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将棋教室を一つ閉じる。

2018-03-16 09:09:05 | 将棋
これも終活の一つ。
長年主宰してきた子ども将棋教室を一つ閉じることにしました。
もっともエネルギーを必要としていた教室。用海公民館での毎週木曜日夜の教室。
最初は大人対象の「用海将棋会」を立て上げたのでした。
会則制定日が1998年4月1日となってますので、丁度20年前。
わたしも若かった。
この際書いておきますが、現在西宮市の公民館で活動している将棋グループの3か所の開設にわたしは関与しています。
先ず、西宮市で最初に作ったのが春風公民館。
わたしは設立メンバーの一人でした。
40年近く昔のことだったと思います。

次に瓦木公民館。
これは初心者講座の講師で行って、受講者が、講座が終わった後も続けたいという意向があって助力したもの。
もう20年以上も昔のことですが、今も活発に活動しておられます。

それから用海公民館。
毎年夏に「宮っ子」の主催で将棋大会を催していました。
その後、単発で子ども教室の講師を何度かやったことがありました。
将棋大会の参加者(大人)から、わたしに将棋クラブを作ってほしいと要望があり始めたのが「用海将棋会」でした。
それが21年前ということなのでしょう。
半年間は定期的に集会を開き、実績を残して正式に認められたということでした。
少々苦労しましたが、あのころはわたしも若かったので。

その大人の会に、子どもも3人ほどがやってきたのが、子ども将棋教室の始まり。
(拙日誌には、2000年10月16日に子ども三人に指導と記載あり)。
やがて子どもがどんどん増えて、大人と同じ部屋では無理となってきました。
子どものことですので、うるさい。大人が集中できない、というこ
とが起こってきました。そこで、別室を予約して、子どもの部を独立させ、わたしが面倒をみることにしました。

昨日、わたしの過去の日誌を調べました。
すると、2005年3月31日に子どもの部屋予約と記載がありました。
ということで、もう13年になるんですね。
ところが、その部屋代を大人の部の会計で負担していたのです。
半年も負担し続けたのですが、「それはおかしい」と私、思いました。
自分の時間を犠牲にして講師役をやり、しかも部屋代までもと。
いや、指導が嫌ではないんです。
子どもと触れ合えるのは楽しいことでもありました。
しかし釈然としない。
そこで、中央公民館に相談に行きました。
すると「子どもからも会費を徴収しては?」などと言われました。
だけど今更です。子どもの出入りは激しくて、会計事務も煩わしい。
実は子どもからも徴収していた時期がありました。
月200円でした。それで将棋の本などを購入して与えていました。
でもやはり煩わしくてやめました。
いろいろと折衝の結果、「公民館推進員会」の主催でやってもらうということになりました。
そうすると部屋代は不要となります。
しかし、公民館推進員会が主催すれば新たに講師には謝礼が必要
となります。
ところがそれは予算上難しいということで「謝礼は不要です」とお願いして、「用海子ども将棋教室」は始まったのでした。
それが2005年9月のこと。
公民館推進員主催といえども推進員さんはお世話してくださいません。13年間で一度だけ見学に見えたことがありましたが。
その後、どんどんと子どもが増え、多い時は30人を超えることもありました。
13年間、我ながらよくやってきたと思います。
始めはわたし一人で指導していたのですが、見かねて久斗さんや藤永さんがお手伝いしてくださるようになりました。
やがて久斗さんはご高齢になって子どもの部から離れられましたが、藤永さんはずっと続けて、昨夜もお世話をしてくださいました。
書き添えておきますが、講師謝礼のことです。
ここ数年前から、「いくらなんでも講師料ゼロでは申しわけない」
ということで、
「要らない」と言ったのですが、藤永さんと私の二人に年間一万円戴くようになりました。
年50回ほどの開催ですので、一回当たり一人100円ですね。
ということで、13年間、ほぼ完全にボランティアでやってきました。
藤永さんも巻き込んで申し訳ないことでした。
こんなこと、保護者の方はご存じないでしょうね。
コメント
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