goo blog サービス終了のお知らせ 

噛噛堂 あと2112冊

遅読、積ん読、併読、乱読。それでも読んどく、70までの2112冊。いよいよカウントダウン。

体の贈り物

2010年06月26日 | ろうびょうし棚

レベッカ・ブラウン    新潮文庫  2004年(1994年Copyright)

11の短編は、ケアワーカーの「私」とその訪問先の人々とのものがたりです。
「私」が訪問する先の人々は、「ある共通の病」を抱えています。
治癒することのない、「ある共通の病」を。

時として壮絶なまでの介護現場。
精神的にも。物理的にも。
そうした現場に、ケアする者としてのまっとうな感情を以って臨んでいる「私」ですが、
レベッカ・ブラウンの表現は、まったく感情にまみれていない。
しかしだからといって、ただ淡々とした報告書ではない。
レベッカがどれほど巧みに「現場」を綴っているか。
たとえばこんな一場面、
私は彼の体に軟膏を塗りはじめた。ほかのことは考えないつもりだった。心のなかでもこの人と一緒にいるつもりだった…(中略)…ある意味では、いい感じだった。パーティーで知り合った人とか、近所に越してきた人とかと普通に話しているみたいで。でも何だか、そこに四人の人間がいるような気もした。普通に話している人間が二人と、軟膏で他人の体に触れている一人と、腫れ物のできた体を持った一人…

なんという現場感。
ケアをする者と、ケアされる者。
感情のタレ流しではどうにもならない、そこは「現場」。

ケアをする者と、ケアされる者。
一方向に見える行為を、しかしいつしかレベッカは、
様々な「贈り物」を媒介にして「する・される」が双方向である事実を浮き上がらせていくのです。

11編の小さな短編たちが、どでかい「贈り物」になって胸に迫る、出会えたことに感謝の一冊。
そして私にとっては、
オヤジを見送った日々と「あの日」について、あらためて丁寧になぞることのできた一冊となりました。

この時期にこの一冊。
なんというホントの本との出会い。。。
だから本はやめられない。

new104冊目(全110冊目)

葬式は、要らない

2010年06月22日 | ろうびょうし棚
ためらい傷、というのがありますが、
ためらい本、というのもあります。

ためらい本。

なんか、今、このタイミングで読んでしまうと、ちょっとどうなんだろう…
そう思いつつ、少し読み進めて、やっぱりやめとこうと思って他の本に手を出すけれども気になって、また…

そんなためらい本がうんと増えていたこの数カ月ですが、
ためらう理由がなくなってしまった今、読み進めて見ようと思います。
ためらい本の一冊目。

島田裕巳    幻冬舎新書  2010年

新書商法によくある過激なタイトルがついており、
案の定、その後「葬式はいる」的な新書出版が相次いでおりますが、
何も無闇矢鱈と「要らない」と言っているわけではありません。

この縮小経済の日本にあって何でこの金額?
この無宗教もいいとこの日本人にあって何で仏教?
そんな転ばぬ先の杖、あの世に召される前の必読の一冊です。

それにしてもこの日本では、フツーに葬式あげるよりも、
「宇宙葬」(!!)にした方が安上がりなほどだなんて。ねぇ。

とりあえず今回、我が家においては全国平均値は下回った(!)ってとこに小さくガッツポーズです。
そして、なかなかいい葬式だったよなぁ、ねぇ、じーさん… ってとこにブブゼラ連発泣き笑いです。

new103冊目(全109冊目)

ザ・葬式

2010年03月13日 | ろうびょうし棚

延々18年の「積んどく」本。ビフォアおくりびと。

小杉哲平    朝日新聞社  1992年
 関西で葬式の司会者をつとめる著者が見た、「そんなんあり?!」「それってないでしょ!?」な悲喜こもごもたち。


もちろん悲惨で痛々しいタイプ(?)のものについては憚られるから、
ここで紹介されているのは「小説よりも奇なり」なトンデモ話が多くなる。
ただし、ドタバタしているだけのように見えながら、
著者が本文中でも、またあとがきでも触れているように 「ただ悲しいだけというのは幸せだ」 という、そのごくシンプルな事実が浮き彫りになってくる。

願わくば。
アタシは自分で唱えられもしない経文で送られたくはないし、
アタシは墓場という物理的な場所に置かれたくはないし、
ということで。

new76冊目(全82冊目)

よろしく

2010年03月01日 | ろうびょうし棚

著者が死ぬための教養を書いていたときに、ノブちゃんはどうしていたのかなあ…

嵐山光三郎    集英社文庫  2010年(2006年単行本)
 ノブちゃん(父)がボケていく。ノブちゃんが弱っていく。あのノブちゃんが…。そんなノブちゃんとの生活を軸に、著者の生老病死観をちりばめた作品は、タイトル「よろしく」の意味の場面へと結集していく家族の記録。


小説、なのかどうなのか。
殺人事件までもがからまるハナシは小説とも思えて、やはり小説ではない、のかな。
Y売新聞社
M波春夫
S原勝之
T山修司 etc etc …とくれば、ね。

殺人事件まで含んだ展開でありながら、某所某所にノブちゃんとトシ子さん(母)の俳句が織り込まれ、あくまでも静か&ユーモラスな日常風景。

なのに。
中盤以降、「それ」に気が付き、しばし絶句。
「それ」とは何かっちゅうと、
いったいぜんたい何人、死ぬのか? てことで。
途中からでも趣味悪くカウントしようかと思ったほど。
いまだかつて、これほど人の死ぬハナシにゃお目にかかったことがありません。

それはそれとして。
友人がひとり死ぬたびに、自分のある部分が死ぬのである。ふたり死に、三人四人と死んでいき、最後に自分ひとりになったとき、家族はその空漠を埋めることはできない…(本文より)
「葬式は、案外さっぱりしたもんです。むしろ結婚式のほうが気が重くなるのよ。これからどうなるかわからないのに、バラ色であるかのようにふるまってる。お葬式には、未来なんてないから、もう心配がないもの」…(本文より)
ほのぼのと、あくまでもほのぼのと綴られながらも、著者の生老病死観が大結集。

new74冊目(全80冊目)

見事な死

2010年01月22日 | ろうびょうし棚

文藝春秋編    文春文庫  2008年
 阿久悠から始まって順不同48人の「死」を、夫や妻や姉や友人が悼む。


死は「残された者」のもの。
見事ということばが妥当なのかどうかは置いとくとして、見事かどうかもその人に「残された者」のもの。

死そのものを知る一冊というよりは、「悼み方」を予習する一冊かもしれません。


尚、「トンマな死」を予言したという中島らもの、予言&トンマっぷりには、べつだん彼に残された者でもないアタシでも思わず「お見事!」と。
ラスト3行、この夫にしてこの妻と、これも思わず泣き笑いの素敵な悼みっぷりにも「お見事!」です。

new63冊目(全69冊目)

介護予防と終末期リハビリテーション

2010年01月10日 | ろうびょうし棚
93歳の山崎さんはどうしてヘルパー3級の資格を勉強するのか…「自分が介護を受けるときに楽に介護をしてもらうためにです」
そうなんだ。
アタシ自身が45歳で方向転換したのも、それがどこかにあるからなんだ。


大田仁史講演集③ 大田仁史    荘道社  2009年
 2008年5月に茨城県立文化センターで開催された、第57回日本理学療法学会における大田仁史氏の講演に一部加筆・修正。
「これからどんどん良くなる!」ためにされるイメージの強い『リハビリ』がなぜ、どのように、終末期と関わっていくのか。
講演の臨場感をそのままに、力強い、渾身の、現場からの肉声メッセージ。


人間、右肩上がりでなくなったらダメなのか?
老いて後にも最後まで右肩上がりなんていう事があるはずもないのに。。。
では、いかにも右肩上がりを期待してしまう「リハビリ」が、いかに「終末期」という現実に寄り添っていけるのか?
それが、遺体の在り方から評価する という逆算の発想による展開で、見事にしっくり寄り添うのです。

約100ページ。
集中すれば1時間もせず読み終えられる小冊子だけど、
人生が、最期の最期で100点になるのか、0点になってしまうのか…
自分はもちろん、自分の大切な人にとっても、それは重要な問題だと思うのならば、必読です。

そう、いつか介護を「受ける」日のために介護を知ろうとしたように、
納得のいく遺体に「なる」ための、とばっ口がここにありました。

new60冊目(全66冊目)

長生き競争!

2009年10月18日 | ろうびょうし棚

黒野伸一    小学館文庫  2008年(単行本出版2007年)

 妻を亡くした老境になって故郷に戻った白石聡。再び出会った幼馴染み6人と、掛け金57000000円で始めることになった「長生き競争」。聡の家にころがりこんだ孫のような年のエリまでも加わった長生き競争で掛け金を手にしたのは…


聡の人物像が最後までピンとこないまま南無阿弥陀仏。
それもそのはず、最終ページにずらずらと記載された参考文献、参考サイト、取材協力の数々よ…
はじめに聡ありき、ではなく、このパッチワークを完成させたいがための人物創造。
こなれていませぬ。

ま、ドラマにもなったようで、聡役は宇津井健ですか?
ドラマならば、俳優の引力で見せる仕上がりになったのかどうか。

new39冊目(全44冊目)

父の遺産

2009年10月13日 | ろうびょうし棚

フィリップ・ロス    集英社文庫  2009年(1991年Copyright)

父はいまや、水遊びでもする赤ん坊みたいに、両脚を力強くばたばた上下させていた。でもそのいかめしく固まった横顔には、赤ん坊の喜びを思わせるところはまるでなかった。入浴ということを、父はひどく真剣に捉えているようだった。最近やっているほとんどすべてのことがそうであるように、これもまた揺るがぬ決意で臨まねばならない重大な事態なのだ…(本文より)
 86歳の父の頭に、脳腫瘍がみつかる。父の介護に明け暮れるある日、ユダヤ人として「人生」を闘い取って来た父から、著者が受け取った<遺産>とは…。全米批評家協会受賞のフィリップ・ロスの自伝的家族の記録。または、小説?


今、このときに、この本だよ。
読んでくれと言わんばかりの、平積み。

我が身に重ねるたぁおこがましいが、人生は、哀しみよりも、やっぱりどこか可笑しみに満ちている。そう信じることのできる一冊です。


さて、それにしてもその<遺産>とは何なのか?
それを知る時には、誰しも皆、泣き笑いに違いない。と、信じたい読後です。

new38冊目(全43冊目)

死ぬための教養

2009年09月27日 | ろうびょうし棚

図書館には、メメント・モリ的なジャンルを集めたコーナーがあってね、
前々から気にはなっていたけれど、いよいよ、大いに、気になって…

嵐山光三郎    新潮新書  2003年

宗教を信じて死ぬことができる人は、それは信じる力を持った人です。死後の世界を信じることができる人は、精神力が強く、パワーがある。しかし、無常を説いた兼好ですら、本心から来世を信じていたわけではなく、「信じよう」と努力していただけなのです。…(中略)不治の病を宣告され、「あと一年の寿命」と知れば、自分の死を納得するためには、一定の教養が必要になります。一定の教養とは、「死の意味」を知る作業に他なりません。

実際に死を間近に感じたことをきっかけに、改めて、自分の死を受け入れるための処方箋としての教養を求め始めた著者が、たどった数々の「メメント・モリ」本を、読者に、そして自分自身に向けては「覚悟」として紹介していきます。
古今東西の老若男女(…んー、若はさすがにないか、、)の教養人たちが解きほぐすのは、しかし、「死」というよりは、「生命」やら「宇宙」やら。
「死」を中心に据えた、この教養のオムニバスによって、「死」は強烈に「生」へと舞い戻ることを痛感する一冊です。

new35冊目 (全40冊目)

笑う介護。

2009年09月06日 | ろうびょうし棚

岡崎杏里/松本ぷりっつ・漫画    sasaeru文庫  2007年
 甘いもの大大好きの果てに脳血管が切れてワガママトンチンカンバリバリ認知症になった父。そんな父から事業を継いでガンガンバリバリ働いていた母が、卵巣ガン。ついでに飼い犬クロまでオムツ生活。どんだけ介護?!な岡崎家の日々は、はたして「笑い」で吹き飛ばせるのか…


泣いてる場合じゃないよやるしかないよという中での「笑い」への持って行き方、
というか、持って行けるかどうか?は、
やろうと思ってできることではないだろうなぁ…
その家族家族の資質というか。ノリというか。

うちも幸いにして(?)「笑う介護。」へ持って行けるタイプ。
あのエピソードもこのネタも、ぜひ松本ぷりっつにお願いしてコンパクトな漫画へと昇華させていただきたいものです。

例えば?
そうですね。例えば、
Dr. 「どれくらい手が動かせますか?」
オヤジ 「はい、これくらいです」
…って、先生を、拝むなーっ  とか。

まあ、笑ってるバヤイじゃない事が満載だからこそ、笑えるスポットがとんでもなく光るっちゅうわけですが。

new29冊目 (全33冊目)