シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ビルマVJ~消された革命

2010-06-28 | シネマ は行
軍事政府が支配するビルマ(ミャンマー)で、小型ハンディカムを用いて撮影した映像を衛星放送で国内で放映したり、国外のメディアに提供する若者たち。彼らはもし、当局に捕まれば、拷問、投獄される可能性に怯えながらも真の自由を信じて撮影を続ける。題名のVJとはビデオジャーナリストのこと。

批難を覚悟で書くとワタクシはこの作品を見るまで、戦場ジャーナリストのことを「すごいな」とは思っていたけど、たとえ彼らが亡くなったとしてもそれは彼らが好きでやってることだから仕方がないと思っていた。

この作品を通して見える彼らの「伝えたい」という気持ち、「世界の人々よ、僕たちはここにいる。僕たちの現実を知って。僕たちのことを忘れないで」という想いに、いままで自分が戦場ジャーナリストたちに抱いていた気持ちが変わった。

ここに登場するVJたちは、戦場ジャーナリストとは違う。彼らは自分の国の現状を世界の人々に知ってもらおうと命を懸けて撮影をしている。だが、彼らのスピリットを通して、ワタクシは初めて戦場ジャーナリストのスピリットを感じることができたのかもしれない。

2007年日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された僧侶たちが先頭に立ったデモの様子が撮影されている。当時、長井さんが射殺されたことももちろんショッキングな出来事だったが、軍事政権が僧侶に対してさえも暴力を行使したことがもの凄くショックだった。そのときに見たニュース映像がこの作品に登場する若者たちによって撮影されたものだったことはまったく知らなかった。この様子を撮影しているビルマ人でさえ、日本人ジャーナリストが射殺されたことや、軍が僧侶にまで暴力を行使したことはショックな出来事であったということがこの作品を見て分かった。おそらく、彼らにとっては自分たちの政府がそこまでのことをやるということの再認識ということがかなりのダメージになったのではないかと思う。

このデモの中で僧侶たちがスローガンを掲げるのだが、それが「いまこそ和解を!」というものだったことがすごく印象的だった。「打倒、軍事政権」ではなく、「和解」を求める僧侶たちにさえ暴力を行使する政府。こんなにやりきれないことはない。

アウンサンスーチーさんは言う。「あなたの持っている自由を持たない人のために用いて下さい」ワタクシたちが普段大して感謝もせずに享受している自由。そのことについて大いに考えさせられる作品だった。

最後にもうひとつ。「ビルマVJ」という題名を聞いて、「ん?ビルマってミャンマーに変わったんじゃなかったんやっけ?」と思っていたんだけど、この作品に登場する人たちはみんな「ビルマ」を使っていたから、これはなんかあるなと思って調べてみたら、「ミャンマー」という名称は元々ビルマで使われていた名称ではあり、「ビルマ」はイギリス植民地時代に使われていた名称であるものの、「ミャンマー」に変更したのが軍事政権だったため、軍事政権に反対する気持ちを込めて現在でも「ビルマ」と呼び続けているということだった。日本のニュースなどでは当たり前に「ミャンマー」が使用されているが、アメリカやイギリスなどでは「ビルマ」を使い続けているということだ。たかが、呼び名かもしれないけど、やはりどちらを使用するかに大きな意味があるということだろう。