Re:born

津波被災GPZ900R再生記

プロローグ3

2011-11-06 00:36:43 | 再生記



3月18日21時頃、トレーラーに物資と希望を載せ、いざ仙台へ…。



当時、東北道は震災の影響で全線通行止め。
常磐道は一部通行可能だったため、常磐道→北関東道→栃木都賀より
国道4号というルートにて。


一部が開通していた常磐道は非常に快適。地震何てあったの?というような
感じ。不気味な程に交通量が無い事と、原発に向かう自衛隊の特殊車両
が走っていた事を除けば…。


常磐道・友部jctから北関東道入り。常磐道と打って変わって道路は
ボコボコな状態。どんどん東北へ向かっているんだなと実感。


国道4号は、福島に入ってから30分毎にカーナビが原発避難指示ありの
VICS情報を受信。道路の波打ち加減も酷さを増していく…。



家を出て7時間、合計425キロを走り抜き、ついに仙台へ到着。
とりあえず電気は点いているよう。夜だからか、被害の状況は
まったく分からない。

本当に被災地なのか?という疑問すら起こる…。


車内で仮眠し、翌朝に友人宅へ。

友人の顔を見て一安心するも、過酷な被災地の状況を聞く。。
この友人の家は電気は通っているが、水道が復旧未定の状態とか…。


だけど、心は全く折れていない。
これからしっかり元の生活に戻す!という力強い言葉を聞けた。



朝になり明るくなった状態で周囲を見渡すと、特に壊れた家は見当たらず。
友人の話では、仙台の山沿いはあまり壊れた家は見られないとの事。

物資を渡し、海沿いにある地元・若林区へ移動。





道すがら、コンビニやスーパーに長蛇の列をなす人々。
ガソリンスタンドでは先が見えないほどの行列。
そして無残にも壊れた建物。。。


テレビで見た光景は、やはり現実だった。



2軒目の友人宅へ到着。
そこは海から5キロ程度離れた場所で、津波の被害は皆無だが、
友人宅の母屋は半倒壊状態。。


友人から色々と話を聞きながら出てきた、思ってもいない提案。


 「お前の実家、連れて行くよ」


実家に行く??

そんな事、考えてもいなかった。
津波直撃を受けた僕の実家、行くことできるのか??






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