熱い出島


D3X + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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シーボルト関連の旅行に行くなら、外国人居留地であった出島は欠かせないだろう。
長崎と聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるのが出島かもしれない。
外国人を幽閉するための人造島という、その成り立ち自体があまりに特異である。



高校生の時に修学旅行で長崎に行った従兄弟が、出島は面白くないから行かない方がいいと言っていた。
ミニ出島という模型があるだけだというのだ。

ところが行ってみて本当に驚いた。
ここではかつての出島を完全に復元しようという、壮大なプロジェクトが進行しており、すでに従兄弟が行った頃とは違う世界になっていた。



海に張り出した扇状の島という出島のイメージは、すでに失われている。
地面は埋め立てられビルが建ち並び、海岸は少なからず離れており、出島跡地は今や内陸にある扇状の土地に過ぎない。
わずかに当時の出島を思わせるのは、後ろ側を走る弧を描く水路であろう。



出島の復元計画は、長崎市が昭和26年に整備計画に乗り出したというから、すでに半世紀以上に渡り進んでいる壮大なプロジェクトだ。
まずは民有地になっていた出島の土地をすべて公営化することから始められ、同時に復元のための資料集めや解析が行われてきたという。
基本は、当時の建物があったその場所に、同じ建物を復元する、ということ。
現時点で既に多くの復元は完了しており、内部は資料館やシアター、みやげ物屋などとして運営されている。



出島復元のために行われてきた作業は、関係者の執念さえ感じさせるものだ。

建物の正確な資料が残されていないため、各時代の出島を描いた絵画や文献から検討し、まずは再現すべき年代を定めたという。
重要な資料として、商館長であったブロムホフが本国に日本の資料として送った出島の模型(ライデン博物館蔵)が使われた。
ところが少数残された古写真から寸法を解析したところ、この模型の縦横方向の縮尺率が同じではなく、強調されていることがわかり、それを考慮して図面が引かれた。
また内装のデザインや資材なども、残された絵画や文献、前述の模型などが参考にされ、当時の建築資材の残るグラバー邸、料亭花月、他県の建物までが調査された。
さらに家具類はヨーロッパの当時のアンティークが集められ・・というように、マニアックさを感じさせるほど復元作業は熱い。



出島の建築物は、日本人の大工たちが見よう見まねで作り、そこにオランダから持ち込まれたペンキで色が塗られたりしている。
そのため和洋の文化の織り交ざった、一風変わった特殊な雰囲気を持つ世界になっている。
これは日本ばかりでなく、世界的にも貴重な歴史遺産なのだ。

何と最終的には周囲の国道や水路を移動し、出島の四方に水面を確保し、完全に扇型の島として復元するという。
これはもう、単なる観光地とはいえない。
この作業に携わる人たちはさぞや楽しいだろうと思う。
歴史家にとっては夢のような復元作業であるに違いない。
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