歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

気になったので“穴”を埋めしました。

2008年04月16日 | 街の風景
我孫子市役所へ続く、“この坂、この風景が気になる、見覚えがある”と、4月15日のブログに書きました。


     【我孫子市役所への道】


記憶を辿りると、それは、土浦の市役所ではなかったかと思ったのです。そして、16日に行って来たのでした。

土浦市役所も、我孫子市役所と同じく、市内を見下ろす山の上にあります。こちらの“ちか道”は裏道です。

    
我孫子市役所よりも、かなり古ぼけた庁舎です。


下はこんな風景。


折角行ったので、観光ガイドのパンフを貰ってきました。


我孫子で見た、坂の途中に司法書士や行政書士の“あの風景”は何処にもありませんでした。


あの見覚えがある、いつか、何処かで、見た事のある風景は、何処にあるのでしょうか?

単なる勘違い、思い違い、記憶の誤り、既視感・・・・・・・。

この謎は、いつか、きっと、解いてみたいと思います。

※16日が空白になっていたので気になっていたのです。そこで、今回、穴を埋める事にしました。

※これを書いたのは、4月の25日です。
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我孫子市役所 “この風景はいつか?何処かで?”

2008年04月15日 | 街の風景
昨日は臨時休業でした。

それでは、一昨日の続きです。

356号線を自転車でキョロキョロしながら走っているのです。あちらこちらで眼に付くのは桜です。

この日(4/3)、桜は“ほぼ満開状態”です。こちらは、学校か病院の様だと眺めていたら、


中学校でした。校門に満開の桜、入学式にピッタリです。それで、入学式って全国的にいつでしたっけ? 入学式の時期は春の“交通安全週間の時期”ですよね。

♪ピカピカの! ♪一年生!


喉が乾いてきました。ここで、いつもの“一日野菜これ一本”と“濃いお茶”を購入。“これ一本”は店頭にて行き交う車を眺めながら頂きました。


こちらの桜は気に入りました。寺の山門、火の見櫓、そして桜。


寺の境内は、アスファルトの駐車場、参道はコンクリート、本堂は鉄筋コンクリート、緑少なく殺風景。


背景の殺風景が、余計に入り口の一画を際立たせています。


もうすぐです。我孫子見物の最初は先ず市役所訪問です。次の交差点を左折し坂を下った左側に市役所がある筈です。


交差点の角に消防署が見えてきました。


私、消防署の近く、直線距離で20㍍ぐらいの処で生まれ、小学校の3、4年までそこで育ちました。

消防車の前に整列しての朝礼、敬礼のカッコ良さ、ホースや消防服の日干し? そんな風景を想い出します。

何回か“火の見櫓”にも登らせて貰った記憶があります。あの頃に聞いた“ウーウー ・カン・カン”のサイレンと鐘の音が頭に残っています。

消防署には親しみがあるのです。消防署の前を通ると中の様子を覗きたくなるのです。

レスキュー隊が装備の点検作業を行っているようです。


交差点を右折すると、道はゆっくりカーブして6号線に合流します。左折すると市役所です。

この道は、手賀沼を通り16号線に出る道です。千葉方面に行く時、何回か通ったことがあります。


市民会館です。工事用の塀で取り囲まれていました。閉鎖されているのです。何処かに新しい市民会館が建てられたのでしょうか。

この先を左折すると市役所の筈です。


これから先は“はじめて”の道です。


左折すると直ぐ坂道、自転車で登り切ろうと頑張ったのですが、途中で断念しました。旅はこれからです、スタミナの配分が大事です。


坂の途中に並ぶ“司法書士や行政書士”の事務所の建物。この風景に見覚えがあるのです。

確かに見覚えがあるのです。

この建物の形、この建物の色、この坂、この風景が、何処かで、いつか、見た事があるのですが・・・・・・、ふぅーん、出てこない、思い出せない。

もしかして勘違い、それとも夢の中で、それとも既視感でしょうか・・・・・・。

兎に角、この坂を登り切った処が市役所です。


それでは、また明日。


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穏やかで絶景な手賀沼の眺望

2008年04月14日 | 街の風景
先週の続きです。

単線の成田線と平行に走る国道356号線を我孫子市街に向かって走っています。天気は良いし、暖かいし、この日(4/3)は快適なサイクリング日和でした。

のんびりペダルを漕ぎながら、“はじめて”の町をボンヤリ眺めているのは、何ともいいものです。

何処かでいつか見たような、そんな普通の町でも“はじめて”と云うだけで、何か? 面白いことが“起き”そうな? “有り”そうな? 

そんなウキウキ感、ワクワク感が堪らないのです。


成田線、我孫子駅から一つ目の東我孫子の駅です。ホームに屋根の無い“ローカル単線”の駅です。


周囲は、商店住宅が建ち並び、それなりに賑やかで、ホームの寂しさを消し去っています。“屋根無しローカル単線駅”には、寂れた町が似合います。

駅前で、女性警察官1名、男性警察官2名、ミニパト1台、白い塗装の警察自転車1台を目撃、3人はにこやかな表情で、何やら“談笑風”です。


近くには交番、駐在所も見当たらず、何やら準備をしている様で、いない様で、会話の内容はその表情から、極々私的な会話の様に見えます。

天気も穏やか、世間も穏やか、平和な佇まいです。

長閑な東我孫子駅を過ぎて、この道路標識を発見。“手賀沼”の文字に惹かれて左折しました。


百㍍程行くと、坂があり下ると手賀沼の畔に出るようです。


自転車屋さんの前に立つ街灯の上に“手賀沼遊歩道入口”とあります。このまま直進して、遊歩道に出てしまっては“面白くなさそう”と、思いました。


何故かそう思ったのです。右に逸れ沼を見渡せる住宅街に入りました。正面の家の先は“断崖絶壁的”な、パノラマ眺望の絶景となっていました。


絶景住宅の左側の角地が、小さな“見晴台的公園”になっています。


この庭先からの眺めは最高! 朝起きて窓を開き両手を広げ深呼吸、これも最高!と思うのです。


でも、きっとそう思ってこの家を買ったのでしょうが、人間そういつまでも新鮮ではいられないのです。

毎日、毎朝、眺めていると、いつしか飽きてしまうのです。はじめての感動は続かないのです、普通で当たり前の景色に見えてくるのです。

他人が羨むほど、そう毎日、いつまでも、起きるたびに感動し無くなるのです。単なる“普通の庭先”になってしまうのです。

それでも、年に何回か“気分の良いとき”には、それなりに感動していると思います。

こちらのお家のお庭もお洒落です。正面はマンションですが、右方向の眼下に手賀沼が広がります。


なかなか“今風のお洒落な住宅地”に出来上がっています。今は新しくて「ピカピカ」に輝いています。

この後数十年の時が流れ、それなりに“静かで落ち着いた住宅地”になっているのか“微妙”な感じがします。


“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいとか、そんな変化を起こす可能性が低い様に思われます。

この手の、“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいを飛び越えて、“朽ち果て感”が漂ってしまう可能性が・・・・・・、あッ。余計なことを言ってしまいました。

兎に角、今は、高台に並ぶ、眺望絶景、大パノラマ、ピカピカ住宅地です。

眺めを楽しんだ後、356号線に戻ります。


それでは、また明日。


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我孫子で“半鐘”をカン!カン!カン!

2008年04月11日 | 街の風景
昨日の続きです。

境内の桜を愛で、仏様、神様を参拝し、身も心もほころびました。さぁて、次は何処へ向かうか考えながら、境内の入りに置いた自転車に向かって歩いていたら、これを見つけたのです。


火事の時に、火の見櫓で打ち鳴らす“半鐘”の“打ち方説明板”が建物の壁に取り付けられていたのです。

説明板は、この建物の参道側の壁に取り付けられていました。建物の向こう側が境内に入る参道になっています。


消防車の車庫でもなく、火の見櫓もなく、消防団の資材置き場と事務所を兼ねたような建物です。


じっくり見つめてしまいました。小さな声で“カンカンカン”と半鐘を鳴らしてしまいました。

近火信号は「カン・カン・カン・カン・カン」と忙しく連打です。

鎮火信号は「カーン、カン・カン カーン、カン・カン」です。この鐘の音は何故か耳に残っています。

騒がしかった火事場が、焼け跡の静けさに変わります。野次馬も帰り始め、消防車も「哀しげに」鐘を鳴らし引き揚げて行く。

何かもの悲しい情景が浮かんできます。これまでに火事場に遭遇したのは、2,3回だと思うのですが、出場信号よりも鎮火信号が耳に残っているのです。

火事には、侘びしさ、悲しさ、寂しさ、儚さが・・・・・・。

説明板を見つめ、暫く、“カンカン”と口ずさみ、遠くを見つめる眼をして、ボンヤリと佇む“怪しいおじさん”になっていました。

これ以上、壁を見つめて“カンカン”やっていると、消防車ではなく、パトカーが来るかも知れないので、自転車に跨り立ち去りました。


広い庭に大きな母屋の“農家風民家”地帯から、狭い庭に小さな建物の“新興建て売り住宅地帯”に変わってきました。広い通りに出そうな雰囲気です。


建設途中の建て売り住宅が並ぶ一画の隣に、スレート外壁の工場が現れました。

この工場の壁にも、「お知らせ」が貼ってあり、釈明と云うか、説明と云うか、弁明と云うか、事前警告と云うか、そんな内容です。


   私達の会社は、ここで昔から、誰からも文句も云われ
   ず真面目にやってきたのだ。多少の音とか匂いはする
   が、後からやって来て、騒音がするだとか、臭いだと
   か、勝手な文句は云わせないからな。判ったか! 

              以上。


何て、処ですかね。こういう看板は2度ほど見かけたことがあります。この辺も39年前は畑や山林だったのでしょう。

こういう看板を事前に掲示して置かないと、後から問題が起き、裁判にでもなったりした場合に、この看板が威力を発揮するのでしょう。

新興住宅地はいろいろ大変なようです。

広い通りから、一本奥に入ったところが工場です。周りを建て売り住宅で囲まれてしまったようです。

やっと広い通りに出ました。右に折れ我孫子の中心街に向かいます。

通りに面して「農家風」の広い庭の民家が、


ここにも、


ここにも、残っています。


通りの反対側の奥に、線路の架線を発見。一瞬!常磐線?と思ったのですが、方向が変です、常磐線は“NEC”のところで越えてきた筈です。

確認の為に路地に入りました。


単線です。この辺で単線の線路と云えば、我孫子と成田を結ぶ“成田線”です。

成田線の“どこら辺”なのかは不明です。今回、地図は持ってきていません。我孫子方向に向かっている事は間違いありません。


それでは、また明日。


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我孫子 神社仏閣で“ほころびる”

2008年04月10日 | お寺・神社
昨日の続きです。

本堂の裏手に鳥居があり、奥には小さなお社が見えました。お寺の境内の一画に神社、良くある風景です。

神仏混淆、神仏習合です。



しかし、神社の境内の一画に、お寺は有りません、お地蔵様や、お釈迦様も居りません。

外来の新しい信仰である仏教が、日本固有の土着信仰を取り込み、浸透を図って行ったものなのでしょう。

新しいものが、古いものをそれなりに取り込み、抵抗を少なくして定着を図る。そんな処でしょうか。

それでは、日本そば屋に“ラーメン”はありますが、ラーメン屋に“モリソバ”はありません。これは何故なのでしょうか? 

これは、神仏混淆より複雑な問題です。

時間は沢山有ります。ゆっくり、じっくりラーメン問題を考えてみました。暫く考えていると、ラーメンは外来食物では無いのでは?との疑問が起こりました。

問題の前提が崩れ去ってしまったのですが、そんな、細かな事は気にしないで、すこしだけラーメンの話です。

ラーメンは日本古来の土着食物に、中華風麺と、中華風だし汁と、和風の具材をトッピングした“中華風日本料理”であるとの結論に達したのです。

※結論に到る経緯はかなり長くなるため割愛させて頂きます。まぁ。それほど大した事ではないのですが、話があっちこっちに飛び回り、纏まらない危険性があるのです。

これは、日本古来の土着料理が、新しい外来料理を取り込み融合調和を図ったもので、神仏混淆とは逆のパータンだったのです。

日本料理であるからして、日本蕎麦屋のメニューに存在し、本格中華料理屋には無いのです。

ラーメン屋のメニューに「モリソバ」が無い理由とは、まったく別の問題だったのです。

日本蕎麦屋に“インド料理”の“カレーライス”が何故あるのか? と云う問題もラーメンと同じく、答えは“カレーライス”も“インド風日本料理”だと云う事です。

そして、カツ丼も、洋食の“カツレツ”を蕎麦のだし汁で煮て卵でとじた“西洋風日本料理”なのです。

日本は何でも取り込んでしまうのです。

話が段々と云うか、かなりと云うか逸れてきました。ここらで、喰い物の話はお終いにしておきます。

本堂の裏手にある神社の話でした。

お社は“大きめの祠”と云うか、“小さめの本殿”と云った、中途半端な感じの建物です。


その建物は、石仏や石碑等の仏教系に囲まれていました。


木漏れ日に照らされた石仏と石碑。


木々の匂い、苔の匂い、柔らかい陽射し、遠くで聞こえる鳥のさえずり・・・・・・、こんな風景の中に佇む、これが、堪らなく良いのです。

“落ち着き”ます! “ほころび”ます! “柔らかく”なります!

お寺とか、神社とか、古い建物とか、そんなところが好きなのです。歳を取ったせいでしょう。

平日の、こんな時間に、こんな処で、一人佇み、“ほころんで”しまっていいのでしょうか。

いいのです! いいと思います。

皆さんも“どたばた”とか“じたばた”とか“あくせく”とかしないで、

“ほころび”ましょう。

“何を! 呑気な事を云ってるんだ!”

と、思われる方も居られるでしょう。

でも、私も時々は、町で忙しく働く人の姿を見て、後ろめたさを感じる事もあるのです。でも、しかし、私も、それなりに、これまで働いてきたのであります。

忙しそうにしてい人が、向かいから歩いて来た時は、必ず“身を除け”邪魔にならない様にしています。

まぁ。兎に角、忙しく働く人も、偶には、神社仏閣を訪れ、

“ほころんで”下さい。

神社仏閣は“ほころぶ”には、とても良い場所です。



それでは、また明日。


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我孫子“春爛漫で下司の勘ぐり”

2008年04月09日 | 街の風景
昨日の続きです。

暗く、湿った裏道から住宅地に入る坂を登ると、視界が開け、そこは明るく爽やかな別世界でした。

住宅地と云うよりも、何処か遠くの豊かな農村地帯に来た雰囲気です。村の庄屋さん風? 大地主風? そんな立派な門構えの“お屋敷”が幾つか並んでいます。

この佇まい、何とも結構ではありませんか。門に続く石畳、見越しの松。


石畳の両脇に“玉砂利”など敷いて、植木に少し手を入れると、立派な料亭か割烹旅館になりそうです。

柿色の漆喰壁。門の奥には大きな石灯籠が見えます。


こちらも、石を積み上げ、瓦屋根の塀を巡らし、背景には満開の桜、絵になります。桜が咲いているのは、隣のお寺の境内のようです。


こんな処に! こんなお屋敷が! どんなご商売か伺いたくなります。都市近郊に良くある、農家の様に見えますが、あたりに耕作地は見当たりません。

お隣のお寺に参拝します。



青い空と黒塀を背景に、ピンク色に染まった桜。春爛漫の景色! 見事です!


本堂は鉄筋コンクリート製、屋根の部分は木造瓦葺きでした。鉄筋コンクリートは冷たく、“ありがたみ”に欠けます。


お賽銭を上げ参拝、見上げると“永光山 西音寺”とあります。


脇に建つ“本堂再建記念碑”を読んでみました。


面白い事が判りました。

NECの工場用地の売却代金で、この本堂は再建されたのです。それに到る経過が記されていたのです。

それでは、その概略を記します。

そもそも、利根川の“氾濫原”であった土地を、灌漑用の池として、68名の農民が大正7年に県から払い下げを受けたのです。

その面積が“6反6畝3歩” 

1反=991.7㎡  1畝=99.17㎡  1歩=3.3㎡ 

ですから

  991.70×6=5950.20
   99.17×6= 595.02
    3.30×3=   9.90 

計6555.12㎡となり、1986.4坪と云う事です。

そして、昭和48年にNEC工場用地の一部として3千650万円で売却。と云う事は、1坪1万8千375円となります。

その代金の一部、2千410万円でこの本堂を建てたのでした。残り1千240万円は68名で分配したのでした。

大正7年で68名ですから、昭和48年には分家などあって、地権者は百名程度に増えているかも知れません。

NECの工場用地が11万坪ですから、その時に田畑も売却された筈ですから、坪1万8千円ですから、11万×1万8千で、用地代は19億8千万、約20億円になります。

昭和48年の20億ですから、現在の価値からすると10倍の200億円程度になる筈です。

何で、こんな他人の懐具合を詮索したのかと云えば、この工場の売却代金は、50人~60人の農民の懐に入ったのではないか?

それが、この辺りに点在する“お屋敷の建築資金に回されたかも?”と、詰まらぬ詮索をしていたのです。

失礼しました“下種の勘ぐり”でした。

お寺の境内と云う、清らかな場所で、不浄な事を考えてしまいました。まだまだ修行が足らないようです。

本堂の裏手に神社が見えます。神社にお詣りして、不浄な心を清めて来たいと思います。

それでは、また明日。


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我孫子の“NEC” と “川村学園”は?

2008年04月08日 | 街の風景
昨日の続きです。

利根川を渡り直ぐに左に折れ、土手沿いの道に面した、クラブハウス(我孫子カントリー)の先を右に折れ、住宅地に入ります。

このあたり、大型トラックの通行も多く、それにも関わらず歩道は無く、写真を撮っている余裕はありません、左右を確認し、自転車を転がし、住宅地に入りました。

この住宅地を歩いて見たいと思っていたのです。常磐線に沿って、天王台の駅から利根川に向かって伸びてきた住宅地です。


最近良くある、色と形の家が並んでいます。この住宅地の“変る様”を電車の窓から20年近く眺めていたのです。

“原っぱ”が整地され、側溝ができ、道に砂利が敷かれ、舗装され、電柱が立ち、駅に近い方から、ポツリ、ポツリと家が建って行きました。



そんな様子を、会社帰りに電車の窓から、あの頃、毎日、毎日、ぼんやりと見つめていました。

“毎日の通勤を終える頃”には、住宅地は土手の近くに到達しました。今でも、東京からの帰り、あの頃の事を思い出し、辺りを眺めるのです。

今回、車窓からぼんやり眺めた“風景の中”を“歩いて見たい”と思ったのです。

町の名前は「青山」となっていました。この辺りで「青山」と云われると、都心のお洒落な町を思い浮かべるよりも、「♪ヨォオ~ ♪フク~の青山」のCMソングが聞こえて来ます。



信号を真っ直ぐに進と天王台の駅に、右に行くと6号線に出る筈です。私はここで左りに折れ、常磐線のガードを潜ります。

こちら側は、出勤する時に眺めていた風景です。取手駅を過ぎ利根川の鉄橋を渡ると見えて来るのが“NEC”の建物です。



通用門の右手の建物は、私が通勤している間に、2回に渡って増築され、利根川に向かって伸びて行きました。今でも、よく見ると“つなぎ目”があるのが判ります。

それで、線路と増築をくり返した建物の間に、気になる建物があるのです。この建物はいったい何なのか、あの頃から、ずっと気になっていました。

この建物です。通用門に近いので工場見学者用の“ゲストハウス的”なものか、それとも“工場の体育館”ではないかと思っていました。


“謎の建物”は公共施設でした。最近良くありますね、この“ふれあい何とか”と云うのが、やはり、いまの世の中“ふれあい不足”なのでしょう。

それにしても、長年の疑問が解けてスッキリです。


NECの向かいは、あの“川村学園”です。“女子大”です。川村学園と云えば目白ですが、こんな処に、いつのまにか、移って来ていました。

川村学園の処で桜並木とお別れし、右に折れ塀に沿って“台地”に向かって進みます。


塀沿いの道から、振り返ると“スーパーひたち”が走って来ました。


塀沿いの道を進み“台地”に突き当たりました。右に折れると常磐線と平行した道がありそうにも見えたのですが、じっくり見ると、どうも行き止まり臭い?匂い?を感じたのでやめました。


川村学園の塀沿いに左に折れます。ここまでまったく民家はなく、生活とか、暮らしとかまったく無縁、写真で見るより“暗く、湿って”人の気配がまったくありません。

不気味な雰囲気の漂う、ホントにホントの“裏道”です。

しかし、ここだけは陽射しがあたり、コブシの花が輝いていました。


コブシ花の先には、暗い緑の中に、赤い椿の花が“いっぱい”咲いていました。


周りも少しずつ明るくなってきました。

この上の方には民家がありそうです。

これから先は次回とします。


それでは、また明日。


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“我孫子シリーズ”は取手から始まります!

2008年04月07日 | 街の風景
4月3日(木)我孫子に行って来ました。

千葉県我孫子市、“我孫子”と書いて「あびこ」と読みます。東京近郊の人ならば読めるのですが、かなり読みにくい地名です。中世の“官職名”のようです。

それで我孫子に行って来たのですが、我孫子には直接乗り込まず、手前の取手に車を置いて、そこからは自転車で走り回ってきました。

常磐線の駅では、上野に向かって、取手、天王台、我孫子となります。

取手から自転車で行った理由は、一番目が運動の為、二番目は、利根川に架かる橋を自転車で“じっくり、ゆっくり”渡りたかった事。

そして、三番目としては、橋を渡って直ぐの「住宅地」を歩いて見たかった事。四番目は・・・・・・、等々、まぁ。いろいろとあるのですが、これからの話しの中で触れていきます。

それで、取手の“とある処”に車を置いて、自転車で我孫子に向けて出発です。6号線、取手駅前の交差点を過ぎて直ぐ、橋の手前にある神社の桜が見事でした。


桜の写真を撮り、自転車に跨り利根川を渡ります。


この橋は、月に2~3度は行き来するのですが、一度“ゆっくり、じっくり”と渡りたかったのです。

橋の上は“制限速度”を“かなり超え”て皆さん走っています。制限速度が“50㎞”も少し変だと思います。


“東京まで38㎞”の標識、隣には“大利根橋”とあります。20数年行き来して、今回始めて橋の名前を知りました。“ゆっくり、じっくり”の甲斐がありました。

それにしても、利根川に架かる大きな橋なので、“大利根橋”と付けたのでしょうが、もう少し何とか工夫があっても・・・・・・、と思うのです。

国土交通省が橋の名前を付けるのでしょうが、

“河川等橋梁呼称決定に関する国土交通省地方道路施設整備局局長通達細則”

なんて、そんなものがありそうな気がするのです。

まぁ。冗談はさておいて、じっくり、ゆっくり渡りながら、下流を眺め、上流を眺め、遠くを眺め、近くを見つめ、心地よい風を感じながらペダルを漕いでいたのです。

その時、気が付いたのです。この欄干に見覚えがあるのです。


数日前にみたのです。同じ6号線に架かる小さな橋で、これとまったく同じ欄干の付け替え工事をしていたのです。

その工事なのですが、取り付け作業者1名、交通整理のガードマン1名の体制で行っていました。

車道には影響はない為、ガードマンの役割は歩道を通る歩行者の安全確保だけです。しかし、この辺りを歩行者が通る事は1時間に一人か二人、居るか、居ないか、そんな場所です。

私は、反対側の歩道からそれとは無しに見ていたのです。作業者が一人で片手で欄干を抱え、もう片方の手でボルトを通し固定しているのです。

“いっぱい、いっぱい”で作業している、年老いた小柄な作業者。

“退屈”そうに当たりを見回し、安全を確保する“若くて体格の良い”ガードマン。

ガードマンが作業を手伝う事は禁止されているのでしょう。それにしても奇妙な光景でした。

“お兄ちゃん! ちょっとだけ助けてやったら!”と思ったりしたのです。

それで、そんな二人組も気になったのですが、欄干も気になったのです。デザインと云い、表面の質感と云い、とても高級感があるのです。

作業者の持ち上げた様子から、材質はアルミと思われます。

鉄と違って定期的な塗装工事を必要とせず、初期投資は高くついても、維持管理費は少なく、トータルコストは下げられるのでしょう。

それにしても、上中下に3本のパイプが走り、下部には別に柵を取り付けた、かなり複雑な構造になっています。

数十年前の鉄製欄干とは、“いろいろな意味”で向上が図られているようです。これも「道路特定財源」で造られているのです。

やっぱりここにも、豊富な財源が“いろいろ”と影響している様です。

そんなこんなを考えつつ、欄干を眺めながら走っていると、県境を示す「道標」を発見。


川の真ん中ではありませんでした。これまで川の真ん中と思っていたのですが、そうではない様です。

この発見も車でしたら気が付かなかった事です。自転車で“ゆっくり、じっくり”の甲斐がありました。


県境を通りすぎ大利根橋を渡り終わると、我孫子市の道標が見えてきました。

ここから左に折れ、6号線から離れ土手沿いの道に出ます。“東我孫子カントリー”のクラブハウス前を通過し、住宅街を走ります。

それでは、また明日。




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たまには“デカイことも” 「チベット」考えよう!

2008年04月04日 | 世間話し
兎にも角にも、チベット何ですが、中国の国営放送が撮影した映像が日本のテレビに流れています。

僧侶の混じる「暴徒の集団」が町中の商店、車を破壊しているシーンが映し出されています。取り締まる側の映像は出てきません。

チベット人への「同情」を、中国への「反感」を、抑える為の情報操作なのでしょう。

暴れ方を見ていると、チベット民族が抱く、漢民族への「憎悪」、「敵意」、「恨み」、「反感」、「怒り」等々の対立の深さが、並大抵ではないと感じてしまいます。

どうしてなのでしょうか、どうして他民族を支配したり、周りの国に自分の主張を呑ませたり、従わせたり、デカイ顔をしたり、どうして、そんな事をするのでしょう。

威張りたい人がいるように、威張りたい国家があるのでしょうか?


それで、チベット問題ですが、日本としては「人権」と云う立場で、中国に対して「双方で話あって仲良く解決しましょう的」な発言を福田さんがしていました。

そんな事で済む筈の無い事は、重々判っている訳けですが、中国政府を怒らすと、「いろいろとマズイ」し、対外的に、何も発言しなと、これも「いろいろとマズイ」し、それなりの、当たり障りの無い「懸念の表明」となったのでしょう。

この「お茶を濁す的」な曖昧さは、日本の文化的な成熟を現している様にも、見えなくも無いのですが、異なる文化圏の人達にはさっぱり判らない事でしょう。

物事をストレートに表現したり、自分の利益だけを強く主張したり、武力を背後でちらつかせたり、そんなやり方は“野蛮”です。

ですが、世界は“野蛮がスタンダード”のようです。

中国もかなり“野蛮”に見えてきました。このまま、経済力、政治力、軍事力が大きくなると、隣の日本としても、枕を高くして寝られなくなります。

この際です。表面的には、チベット側に“少しだけ”重心を移し、裏側では“かなり重心”を移したら良いと思うのです。

対アメリカについても、経済力、政治力、軍事力に陰りが見えてきたので、この流れを加速させる動きを「密かに」行うと良いと思います。

経済的には、外貨準備のドル比率を、段階的に減少する事を、それとなく匂わし、裏では、それなりに減らして行く。

最終的には、アジア共通通貨を創設し、ドルを基準通貨から引き下ろす。

軍事的には、野党特に、共産党の議会勢力を増やす為に、衆議院の選挙制度を中選挙区制に戻し、反米の声を大きくする。

大きくなった反米の声を利用して、国内の米軍基地を縮小しなれれば、親米勢力は政権を維持できないと迫り、最終的には国内から米軍を完全撤退させる。

米軍の後に、中国が入り込まないように、中国の民族対立をそれなりに支援し、漢民族、モンゴル民族、チベット民族、イスラム民族、その他少数民族の独立、そして台湾の独立を支援し、国力の低下を図る。

今回の北京オリンピックでは、開会式を“密かに”そして、組織的に、且つ部分的に、ボイコットする。

中国から日本政府に対する抗議には、これは一部の選手の「自主的判断」だとして、“民主国家の常識”として、政府が選手個人の「思想や行動」には、介入できないとして、惚けるれば良いのです。

開会式を各国の選手のかなりの部分が、“自主的”にボイコットすれば、現在の政権の面目は丸潰れとなり、権力基盤が弱くなり、内部対立が生じます。

え~と、次に、「ロシア」に対しては、え~と・・・・・・・。

何か、段々と、大きな話になってきました。

普段は端っこで「ちっちゃな事」でハラハラ、ドキドキしているのですが、偶にはこんな事を考える事もあるのです。

でも、こんな事を毎日、毎日考えている人達もいる訳ですから、普通の人も、偶には“デカイ事”を考えて見ないと、訳が判らなくなると思うのです。

年金、医療、格差、貧困、も考えなくてはイケナイし、外交も、経済も、軍事も、憲法も、ホントはみんなが考えないとイケナイのだと思います。

兎に角、楽しく、のんびり、生きていくには、いろんなことを考えなくては、イケナイのです。

デカイ話はここいらでお終いにします。


本日は、かなり更新時間が遅れてしまいました。実は、隣の県の「我孫子」を、昨日、自転車で走り廻り、心地よい「筋肉痛」と「疲労感」を感じながら、ぼんやり過ごしていたのです。

来週からは、いつもの様に“ちっちゃいこと”の話です。“我孫子シリーズ”がはじまりま~す。

それでは、また来週。




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“福田さん”に“小沢さん”徹底的にやって下さい!

2008年04月03日 | 世間話し
え~と、世間では道路特定財源でかなり揉めているようです。

昨日の夕方、近所のガソリンスタンドの前を、買い物帰り“自転車”で通り過ぎたのですが、レギュラーは“1リッター122円”に下がっていました。

以前は142円でしたから、予想した通り“暫定税率分”の値下げです。スタンドの様子は、これまでとまったく変わりなく、混乱などしていませんでした。

テレビ報道は、密かに混乱を期待していたのでしょうが、“テレビ映像向き”の混乱は、全国的に起きなかったようです。

私はこのスタンドの会員になっていますので、120円で入れる事になります。全国平均よりかなり安いのです。近いうち私も給油する予定です。


それで、道路の話ですが、“必要な道路”は造り、“必要でない”道路は造らない。これが当たり前の話で、スッキリとしている分けです。

ところが、現実はスッキリしていないのです。

ここで問題は、高速道路か、一般道か、どんな道路が? いつまでに? 何処に?必要か?、必要でないか?

その判断が、いつ?、何処で?、誰が?、どの様な?データを元に判断しているのか?

そして、この判断システムにこれまで問題はなかったのか? このままで、これからも良いのか?、悪いのか?、その点をハッキリすれば、スッキリするのです。

ところが、その議論に入る前に、財源で揉めている分けです。

兎に角、車を買った時の税金、道路を通行する為の税金、車を走らせる燃料の税金、その税収が、すべて“道路関連”に使い道が“限定”されていることの問題です。 

その税金が年間“約6兆弱”も入ってくるのです。必要とか必要でないとかの判断の前に、目の前に“ごっそり・たっぷり”資金があるのです。

この財源のあり方が使い方に影響し、国土交通省の役人が、娯楽遊興費にまで使ってしまう、“オマケ話”まで出てきました。

兎に角、目の前に金が積まれているので、金に合わせて計画が組まれているのように思えるのです。

この点から、特定財源を一般財源化することで、使われ方を制御する案が出てくるのでしょう。

これに対しては、受益者負担の原則から反対意見がありますが、これは、かなり苦しい言い訳に聞こえます。

また、これまで、この金にぶら下がって生活している人達がいるのです。この人達は“道路を造ること”で暮らしているのです。

道路の必要性は、道路を“造る必要性”の側面が大きくなっているようなのです。結果として、造った後は車はほとんど走っていない、そんな道路も現れて来るのです。

道路建設が、社会基盤としての必要性からではなく、都市から地方への所得の再分配としての機能、景気対策としての機能へと変化しているのです。

所得の再分配も、景気対策も必要なのですが、その手段として道路建設が適切であるのか、それが問題なのです。

兎に角、道路は必要だと“そのまんま知事”も云ってますが、必要なのは“道路だけ”ではありません。

それとですが、「道路は必要だぁ」と叫んでいる人達は、ホンネは「必要」ではなく、隣町にあるのに、俺の町には無い、だから俺の町にも「欲しいなぁ」・・・・・・と、思っているのです。

「道路“は”必要」ではなく、「道路“も”必要」なのであり、税金の使い道、優先順位を決める事は、政治の重大な仕事だと思います。

年間約6兆円の税収を「道路“は”必要」として、何の議論も無く、集め続け、使い続けるのは、もう終わりにして貰いたいと思うのです。

それで、わたしとしては、“福田さん”に云いたい!

一般財源化とか、特定財源化とか、の使い方の話だけでは無く、集め方からやり直すべきです。

先ず、車関連の税金は暫定税率の廃止なんて、ケチなことは云いません。本税も含めて、揮発油税も廃止! 取得税も廃止! 重量税も廃止! 兎に角、車関係は全部廃止。

但し、全部廃止すると半値近くなり、無駄に走り回る輩が現れる可能性が高いので、“環境税”として従来の半分程度を徴収する必要があると思います。

税金の減収分は消費税をアップする事で補う。但し、食料品等の生活物資に対しての税率は現状維持とする。

税金の取り方を変えることは、大きな議論となります。結構な事です。集め方、使い方を徹底的に議論すべき“時”なのです。


本日は、かなり、真面目に語ってしまいました。


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