最近、
私の中で一つのテーマになっているのが『国語力』。
このことに関しては、
それぞれの方が考えをお持ちだと思いますが、
私は高校数学教師なので、
数学との比較で考えることが多いのです。
話し言葉という自然言語と、数学という人工言語…。
その2つに生じる大きな違いの1つは、
国語の言葉では、言葉1つとっても、
その文脈の中で、それぞれの方々の理解が違うことも生じる
ということでしょう。
(数学の場合は定義から認識のずれは許されません…)
そこから『国語力』の1つの定義として…
”間主観性の橋渡しのための力”
というように考えられるかもしれません。
実際、
いろいろな方とある1つの話題について話をするとき、
それぞれの方の認識がずれているようで、
実はその中に共通部分があるはずです。
そこをどう抽出し、まとめるか…、
その共通項から解決策を生み出すことは多々ありますし、
それは、国語の文章読解の問題と一緒なのではないでしょうか。
もし、そうであれば、
日常から挨拶など、
ほんのちょっとしたコミュニケーションから国語力は培われる
と言ってもいいのかもしれませんね。
実際、今のこどもたちは、
自分の部屋でやるより居間で会話しながらやる方が
学力が伸びていると事実がありますが、
もしかしたらそれも国語力の一部分である、
コミュニケーション能力が開発されているからかもしれませんね。
私の中で一つのテーマになっているのが『国語力』。
このことに関しては、
それぞれの方が考えをお持ちだと思いますが、
私は高校数学教師なので、
数学との比較で考えることが多いのです。
話し言葉という自然言語と、数学という人工言語…。
その2つに生じる大きな違いの1つは、
国語の言葉では、言葉1つとっても、
その文脈の中で、それぞれの方々の理解が違うことも生じる
ということでしょう。
(数学の場合は定義から認識のずれは許されません…)
そこから『国語力』の1つの定義として…
”間主観性の橋渡しのための力”
というように考えられるかもしれません。
実際、
いろいろな方とある1つの話題について話をするとき、
それぞれの方の認識がずれているようで、
実はその中に共通部分があるはずです。
そこをどう抽出し、まとめるか…、
その共通項から解決策を生み出すことは多々ありますし、
それは、国語の文章読解の問題と一緒なのではないでしょうか。
もし、そうであれば、
日常から挨拶など、
ほんのちょっとしたコミュニケーションから国語力は培われる
と言ってもいいのかもしれませんね。
実際、今のこどもたちは、
自分の部屋でやるより居間で会話しながらやる方が
学力が伸びていると事実がありますが、
もしかしたらそれも国語力の一部分である、
コミュニケーション能力が開発されているからかもしれませんね。
そう考えると、『学び合い』の中で、数学の問題という話題について話していく中で、文章読解の力もつくかもしれませんね。
ちなみに、中学校では今、新指導要領改正にともなって追記された、各教科における「言語活動」が、色々な学校で研究対象になっていますが、高校ではいかがですか?
現在、国語専門塾の先生と
共同研究しながら、教材開発している最中です。
子どもの国語力の育ちの段階と、
人工言語である算数・数学をどうリンクし、
教科間で相補し合える関係を教材として
提供できるか…、
なっつさんともお話できる段階にくれば、
一度ご意見を伺いたいと思っています。
そのときはどうぞよろしくお願いします。
居間で勉強したほうが伸びる!
ちゃんとやるという意識以外に、フィードバックを受けやすいとか、があるんでしょうか?
いいですね。
◆rita◆