文明ロード

開店までの生々しい道のり

文明ロード最終回「ロードから通信へ、まだまだまだまだつづきは残ってる」

2007年07月10日 | Weblog
この文明ロードってやつは、
「開店までの実況中継」っていうのがテーマなんで、
開店してしまった今、お役御免なのである。

 だから今回が文明ロードの最終回です。
今まで読んでくれてありがとうございました。
 
 さて、今後ですが、
お店の運営実況中継的な趣旨に変えて、
装いも新たに、

「文明ロード」改め「文明通信」となります。
名前が変わるだけで、またなんか始まるんかい!そうです(笑)。

 そんなわけで、今回の文明ロード最終回ですが、
まず皆さんにお詫びしたいことがあります。
それは・・・

 実は、珈琲文明は、7月7日ではなく、6月16日から
既にオープンしてました・・・。

 もちろんグランドオープンはこないだの七夕で間違いないんですが、
いわゆるサイレントオープンという手法で、
プレオープンってやつです。
 サイレントオープンの趣旨というのは、
最初から爆発的に宣伝とかして、集客したものの、
オペレーション&スキル不足のために、
大切な初回のお客様に不快な思いをさせないために、
宣伝もせず、あたかも前からそこにとっくにあったかのように、
ヒッソリと開店すること。
 一般的には、この期間に親戚・友人・知人などを呼んで、
内部オペレーションのチェックをはかりながら、
店内をブラッシュアップしていくのだが・・・、

 俺がこのサイレントオープンっていうのをやりたかった本当の理由は、
これら一般論とはちょいと異なる。
俺は、何の宣伝もなく、口コミもまだ起こるわけもなく、
ただそこをフラーっと通りがかったというだけで、
「ほう、こんなのが出来たんだ、入ってみっか」
っていう人を見てみたかったからである。
友人・知人じゃない完全純粋新規の人と
出逢いたかったからである。ホントにただの興味本位である。

 特にサイレントオープンしてからの、いっちばん最初、NO1、
記念すべき第一号のお客さん、っていうのはいったい誰なんだ、
っていう興味、今後俺が死んでも残るつもりで、
永きに渡り運営していくこの店の第一号お客さんって、
どんな人なんだろう?っていう、とてつもない興味があった。

 そんな第一号のお客さんに向けて手紙(実物は手書き)を書いた。
この手紙をもって文明ロード(完)としたい。

珈琲文明来店第一号のお客様へ

 初めてのご来店 ありがとうございます。
当店にとりまして、あなた様が初めてのお客様になります。

 このお手紙はオープン前に書きました。
当店がオープンして、一番初めに来店されるお客さまは、
いったいどんな人なんだろう、
男性だろうか?女性だろうか?
年上だろうか?年下だろうか?
いろんな想像にワクワクしながら、
今この手紙を書いています。

 あるいは、こんな手紙を突然渡されて困惑なさるかもしません。
でも、抑えきれない思いを込めたこの手紙を直接手渡したい気持ちは、
もうどうしようもありません。

 珈琲文明は本日この瞬間から、百年続けていくのが目標です。
大袈裟な!と笑ってください。
しかしこれは大真面目に思っています。
つまり私が死んでもこの店は残したい、という、
とにかくかなりの長きに渡って続けていきたいというのが、目標です。

 こんな具合に考えておりますもので、
「これから百年続くこの店の、
記念すべき第一号のお客様」ということで、
こちらとしましてはかなりの興奮状態にありますので、
実際にお客様がいらした時の自分の感情、表情、がどのようなものなのか、
自分でも想像ができません。

 今回、本当の意味で、第一号のお客様を知りたいということから、
親戚、知人、友人にいたるまで、かなり徹底して、
本当のオープンの日も伏せて参りました。
大掛かりな宣伝もせず、ひっそりと開店してみました。
そんな中で、最初の扉を開けていただいたわけです。
この縁を大切にしていきたいと思います。
今後、何十年後かにこの店が「老舗」と呼ばれるほどになった暁に、
「この店は私が第一号の客なんだ」と感慨深くなっていただけるよう、
これから頑張って運営していきますので、よろしくお願いします。
同時に第一号のお客様にはいつまでも元気でいていただきたいので、
いつも、いつまでも、ご多幸をお祈りしております。

 突然こんなものを渡してしまい申し訳ありませんでした。
ただ、私自身、随分前から、お客様第一号の方に早く会いたい、という気持ちでいっぱいでした。
 本日、やっと会えました。感激です。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 2007年6月 16日
珈琲文明 赤澤珈琲研究所代表 赤澤 智

Vol.31 「お店でライブってやるの?」

2007年07月06日 | Weblog
さすがに明日がオープンなんで、本日はもういっちょアップします。

 これまた今さらすぎる話をする。
珈琲文明ではライブをするのかどうか、ということ。

 防音設備をしてないハコのため、
ドラムとベースはNGとなる。
アコースティック系のライブをそのうちやっていきたいと思う。

 当初はレトロクラシカルな重厚路線のコンセプト作りに励むので、
しばらくはライブそのものを封印としますが、
まぁ数ヶ月もすればチョコチョコと弾き語りなんぞを始めたり、
知り合いのミュージシャンに出演交渉したりもしようと思う。

 でも7月7日のグランドオープンだけは、やります。
コブラツイスト&シャウト フルメンバーでやります。
時さんはパーカション、ラバンバはミキサー直結の出力とかで。
音量は絞りつつも、初公開の新曲中心で、しかもアコースティックアレンジ。
コブシャウフルメンバーでやるのはおそらくわが店では、
最初で最後な感じです。
コブシャウのライブはやはり爆音が出せるライブハウスでやりたいし、
なんとなくこのケジメみたいなものはつけていきたい。

 珈琲文明では定休日(いまだに決まってないが)などを利用して、
いろんなイベントもそのうちやっていけたらいいなと思っている。
幸いにして、俺にはミュージシャンやカメラマン、絵描き、漫画家、
タレント、ダンサー、いろいろなアーティストの知人がたくさんいる。
こういった人達をプロデュース出来る場を持ってるっていうだけでも
光栄である。これもお楽しみに。

 さて、アコースティックライブの話に戻す。
現時点で考えてるものとしては、自分自身の弾き語りというものを、
毎月第4金曜日(決まってるんかい!)とかに、チャージとかは完全無料、
その日の閉店後に、そこに残っているお客様相手にだけ歌う、というもの。
ジャイアンじゃないんだから、聴きたい人だけ聴いてくれたらよくて、
歌の途中で帰っていただいても全く構わない。
いわばストリート的に朗々と、のうのうと歌ってるだけにしたい。
だから、逆に追加オーダーもダメで、レジは〆てしまうことになる。

 いくらコブシャウで13年やっていようが、
コブシャウナンバー以外のオリジナル曲のほうが未だに多いわけで、
そういう普段は陽の目を見ないオリジナルソングや、
お気に入りのカバー曲なんぞもどんどんやっていきたい。

 4年に1回のオリンピックユニットと言われてる(笑)、盟友シャケとの
「おじやと鮭鍋」の登場回数ももう少し増えて、
ワンシーズンに一回位にしたいかなとも思う。
※ 露出頻度なんと16倍!すげぇ!

何のしがらみもない、純粋な意味での音楽が出来る喜び。
適切で、正しい、自分の居場所。
遥か昔から、ずーっと、やりたかった。
そう、これがやりたかった。

 「メジャーからの生還」で、つづきが残ってる!
と言いながらも、やっぱ半分腐ってた、あれから6年、
あの時の自分をここに招待したい。
「つづきの形」を見せてやる。

 珈琲文明 オープンです。
どうにかこうにか、こぎつけました。

2007年7月7日(土)、午後6時、
皆さん我が晴れ舞台、見に来てください!

※ 当日、一見、関係者や知人友人のみの貸切っぽい雰囲気になってるかもしれませんが、
当然、どなたでもご入場いただけます(チャージ¥1000だけかかりますが)。
というより、フラっと入って来てくれる方がいれば、
こんなに嬉しいことはありません。

※ この「文明ロード」の趣旨は「開店までの実況中継」ってことだったので、
突然ですが、次回を最終回とします。
冒頭で、「今度はなかなか終わらない」みたいなこと言ってましたが、
いったん区切りをつけて、新たな形態をとりますので、
そのへんも含め、次回お知らせします。

Vol.30 「禁煙について」

2007年07月06日 | Weblog
いつのまにやらこの文明ロードももう30回か・・・
今さらだけど、結構重要な特記事項をまだ言ってないことに気づいた。

 ズバリ、うちの店、珈琲文明は「禁煙」の店です。

喫煙者の皆さんには多大なる不便をおかけします。
どうもすみません。
タバコと珈琲の組み合わせっつうたらよ、
刺身とビールだべ、納豆にネギだろうが、馬場と猪木なんじゃねぇの?
いろんな非難轟々も承知しておりやす。

 でもこれは何度も何度も俺の中で悩んだ挙句の決定事項です。
10坪程度の店で「分煙」は、あまりにも無意味です。

 珈琲をおいしいと感じる要素の中で、アロマ(芳香)というものがある。
匂い、香りも含めて、最高の珈琲を提供したい、というのがやはりその理由である。
実際、スペシャルティコーヒーの基準の中にもアロマ(芳香)というのが、
採点基準の中にもあるわけで、アロマも含めてスペシャルティコーヒーということになる。
珈琲文明は「おいしいスペシャルティコーヒーの店」と銘打ってる店だ。
禁煙にしないとこの文句に偽りが生まれる。

 嫌煙家はもちろんだが、喫煙者の中にも、
おそらくタバコの煙のニオイは嫌いっていう人が多いのではないだろうか。

 俺自身、6年前までは結構なヘビースモーカーだった。
タバコと珈琲の組み合わせの大ファンの一人でもあった。
だから喫煙者の気持ちもよーくわかる。

 まぁ、何を言われようが、うちの店にキースリチャーズは入ってくれなかろうが、
もう覆らないことなので(突然突き放した言い方になった・笑)、
どうかご協力宜しくお願いします。

Vol.29 「他人の言うことを聴かない努力」

2007年07月04日 | Weblog
前回述べたランチェスター戦略を忘れずに、
我が珈琲文明も珈琲に的を絞って、経営していこうと思う。
今、忘れずに、と言ったが、
いろいろと不安にもなってくるもので、
しかもこういう、不安な状況下になると、
この手法がよくないのではないか?とか、
やはりメニューを増やしたほうが・・・とか、
まさに真逆の発想の誘惑が起こることがある。

 最も厄介なのが、他者からのアドヴァイス。
今どきのカフェならやっぱりフードを充実させなきゃ。
値段をもう少し下げたほうがいいのでは?
モーニングサービスやったほうがいいんじゃない?
主役を珈琲に絞った営業でいこう!と決めたにもかかわらず、
でも必ず浮上するであろう意見、アドヴァイス。

 言ってくる人は、もちろん悪意などなく、
心底、良かれと思って助言してくる。
 
 でも、その店のトータルコンセプトや、戦略、理念、武器、奥義(?)、
本当の意味での弱点、等・・・
これらを部分的にではなく、全体として把握しているのは、
誰が何と言おうが、絶対にその店のオーナーである。

 語弊を承知で言うと、とにかく自分が思い描く重要コンセプトが
変わってしまうような助言や提案は、
歯を食いしばって、受け入れを阻止する必要があると思う。

 そもそもコンセプトそのものに不安になったときに、
相手に意見を求めてはいけない、と思う。
相手は全体を見てるわけではないわけで、
でもそれなりにその店のことを真剣に考えて、意見を言ってくれる。
こういうときの意見っていうのは、
結局、たいがいはコンセプトと真逆方向の意見が浮上することになる。
 これはその意見を言ってくれた人には全く責任はなく、
もちろん感謝はしなければならない。
問題は、そういう意見を乞うことにしたオーナーに責任があるってこと。

 サラリーマン時代(塾時代)、各教室長たちが集まって、
頻繁に会議があった。特に何も無いときにもスケジュールとして会議はあった。
特に繁忙期でもない、比較的余裕がある時期の会議で、
差し迫った案件もない中、
「生徒が来るのを講師は玄関で待ってて、迎えてあげて、
座席まで誘導してあげる」という提案が出た。
素晴らしい、これぞホスピタリティーだ、とかになって、
この案が決定になったことがある。
 俺は自分の教室をかんがみ、通年で?どんな繁忙期も?
遅刻者の存在は?、などなど、複眼的に見るといつかは破綻する企画だと思ったため、
自分の教室では導入しなかった。
ここで迷いが生じ、講師たちに相談をもちかけたりしたら、
我が教室の講師たちはみんな人がいいもんだから、
「いいですね、やりましょう」とか言いそうだったが、
こう言うとき、やはりその行為その部分のみの良し悪しだけじゃなく、
いろんな背景や全体を見ないといけないと思うし、
しかもその判断はそこの責任者が最も出来ると思うのだ。

 話を戻すが、自分が目指す基本コンセプトがブレることに繋がるような、
部分的な提案、アドバイスには、感謝をしながらも、
すぐに受け入れないような努力が必要だと思った。
そう、努力のレベルである。頑張って、受け入れない、という・・・。

 最悪なのは、その助言や提案に従って、しかもやっぱり良い結果にはならず、
「俺はだから嫌だったんだ!ああ、あの時あの意見なんか聴かなければ・・・」
なんて、思った日にゃ、超最悪最低の自己嫌悪にもなろう。
そしてよかれと思って助言をしてくれた人に対し、
これほど失礼な物言いもないもんだ。

 頑固一徹、他人に聞く耳持たないのも良くないが、
本当の基本ライン、生命線とも呼べるコンセプトは、
守り抜くのが経営責任者としての「責任」であろう。

Vol.28「少人数で戦う術」

2007年07月03日 | Weblog
 個人経営は、中小企業どころじゃなく、超少人数体制である。
少数派には少数派なりのふさわしい経営方法というものがある。
とても有名な話として、「ランチェスター戦略」というものがある。
もともとは「人数が多いほうが絶対に有利」という発想のことなのだが、
それが転じて、今度は逆に「小が大を打ち負かす方法」みたいなことで、
世のビジネス指南書には出てくる。
 この考えを俺なりに、自分の言葉で述べてみると、 
個人が複数相手に戦わないといけない時、
「戦い」と今言ったけど、本当に言葉どおりに、
「喧嘩」(しかも肉弾戦ね)とかをイメージするといいだろう。
10人の相手と喧嘩しないといけない場合、どういう行動に出るか?

 理想的なのは、一人しか通れない狭さの階段にのぼり、
敵を迎え撃つ。相手は縦に10人。
常に一対一、サシ、対マン(笑)、それでいてその対マンを10回繰り返す。
階段の上っていうのはある意味マウントポジション(まさに)、
個対個ならこっちの戦力が上回るわけだから、
確かに体力的に疲れるし、生易しいもんでもなかろう、
でもこの手法なら勝機は見出せる。

 と、俺なりのランチェスター戦略とはこのようなふうに理解しているが、
なんだか昔のツッパリ学園喧嘩系の漫画みたいな話になってきた・・・。

 何が言いたいかっていうと、
弱小、個人経営の飲食店が心がけないといけないことは、
「狭い階段」を舞台に戦うこと。
つまり商品・メニューをとことん絞り込み、
ターゲットも絞り、
そもそも有利な状況、「階段の上」にいること。
つまり得意分野で勝負すること。
これに尽きる。


Vol.27 「廃業・失業の肌ざわり」

2007年07月02日 | Weblog
 おもしろいというかおもしろくないというか、そんなデータがある。

起業後1年以内に廃業する会社は30~40%にのぼり、
3年以内で70%
10年以内で実に93%が廃業するのだそうだ。

 もう一つ。
起業したい、と考えている人のうち、
本当に起業する人は100人中6人。

 先に述べた話とこれを組み合わせると、
つまり、起業という考えに至り、本当に起業し、
しかも10年後にうまくいってる人は・・・

2500人に3人

ということらしい。
確かに、笑っちゃうほどの夢や希望の無さである。

 ポジティブであり続けることも大切だが、
とことん最悪の発想を感じることもそれ以上に大事だと思う。
 橘 玲 という人が自著のエピローグでこんなことを書いている。

「ではなぜ、私は、新宿中央公園に引き寄せられるのでしょうか?
ホームレスに同情したり、見世物にしたり、嘲ったりするのではありません。
(中略)私たちがともに抱いているもの、それは恐怖です。
あなたは、この恐怖の味を知っているでしょうか?
パークハイアットの贅を尽くしたレストランの席に座ると、
私はこの暗い公園に目を向けずにはいられません。
なぜならそこには、薄汚れたダンボールハウスに住み、
残飯を漁る私がいるからです。
あなたには、この恐怖の肌ざわりがわかるでしょうか?
もしそうなら、あなたもまた、リスクを負って活きることの意味を
知っているはずです。」

 ホームレスなんて、そんな大袈裟な、という人なら別にいいんだけど、
俺はこの感覚、この恐怖の肌ざわりを知っている。
それも今回の開業の際にではなく、
6年前、「音楽活動の、活動のしかたを変える」ことを決め、
34歳になってからの就職活動の際に、
この感覚をあまりにもリアルでビックリするほど、感じたことがある。
当時、身も心もボロボロだった精神状態だったこともあるが、
就職活動中、いくつかの会社から不採用通知が来たり、
全く魅力のない会社に面接をしにいき、
ここで採用されても働きたくないなぁ、と思っている中、
そんなところからも不採用(しかも通知も連絡もなく)だったり(笑)、
実際に落ちた数はそれほど多くはないのかもしれないが、
とにかく、俺は永久に職にありつけないんじゃないか、
という少しヤバめの精神状態に陥ったことがある。

 あの時のあの感触は、その後就職した会社にいたときも忘れたことはない。
今でもすぐに、この肌ざわりを妙にリアルに俺は感じ取ることが出来る。
 ただし、「恐怖の肌ざわり」というフレーズとはチョット違う。
「恐怖」ではない。もっと単純に「廃業の肌ざわり」といえばいいかな。

今回はじめに述べた数字の話も、だから「恐怖」とか「絶望」とはなっていない。
幸いに。でも「廃業の肌ざわり」はわかる。

 廃業=「恐怖」や「絶望」ではないし、
また、廃業=「失敗」でさえないと思っている。
「失敗」っていうのは、「何もしないこと」と同意語だと思うから。

 こんなことを思う今の俺は、
やはり6年前に比べポジティブになってると、言うしかないだろう。
 そう、どう転んでも、6年前のあの時ほどじゃない・・・。
 開業前のドタバタや不安もあるが、
今、俺は幸せである。

Vol.26「最も素晴らしい本」

2007年07月01日 | Weblog
 前回チラっと述べたが、この4年間で読んだ開業に関する本や雑誌は118冊ある。
これらの本の中で最高のものは何か?と訊かれた場合、
俺は全く迷わない。即答出来る。

本のタイトルは、

「自由であり続けるために、僕らは夢でメシを喰う」

出版元はサンクチュアリー出版というところ。

どうやら残念ながらもう廃版らしいが、
古本屋などで見かけたらぜひとも読んでほしい逸品です。

 実はこの本、何を隠そう、俺が読んだ118冊のうちの一番初めに読んだ本なのだ。
そして、結局その後の117冊の本はこの本を超えるものではなかったっていうこと。

 最高におもしろおかしく、やるせないほどポジティブで、ナメてて、
でもシビアで、かっこいい。
とにかく俺の中では大絶賛の名著である。
もう4,5回は読んだはずである。
こんな素晴らしい本に最初に出会ってしまい、なんといってよいのやら。

 中学二年の時、教育実習の先生のお別れ会で、友人とギターの弾き語りライブをやって、
バカみたいに盛り上がり、その教育実習の先生も涙を流し感動してくれた、
あの最初のライブがあったからこそ、
調子にのって、俺はその後27年間音楽活動を続けてきているともいえる。
やはり最初の体験は大事なのだ。

 今日はここまで。