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アラン――思想としての文体(四)「文体と死者崇拝――祖述の思想」

2017-08-26 | 文学
 アランの『デカルト』という書の中に、次のようなくだりがある。
「かかる崇高な心の動きに代わりうるものを与える要約などというものは決してあり得ない。それよりもむしろ我々は、あたかも師匠の身振りや声音を模倣し、かくして無意識のうちに、己の最初の思想に身体的自然的な支えを与えるあの弟子達のなすように、この思想に耽るデカルトの風貌を心に描きつつ、いかなる状況をも無視することなしに、我々自身もまたこの点に瞑想を試みよう」(『デカルト』)
 思想を論ずるに当たって、「師匠の身振りや声音を模倣」する「弟子達のように」、「デカルトの風貌を心に描きつつ」などという批評態度は、現代の研究者や評論家達の中には、何と主観的で非科学的な研究態度だと、一笑に付する者もいることだろう。事実、知的領域における時代の趨勢は、アランの取った批評態度とは正反対の方向に進んでいるようである。
 近代の学問は、自然科学の方法をモデルとして、その厳密性・実証性に憧憬を抱いて進んできた。人文科学も、他の諸科学に比べると出遅れたものの、例外ではなかった。十九世紀になって、実証主義哲学の祖と呼ばれるコント(一七九八~一八五七)は、社会学という学問を新たに創り、人間知識の全領域の実証化を目指した。文学においても、近代批評の確立者、サント・ブーヴ(一八〇四~一八六九)が、人間精神の客観的な諸条件の精密な検討によって、「精神の博物学」を打ち立てようとし、テーヌ(一八二八~一八九三)、ルナン(一八二三~一八九二)といった批評家達が、その精神を継承してそれぞれのやり方で実証主義批評を展開した。その後も現代に至るまで、こうした科学的批評は、形は変わっても、ますます盛んになり、文献学、史的唯物論、精神分析学、統計学など、様々な科学的方法が導入されている。こうした時代の流れからすると、アランの批評態度は、時代遅れの前近代的な方法だということになろう。
 しかし、こうした時流の中でこそ、アランの批評態度はますます重要な意味を持ってくるのではないだろうか。アランは、その当時流行していた実証主義批評に対して、一貫して批判的であった。実証主義批評は、文学における科学的手法の導入の先駆けであり、作家の書簡や日記、その時代の社会制度や風俗など、その作家に関する膨大な歴史的資料から、作品を科学的に分析しようとするものである。それに対してアランが厳しく批判したのは、そうした批評が、作品を分析する主体である自分にとって、その作品がどういう意味を持つのかという、作品鑑賞上の根本問題を等閑に付する点である。そして、この批判は、彼の後世にさらに発展した形で現れた種々の科学的批評に対しても当てはまる。それらは全て、作品を分析の一対象と見做し、作品と己との内的な関わりを問題にしようとしないからである。
「当時、私にとって、不快だったことは、思索を自負する人々が、熱くなることもなく、これらのテキスト(過去の哲学者の著作)をひねくり回していたことである。それ以来、私に分かったことだが、殆ど全ての人の関心事は、新しい哲学を見出すことであり、これでは、古代の哲学者は、批判されるべきものに過ぎなくなる。私はと言えば、新しい哲学を発見することが可能であるなどとは、一度も思ったことがない。最も優れた人々が言おうとしたことを再発見できたら、私にはそれで十分であった。まさに再発見することこそ、最も深い意味において発明することなのだ。なぜならそれは人間を継承することだからである。」(『我が思索の跡』)
 ここには、昔から使い古された日常語に込められた思想を再発見するという姿勢と同じものが、そのまま見られる。彼は新しい哲学理論を構築するよりも、古人の哲学を再発見することに努めた。ここから、アラン自身、自分に独創性が無いことを認めているではないかと言うことほど、不注意な誤解は無い。彼が新しい哲学理論を築こうとしないのは、それ以上に求めるべきものがあったからであり、その意志にこそ、彼の独創性が有る。情熱を伴わぬ単なる知的理解によっては、その思想家の根底にあるものは捉えることはできないと、彼は考えた。
 こうした考え方が、彼の祖述的な文体を生んでいるのである。祖述とは、師や先人の思想を受け継いで、そこから自分の意見を述べることという意味であるが、批評界や研究の世界においては、あまりよい意味では使われず、いわゆる「受け売り」と同じような意味に取られ、オリジナリティーが無いということを意味する。それは、対象を分析の一対象として捉えようとする近代科学に影響された見方である。対象を全的に受け入れるべきではなく、対象と自分との差を明確にして、論じなくてはならない。賛嘆や尊敬といった主観を交えて対象を見ることは、対象の姿を歪めることであり、あくまでも客観的に対象を捉えることが真の対象の姿を知ることだ。それ故、単に対象の優れた点を述べるばかりでなく、批判もしなくてはならない。こうした考え方が、現代の批評界を覆っている。
 先にも述べたように、アランは、そうした人間理解の方法を斥ける。
「死者が生者を支配する」、「死者達の増大する重みは、絶え間なく働いて、我々の不安定な生存を次第によく統御してゆく」  このコントの言葉をアランは重んじた。この思想は、我々を呪縛する死者の霊力などというもののことを言っているのではない。あくまでも、生きている我々の意志の問題なのである。アランは次のように説明する。
「コントは、先ず現在における協力関係だけでは社会を定義するのに十分でないことを認めた。社会を形成するのは、過去から現在への繋がりである。だが、事実的なつながりでも、動物的な繋がりでもない。人が人と共に社会を形成するのは、人が人から相続するからではなく、人が人を記念するからである。記念するとは、死者達、しかも最も偉大な死者達の内に在った最も偉大なるものを甦らせることである。それは、このように純化された像に、出来る限り順応することである。それは死者達がそうありたいと念願していたと思われるもの、まれな瞬間だけ彼らがそれに到達し得たようなものを崇拝することである。偉大な作品、詩、記念建造物、彫像がこの崇拝の対象である。偉大な死者達への讃歌は絶えることはない。この偉大な影のもとに隠れ家を求めぬ著述家や雄弁家は無い。その一行一句に彼らは、あらゆる国語の中に刻まれている人間の天分のそれらの痕跡によって、別に意図することもなくあの偉大な死者達を呼び起こすのである。人が人であるのはこうした礼拝によってなのである。」(『教育論』)
 コントと言えば、先に述べたように、実証主義の祖などと言われるが、彼の思想はそれだけでは捉えきれないものがある。多くの研究者達は、コントの思想を、前期と後期に二分し、前期の実証主義を高く評価する一方で、後期の思想を神秘主義として、まともに取り上げようとしない。要するに、彼らは、実証主義という、時流に即した便利なイデオロギーを、コントの中に読み取ったに過ぎなかった。アランは、そうした見方を斥け、前期と後期で一見分裂しているかに見える、その思想上の困難にこそ、コントの独創的な思想があるのであって、それを捉えることが肝要であると考えた。先に引用したコントの言葉は、人々にあまり評価されない後期の思想のものであるが、アランは、ここに、人間理解に関する重要な思想を読み取った。
 過去の偉人達が、事実上、人間として偉大であったか否か、それは最早彼らが存在しない以上、我々には知りようもないことである。それは単に伝記的資料の不足だけが問題なのではない。資料の発見によって彼らの実生活の一部が明らかにされたとしても、事情は同じことである。生前の彼らを在りしままに知ることは、時代の隔たった我々には不可能であり、それでよいと、アランは考えた。伝記的事実の詮索よりも、偉人達が、作品によって目指したもの、その意志こそを、我々は理解すべきなのである。「歴史家達の手にかかると、ホメロスは実在しなかったということにもなる。だがいかなるホメロスも実在しはしなかった。いかなる死者もその作品だけの価値は持たなかった」(『宗教論集』)。だれにも実生活上の欠点が有ること、それは当然のことであって、いかに偉大な死者達といえども例外ではない。重要なのは、過去の偉人達はそうした愚かさや欠点とともに生きながらも、後世の我々の心をも動かし得る作品を創造するに至ったということである。バルザックが借金の返済のために作品を書いたのだとしても、我々の心を捉えて離さない彼の「人間喜劇」が現に作品として存する。その事実だけで、作品に表れた偉大な人間性を信ずることに何の不足があろうか。ここには、古人の弱さよりも強さを信じること、つまり「死者達がそうありたいと念願していたと思われるもの、まれな瞬間だけ彼らがそれに到達し得たようなものを崇拝すること」によって、己自身の弱さに打ち克とうとする意志がある。
 偉大な思想家は、その誤謬においても偉大なのであり、デカルトを訂正することよりも、むしろ、デカルトのように誤ることの方により多くの真実がある。そうアランは考えた。彼のデカルト論は、デカルトを単なる分析の一対象として、客観的な姿勢で論じたものではなく、デカルトを論じながら、それが己の思想を述べる形になっている。対象を語ることがそのまま自己を語ることになっているのである。それは、デカルトの思想を己の思想に引き寄せて解釈したということではない。己の生き方を通して、己の精神の糧としてデカルトの思想を考えたということである。
 祖述という文体は、アランにあっては、むしろ創造的な意味を持った表現の「姿」であり、古人の思想を、自己のうちにおいて、再構築する作業である。先の引用で、「我々は、あたかも師匠の身振りや声音を模倣し、かくして無意識のうちに、己の最初の思想に身体的自然的な支えを与えるあの弟子達のなすように、この思想に耽るデカルトの風貌を心に描きつつ、いかなる状況をも無視することなしに、我々自身もまたこの点に瞑想を試みよう」とあるが、それは単に想像力を働かせながら、デカルトを読めということではなく、生きたデカルトの「姿」が見えてくるまで、読みこなせということである。デカルトの哲学を、理論として知的に理解し、整理し、批判するといった態度では十分にデカルトの思想はつかめない。デカルトの思想の一つ一つの観念を、デカルトという一個の人間の生き方において、捉えることが重要である。そうすることによって初めて、デカルトの思想を己自身の生き方の問題として、人間性の根源にまで立ち返って考えることが出来るのである。こうした姿勢は、デカルトに対してのみならず、過去の大哲学者や大作家達を理解する時のアランの基本的な方法であった。アランの文章が、古人の思想を祖述しながらも、その文体のうちに、まさしくアランという人間の「姿」を感じさせるのは、そのためである。


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