シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

「ライラの冒険」(原作本)

2008-08-29 | 
映画「ライラの冒険」を見て、結構気に入ったので、原作を読んでみることにしました。

この小説は3部構成になっていて、映画「ライラの冒険」はその1作目の途中まで、映画化したものです。普通なら1作目すべてを映画化すると思うんですが、最後の部分がまだ映画になっていないんですよね。最後に行き着くまでも結構話の順番を変えて合ったりするところもあって、3部作で映画化するにあたって、話の変更を大幅にするつもりなのかもしれません。

3部作すべて読んでみての感想ですが、ワタクシはかなり気に入りました。1作目まではまだ、ライラが“いいもん”でコールター夫人が“わるもん”で、みたいな勧善懲悪系の話っぽいんですけど、実は実はそんな単純なものではなく、2作目に入ってからは善悪入り乱れての、というか、単純な“善”や“悪”といったものが明確に存在するという感じではないし、それぞれがやっていることはそれぞれの信念に基づいていて、それが善悪で簡単に割り切れるようなことではないところへと向かっていきます。

なんせ、主人公のライラの名前の由来が「ライアー(うそつき)」から来てるというのですからね。単純に“いいもん”なワケがありません。そして、2作目からの主役と言ってもいい「ウィル」これはやっぱり英語の「WILL(意志)」から来てるのかなぁと思います。英語圏で「ウィル」なんてどこにでもある名前だし、いちいち「意志って意味だね」なんて思わないけど、やはり物語の主人公の名前を決めるにあたって、意識したんじゃないかなぁと勝手に想像しております。

登場人物が人間、精霊(ダイモン)、天使、妖怪(のようなもの)、魔女、妖精(のようなもの)、巨大グマ、この世とはまったく違う進化を遂げた生物、神、と様々な種族に渡り、その数も非常に多いのですが、それぞれの背景や行動、その考え方などにきちんとスポットを当てて描かれてあり、ライラやウィルだけでなく、脇役の個々にかなり肉付けがしてあるところに、とても読み応えを感じました。

そして、お話は宗教学的なところから、哲学的なところへと進んで行き、これはもう「児童文学」と呼ぶには濃すぎる内容になっていきます。3作目を読んでいるときに、なぜかふとジェームズレッドフィールドの「聖なる予言」という本を読んでいたときの感覚に似ているなぁと感じた瞬間が何度もあったのです。本の内容が似ているとかじゃないんですけどね、読んでいる側の「“Whole New World”が開きそうな予感がする」というゾクゾク感が似ていました。(「聖なる予言」を読んだことがない人にはなんのこっちゃ分からんと思いますが)キリスト教的世界観を否定しているところも似ていたのでしょうね。

このキリスト教的世界観を否定するということが、現在の21世紀でどれくらい衝撃的なことなのかっていうのは、ちょっと分からないんですけどね。もしかしたらキリスト教圏で、特に熱心でもない人が読むと逆にいまさらって古臭い感じがするのかもしれません。

これから、2作目、3作目と映画化されていくわけですが、先にも書いたように、さまざまな種族の強烈な個性が入り乱れ、さまざまな世界を行ったり来たりするという複雑な内容をどうやって映画にするのかとても興味深いところです。

オマケご存知の方も多いと思いますが、「ライラの冒険」の公式サイトであなたのダイモンを教えてくれるコーナーがあります。ちなみにワタクシのダイモンはミサゴという鷹でした。物語の中のジョンパリーと同じだったので、うれしかったです。