冊目(全112冊目)

龍馬 (四) 薩長篇

2010年05月30日 | 「この人」を見よ棚
はー。やっと四巻目。
かなり息切れ気味のところへもってきて、
四巻に入ってからことさら、手紙やらなんやらの「原典記載」が多くなって、読みにくいことこの上なし。
その揺り戻しのように、おりょうが出れば必ず濡れ場。
原典と濡れ場のサンドイッチ状態だけが読後印象って…(苦笑)


長次郎も亡き今や、動機は「あと一冊なんだから」という、もったいない感のみ。



それにしても。



別の本が読みてえーっ!
龍馬のまんなかで本を叫ぶ。

new102冊目(全108冊目)

龍馬 (三) 海軍篇

2010年05月30日 | 「この人」を見よ棚
それにしても今さらになって思うのは。
「竜馬がゆく」は小説だったのだなー。 ちゅうこと。(あたりまえだって)

司馬遼マジックですか、リアル竜馬としか思えなくなっていて…

司馬竜馬とはまた別のこの津本龍馬。
司馬竜馬では、「時代」というでかい屋台骨といっしょになって「竜馬」が3Dよろしく飛び出してくる感じがしていましたが、
津本龍馬はかなり平板。
そのかわり、土佐弁はたっぷりと味わえます。

new101冊目(全106冊目)

龍馬 (二) 脱藩篇

2010年05月30日 | 「この人」を見よ棚
いますねぇ、確かに。長次郎。(あたりまえだって)
ドラマと違って、この長次郎は龍馬とはちょっとタメな感じです。
ま、最初に見ちゃって刷り込まれたせいもあってか、
ドラマの方の、
「坂本さま~ぁ
なカンジの長次郎の方が噛噛堂には気分です。

げ。まだ3冊もあるってか?!

new100冊目(全106冊目)

龍馬 (一) 青雲篇

2010年05月30日 | 「この人」を見よ棚

津本陽    集英社文庫  2009年(2001年単行本)

龍馬の呪縛から逃れられない…



と、いえばカッコいいけど。違います。
大河ドラマ「龍馬伝」は、「弥太郎伝」でもいいんじゃないか?というほど、弥太郎インパク値が高いのはもはや常識。
しかしアタシがこのドラマにて何よりもショーゲキを受けたのは、
饅頭屋の長次郎。

ここ毎週、長次郎を見るために「龍馬伝」につきあっていると言っても過言ではありません。
その長次郎なんですが。
あんなに夢中になって「竜馬がゆく」を読んだはずなんですが。

記憶にございません(汗っ)

竜馬以外、ほとんどスルーしてたのかアタシ。
しかしどんなに面白かったといったとて、ついこの間「読んだはず」の本を再読てのもシャクなので、
津本版「龍馬」でなぞってみることにした次第…

new99冊目(全105冊目)

いわずにおれない

2009年12月05日 | 「この人」を見よ棚

うおおっ。うかうかしている間に、まどさん、100歳になっちまった!

まど・みちお    集英社be文庫  2005年

で、4年前のまどさん96歳は、まだ車いすには乗っておられません。
まどさんの本、というか厳密にはまどさんのインタビュー集です。
「わたしっちゅう人間は…」
と、あの細い、やや甲高い声で、謙遜しまくりながら(ちょっとしすぎ)、自分と、詩と、絵を語るまどさん。
(まどさんの声を聞きたかったら、確か年明けのNHKでまどさん特集があるはずなので要チェック)

「アリだってちゃんと影を連れて生きているのを発見したときは、なんだか花束でももらったみたいな気分でした…」
私がどこかに切り捨ててきてしまったものを、96年あたためている人。
「だから私の詩は、「ゆのみ」ならゆのみという存在を読んだ読後感のようなものなんです…」
私がたどりつくはずもない、96年の先にも輝くこんな言葉へのシャープな感性。

文中、インタビュアーがまどさん壮年期のエッセイからの引用を紹介しているのですが、
言葉に対する感性はそのままに、でもそれがなんともギラギラしていると感じてしまうのは、
今がこんなにも「抜け」きった、超老年期のまどさんだからかもしれません。
「しかし、ボケてモタモタしとるっちゅうのも、そう悪くはないもんでね。さわやかな頭で書くのとは、また違った雰囲気の詩が生まれるんですよ。思考がボヤーッとしたり、くっきりしたり、広がったり、狭まったり…そういう違いを利用しながら、今の自分にできるような形で詩に向かうという試みをしつつあります。」




え? まどさんを知らない?
そんな方は、さ、「ぞうさん」をうたってみましょう。

new47冊目(全53冊目)

殉死

2009年10月27日 | 「この人」を見よ棚

司馬遼太郎    文春文庫  1978年(昭和42年初出)

福田和也氏による「乃木稀典」でモノ申されていた、司馬遼太郎による乃木観。
その本文よりもさらにモノ申していたのが巻末、兵頭二十八による解説。

そこまで言うなら、読んでみたや乃木by司馬遼、と手に取るが。
特別けちょんけちょんにしているわけでもなく、
いやむしろ、このダメさかげん を憎めず、と思わせるし、、
陽明学とのからみでは、なるほどなるほどと膝を打たせるし、、、


さても坂の上の雲はもう間近。

new42冊(全47冊目)

乃木希典

2009年10月06日 | 「この人」を見よ棚

何を読むか、っていうときに、とりあえず積んどく本の中から、
薄さ をポイントとして選び出すことがあるわけですが、そんな一冊。169頁。
福田和也    文春文庫  2007年(2004年初出)

伝記ではなく、ドキュメントでもなく、ましてや小説に仕立て上げられたものでもない、
「評伝」というものを読んだのは、恐らくはじめてのこと。
その根底に流れているのは、対象を「評」しつつも、対象への「愛」なのか。
賞賛しているのではない、そう在ってしまった人物への、ただ、「愛」…

この人物に対する司馬遼太郎の捉え方に物申しているということもあり、
11月のドラマ「坂の上の雲」は、そんな視点からも見てみたいもの。

new36冊目 (全41冊目)

竜馬がゆく (八)

2009年09月20日 | 「この人」を見よ棚

司馬遼太郎    文春文庫  1963~66年

「おりょう、三助をせい」竜馬はどなった。
おりょうは身支度をととのえ、石鹸をもって入ってきた。おりょうは、裁縫、割烹などの女仕事はなにもできないが、ただ二つの得意は月琴を弾きならすことと、男の体をじつに威勢よく洗うことだった。この二つだけは、どんなに機嫌のわるいときでも、よろこんでした…

なんということもない、こういう描写がたまらない。
史実をもとにした「小説」だとはわかっていても、人がにわかに「生きる」のはこういうところ。
いや、この部分も史実なのか?
だとしたら、その史料や、又は司馬氏の取材といったメイキング部分に感服するのもこういうところ。

竜馬を見送る最終巻。

この先に、今一度、竜馬の頁を繰ることがあるとしたら、
それは第一巻と、第八巻。
切れ目なく竜馬であったとしても、第一巻の躍動と、第八巻の切なさは、格別なり。

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竜馬がゆく (七)

2009年08月29日 | 「この人」を見よ棚

司馬遼太郎    文春文庫  1963~66年

あと一冊。

それだけかいっ。

いえいえ、面白いのですがね。
嗚呼、こういう大作モノを一気読みする時間のあった10代、体力のあった20代、知力のあった30代が恋しいやね。

11月に向けて「坂の上の雲」も予習しとこうかと目論んでいましたが、断念。

new25冊目 (全29冊目)