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壬申の乱に勝利した高市皇子の悲劇・歴史カフェ阿蘇

2019-07-19 13:31:09 | 81令和元年万葉集を読む

壬申の乱を勝利に導いた高市皇子の悲劇・歴史カフェ阿蘇

熊本県阿蘇郡西原村での歴史カフェは、7回目となります。今年は万葉集のお話です。7月31日(水)のテーマは「壬申の乱を勝利に導いた高市皇子の悲劇」となっています。

                     

壬申の乱は、大海人皇子(天武天皇)の周到な計画のもとに起きた内乱でした。天武は東国の兵を召集していました。ですから、吉野を脱出して不破ノ関辺りのワザミが原の仮宮にいて、動きませんでした。天武の代わりに軍を率いて活躍したのが、高市皇子です。万葉集の「高市皇子の挽歌」にはそのように書かれています。

この内乱の大義名分は、当時の社会に受け入れられたのでしょうか。

この後の天武朝の皇位継承に関する事件を見ると、壬申の乱には矛盾と無理があったようです。天武天皇の皇統はことごとく政変に巻き込まれ命を落としていくのですから。

ですから、高市皇子は天武天皇の長子として生涯苦労しました。

壬申の乱後、高市皇子は天智天皇の皇女を二人、妃に迎えました。
天武帝に愛された大津皇子には天智の皇女は一人、山部皇女だけです。
皇太子だった草壁皇子にも天智の皇女は一人、阿閇皇女だけです。
滅ぼした王朝の皇女たちは天智天皇の血統ですから、他の有力者に渡すことはしません。天武天皇自身も天智天皇の皇女を四人も召し入れているのです。(大田皇女・鵜野皇女・新田部皇女・大江皇女の四人です。それぞれの皇女が皇子を生みました。)
ですから、高市皇子が天智天皇の皇女を二人も妃に迎えたのは特別です。御名部皇女と但馬皇女です。こともあろうに、但馬皇女は穂積皇子に恋して、高市皇子を裏切ります。
穂積皇子に惹かれる歌や密かに会いに行った歌が万葉集に遺されていますから、周囲の者はみんな知っていたのです。

その上に、高市皇子は近江軍の総大将だった大友皇子の妃(十市皇女)を引き受けさせられました。十市皇女は大海人皇子(天武天皇)と額田王との間に生まれた長女でした。
母の額田王と共に近江に下り、大友皇子の妃となって王子も生んでいました。
高市皇子は、そんな義理の姉を引きうけたのでした。十市皇女も高市皇子もいろいろ思うところがあったでしょうし、うまく収まるはずはありません。
やはり、事は起こりました。
十市皇女が宮中で突然死したのです。たぶん、自死だと思います。
天武天皇は斎宮での儀式を取りやめ、急ぎ戻ります。父にもショックだったでしょう。

さて、壬申の乱後、高市皇子は藤原宮を造営しました。彼はそのころ何処に住み、どんな暮らしをしたのでしょう。そして、死後、何処に埋葬されたのでしょう。
その飾り立てられた遺体は、明日香のメインストリートを通り城上の陵に埋葬されたのです。
万葉集で一番長い挽歌を柿本人麻呂に献じられた高市皇子は、どんな人だったのでしょう。

では、七月三一日(水)西原村でお会いできればうれしいです。

会場は、熊本県阿蘇郡西原村小森1805です。「平田庵」の駐車場が開いています。水曜は、平田庵はお休みです。会場は平田庵駐車場に隣接しています。
宜しくお願いします。

お知らせでした。

 


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