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アランーー思想としての文体(一)「文体と思想――思想表現の『姿』」

2017-08-07 | 文学
  「アラン----思想としての文体」


 

 アランは、哲学史の書物の中に登場することの少ない哲学者である。彼に対するアカデミズムの評価は、一般的に決して高いものとは言えない。
----アランの思想は独創的なものではなかった。
----哲学を文学的な装飾によって解説した通俗的な哲学者である。
----フランスの旧き良き時代、つまり、人間性というものに希望が持てた時代の、時代遅れの思想家である。
 こうした批判がしばしばなされる。彼の著作の翻訳者達でさえ、「アランは饒舌な哲人である。繰り言の大家である」、「アランは独創的な哲人ではなく、祖述的な実践派の導師である」とか、「彼は哲学者として一流かどうか分からない」などと評している。
 確かに、彼は、過去の哲学者達の思想の再発見に努めて、新しい学説を唱えなかったという点からすると、独創的な理論家ではないと言えるだろう。また、専門誌に発表せず、新聞や文学雑誌に、哲学の専門用語を殆ど使わない文章を書いたという点で、通俗的とも言えるかもしれない。またさらに、他の哲学者達からあれほど批判にさらされていたデカルトの哲学に満足し、フロイトの精神分析を批判して、デカルトの「情念論」の立場を取ったという点では、時代遅れと言ってもよい。
 しかし、そうした思想態度は、アランが用意周到に選んだ外観に他ならない。独自の理論体系を作り出すことや、俗世離れしたアカデミズムに専心することや、最新の理論を自分の思想に取り込むことは、彼の望むところではなく、彼の意志は、彼の批判者達が目指しているところとは、別のところにあった。要するに、そうした批判が、アランの思想上の欠陥に由来するものと見做した外観は、彼にしてみれば、むしろ敢えて選んだ思想態度なのであって、その意志したところを解そうと、彼の外観をよくよく眺めてみるならば、それらの批判が付与したレッテルでは片付けられない、彼の思想の独創的な「姿」が現れて来るはずである。

一 文体と思想----思想表現の「姿」

 アランの思想は要約することができない。彼自身、思想というものは、要約不可能なものであると言っている。文体と思想は切り離すことはできない、文体の無いところに思想は無い、そう考えたからである。
 ここで思い出されるのが、「意は似せやすく、姿は似せがたし」という本居宣長の言葉である。小林秀雄は、この言葉のうちに、表現の問題に関する、ある非常に重要な思想を読み取った。普通ならば、逆に「姿は似せやすく、意は似せがたし」と考えそうなものである。聖人君子の口真似なら誰にでもできるが、その心は誰にも真似ることはできない。これが我々の常識的な感想であって、「意は似せやすく、姿は似せがたし」というのは、常識に反した考えのように思われる。しかし、ここに、宣長の思想の核心があると、小林秀雄は見た。
 別のところで、宣長は、「言よきとは、その文辞を、麗しといふにはあらず、詞の巧にして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也」と言っている。ここで彼は「言のよさ」と「文辞の麗しさ」とを明確に区別している。「言のよさ」とは、人受けのする巧みな饒舌といったものであり、そうしたもっともらしい理屈は、誰にでも「思ひつきやすく」、またその分、聞くものは「まどはされやす」い。衆人の「意」に沿うたもっともらしい言説は、昔も今も、衆人の同調を得るものだ。なぜなら「意は似せやす」いからだ。言をなす者も、衆人も、互いに「意」を似せ合っているのだ。しかし、「文辞の麗しさ」に至る道はそう簡単ではない。万葉の大歌人達の歌と同じような内容のこと  山川の美しさや別離の悲しみなど  は、誰にでも言えるだろう。だが、彼らの歌の「姿」を真似ることは非常に困難な業である。あの純粋で伸び伸びとした力強い調べは、容易に似せられるものではない。どんなに「意」を似せても、「文辞の麗しさ」には至らないのである。ここに、言葉というものに対する、宣長の非常に厳しい姿勢が見られる。それはそのまま彼の古文研究の態度にも現れる。『古事記』や『源氏物語』といった古の文に接する時にも、その「意」を知ることに終わってはならない、その「姿」、つまり「文辞の麗しさ」を味読するまでに至らなければならない。こうした言葉の「姿」に対する厳しさこそ、彼の国学を、単なる国粋思想に陥らせることなく、古文・古語研究における歴史的な業績を残す学問とすることができたのである。
 そして、その「姿」を追求する宣長の厳しい姿勢は、それを論ずる小林秀雄自身のものでもあった。彼は批評によって、対象となる作品や作家の、新しい解釈や新知識を目指してあれこれと議論したのではない。対象の「姿」に直に触れた生々しい感動なり衝撃を率直に描こうとしたのである。但し、率直に描くと言っても、それは思い付きをそのまま饒舌に書き記すということではない。彼は、宣長の言う「文辞の麗しさ」を味わう経験について、次のように述べている。「かういふ経験は、『弁舌』の方には向いてゐない。反対に、寡黙や沈黙の方に、人を誘ふものだ」、「『文辞の麗しさ』を味識する経験とは、言つてみれば、沈黙に堪へる事を学ぶ知慧の事」である、と。深い感動に襲われた時、人は沈黙を余儀なくされる。その感動を言葉にすると、嘘になってしまう。そうした体験は、饒舌から最も遠い所に在る。しかし、そうかといって、その沈黙に甘んじることは、小林秀雄にはできなかった。その生々しい美的経験を表現したいという激しい欲求、あるいは、表現しなければならないという強い衝動が、彼にはあっただろうから。小林秀雄の採った道は、この「寡黙や沈黙の方に、人を誘ふ」経験を、率直にありのままに語るという、逆説的な、非常に困難な道であった。沈黙を強いる生々しい経験に、言葉の「姿」を与えるという不可能事を、彼は追求し続けたのである。彼の逸話として、畳の上を這いずり回って身悶えしながら執筆したという有名な話がある。その真偽のほどはともかく、言葉の「姿」の追求に妥協を許さない彼の厳しい批評態度を、よく表した逸話であると言えよう。
 アランは、その小林秀雄が、ベルクソンと並んで、学生時代から親しんだ哲学者であり、その『精神と情熱とに関する八十一章』の翻訳もしている。
 アランもまた、「姿」を重んじた文筆家である。彼は文学を論ずるに当たって、しばしばスティルstyleを問題にする。スティルとは、文体のことであり、文字通り、文のstyle(スタイル)即ち「姿」を意味する。彼は、膨大な伝記的資料を集めて、作品を分解・整理して検証するような、ソルボンヌ式の実証主義的な文学研究を、強く否定した。彼の方法は、作家を知り尽くすまで作品を繰り返し読め、そしてその文体を自らのものにせよ、というものであった。作品を語るには、その作品に相応しい文体を先ず獲得せよ、ということである。彼のこの方法は、何も文学を対象とする場合に限らなかった。プラトンやデカルト、コントといった哲学者の著作に対する際にも、変わらなかった。一流の哲学者の思想は、その文体を離れて抽出できるようなものではなく、文体とともにあるものだ、思想の要約はもはや思想ではない。それが彼の考え方であった。
 そんなアランの思想が要約不可能なのも、ある意味で当然のことである。もちろんある纏まった考えが文章に述べられている限り、その内容の大意を述べるぐらいはできなくはない。しかし、詩を解説した文章が、しばしばその詩の色彩から懸け離れたものとなってしまうように、アランの思想は、要約してしまえばその力強い魅力を十分に伝えられない性質のものである。我々は、彼の歩いた道筋を辿りなおすだけでは、彼に近づくことはできない。彼の歩き方を思い描くことが大切だ。つまり、この文章の目的は、アランの思想を、その表現の「姿」----文体、執筆のあり方----において捉えることにある。

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