小指と月光


SIGMA DP1

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海軍に月光という戦闘機がある。

もともとは航続距離の長い双発式の戦闘機、十三試陸戦として開発された。
爆撃機の護衛専用として発案されたのだ。
しかし運動性能に劣り空中戦に弱い双発式の戦闘機は、世界的に成功した例が少なく、中途半端な性能の十三試陸戦も、戦闘機としては使えないと判定された。
やがて偵察機としてなら使えることがわかり、二式陸上偵察機として採用されるが、後により高速の機種に取って代わられる。

この中途半端な双発機を、まったく新しい発想で蘇らせたのは、大胆な行動で有名な小園安名司令である。
手強い米国爆撃機への対策を考えていた小園司令は、敵機の上か下を並行して飛び、斜め方向に機銃を発射すれば落とせるのではないかと思いついた。
そして海軍内に反対意見の多い中、粘り強く交渉を続け、斜め機銃を装備した十三試陸戦を配属することに成功した。

「空の要塞」B-17や「超空の要塞」B-29などの米軍重爆撃機の迎撃は、ジリ貧状態の日本の戦闘機には極めて難しかった。
防弾性能が高く、弾を撃ちつくすまで攻撃を繰り返しても、平気で飛行を続ける。
また高性能な防御火器を備えており、うかつに近付くとやりぶすまのような弾丸の嵐の餌食になる。

しかし新型兵器「斜め機銃」を装備した十三試陸戦は、ラバウルに夜間来襲するB-17を見事に撃墜してみせた。
それを見た海軍はこの新発想の戦闘機を正式採用とし、その名を「月光」と定めた。

月光は斜め上方30度を向け固定した20mm機銃を装備し、夜間来襲する爆撃機の下にもぐり込み、敵機の腹へめがけて20mm機銃を撃ちあげる。
20mm機銃は弾丸が重く、弾道が放物線を描いて落ちていくと一部で不評であったが、当たればその口径ゆえ威力は絶大であった。
その点、至近距離から発射する月光には最適の機銃であったろう。

鈍重で高高度の飛行に向かない月光は、夜間低高度で侵入してくる爆撃機の迎撃専用であったが、日本本土に来襲するB-29相手にかなりの成果をあげた。
一機が一晩でB-29を5機撃墜したという驚くべき記録も残っている。

なぜ月光のことを書いたか。
月光という戦闘機は、我家にとって特別な意味を持つ飛行機であった。

僕の父親は戦争中、月光に搭載するための20mm機銃の弾丸を生産する作業に従事していた。
そして右手を機械に挟まれた。
中指、薬指、小指の3本を斜めに噛まれたのだ。

病院に行くと、医者が小指の第一関節から上を切り取ってしまった。
残りの2本も切るというので、父はそれでは仕事が出来なくなると断り、強引に家に帰ってきてしまった。

ベテランの技術者でも、魔が刺した瞬間、指をやってしまうことがある。
指には神経が集中しているので、指をやると耐えられないほどの痛みに襲われる。
父は痛くて眠ることが出来ず、苦痛に右手を押さえながら、夜の街をさまよい歩いた。
警官から何をしているのかと呼び止められたが、事情を話すと気の毒がり、それでは俺が話し相手になってやろうと一晩付き合ってくれたという。

翌日も痛みは治まらず、じっとしていることが出来ないため、仕方なく工場に出て働いた。
青年であった父の武勇伝が伝わり、新聞社が取材に来て、○○君につづけ、という見出しで新聞に載った。
それが後々までの語り草となり、僕は子供の頃から月光という名前をよく聞いた。

父の短くなった小指の先端は、人からは気味が悪く見えたかもしれないが、僕にとっては親しみのある見慣れたものであった。
それはいわば月光によって刻まれた傷跡であった。

夜間来襲したB-29をサーチライトで照らすと、その下に月光がコバンザメの様にくらい付くのが浮かび上がったという。
月光がさっと離脱すると、B-29が煙を引いて落ちていくのだと、父がよく言っていたのを思い出す。
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