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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「火曜日」

2014-10-24 17:36:57 | 原稿
えらいことである。
「火曜日」の原稿だ。
この前の合評会はわたし都合で欠席した。
その時には詳しい話があったのだろうが。
ということでわたしは、次号の〆切りを、送られてきたプリントでしか知らなかった。
それには≪火曜日120号記念特集について≫とあり、締め切り…11月30日とある。
わたしはこれを全部の原稿についてのものだと思い込んでいた。
というのも、前々回の合評会の時に、120号は記念号になるので充実したものにしよう、締め切りを延ばしても、という話が出ていたもので。
ところが違った。
119号を何気なく見ていたら、「次号の原稿締切は10月31日です。」とあるではないか。しかしこれは、印刷に入る段階ではこうであったが、その後、特集号が組まれることになり、締切は延びたのだと思っていた。それでプリントに改めて赤字で「11月30日」と書いてあるものと信じていた。
でも今日、なぜか気になって編集者の一人のSさんにメールで確かめた、「締切は11月末ですよね」と。
しかし帰って来た返事にわたしは愕然となった。
それは特集原稿についてのみで、いつもの作品原稿は10月末なのだと。
もう、「うわ~~~~~っ!!!」である。
全く間に合わない。
散文ならなんとかなるが、詩作品はそう簡単には出来上がらない。
この前の「ある詩人の草稿」にも書いたが、推敲に相当の時間がいる。というのも、一旦書いた原稿を一晩寝かせて、また推敲。それを何度も繰り返すので、日数がかかるのだ。
さてどうしたものか。今回はパスするしかないか?
コメント (2)
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「地平線」

2014-10-24 14:17:15 | 足立巻一先生
先に書いた記事の中に「地平線」というのがある。
これはわたしが初めて参加した同人誌で、創刊号を1983年に出している。
川上美智子さん八田光代さんとの三人誌だ。
しかし、7号を1986年に出してからまだ次の号を出していない。
ちょっと事情があったのだが、その7号の「三叉路」と題した後記の終わりの部分にこう書いている。
~足立先生に読んでもらえないと思うと、なかなかその気になれなかったが、やっと七号を発行することが出来た。「三人だけでいいから、続けなさい。要は続けることです」と、いつも言って下さっていたことを思い出して…。~
こんな文章で終えていて、あとを出していない。
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古い絵はがき

2014-10-24 13:42:31 | 菅原洸人画伯
昨日、洸人夫人から届いた封筒の中に入っていたもの。

洸人画伯のピエロの絵ハガキです。
しかしこの絵にはサインも印もない。

夫人のお便りには、先日の洸人展への礼を述べられてい、そしてこのハガキについてのことが、「何十年か前に出しそびれていたものです。」と。ピエロの絵が良いのでおいていたのが出て来て、とのこと。
ありがとうございます。
そのハガキの表には

~みどりの美しい季節となりました。
 先日は「地平線」お送り下さりありがとうございました。
 小さな詩集、でも中身はピカッと光っています。~


ここまで書かれているが、余白の残り方がいかにも中途半端で終わっている。まだ書き足して投函される予定だったのだろう。宛名もないし、切手も貼られていない。
ここまで書かれて、何かがあったのですね。またあとで、と思いながら出さずになったと。
何があったのでしょうね。
あ、このハガキの文字は洸人さんではなく、奥様の字です。「地平線」を出してた頃だから、もう30年ほど前だ。
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日誌

2014-10-24 08:56:39 | 日記
ブログ以外にノートに日記をつけている。
もう50年ほども。
わたしのは日記というより日誌だが。
その昨日の分。

〇隣の工事の振動でずれた屋根瓦を大和ハウスに直してもらう。
雨漏り、治るだろうか?

〇K氏の写真作品が出てるというので市民ギャラリーへ。
K氏、写真をなさるというのは知っていたが、これほどの腕前だったとは!

〇洸人夫人から封書。
画伯のピエロの絵はがき。
夫人が書きかけの文面。もう30年ほど昔のものだ。どういうことだったのだろうか?

〇「Mの草」(古書店)のKさんからわたしに宛てての詩が郵送されてくる。
「最後の授業」、涙滲む思い。Kさんは元々詩人だったとか。

〇将棋会。
先日の文化祭での大会で、外部参加のM氏の態度の悪さについて毒舌吐く。


ざっとこんな感じで日誌をつけてます。
この中からブログに上げるものを選んだり。
イニシャルのところ、日誌には当然ながら本名で書いてます。
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あすから「杉山平一生誕100年…」

2014-10-24 07:39:20 | 杉山平一先生
今朝の新聞に記事が。いつもながら記事拝借お許しを。

記事を田中真治記者が書いている。
この記者さん、よく勉強しておられる。
以前「輪」にお見えになった時、わたしこうアドバイスしました。
「今、杉山先生が西宮の娘さんのお宅で生活なさってます。今のうちに取材なさったら?」と。先生は宝塚にお住まいだったが、体調を損なわれて、娘さんと一時的に同居なさっていたのだった。田中記者はその時、西宮支局に勤めておられた。今は宝塚支局です。
結局彼は忙しくしていて生前の杉山先生には会わずだったのでは?
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