歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ありがとう! 兼高かおるさん 合掌!

2019年01月10日 | その他

今朝のニュースで知りました。

いまから12年前の記事です。

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先日の深夜、「名曲のアルバム」を見ていて思い出しました。

「兼高かおる世界の旅」です。中学生の頃から、20代前半まで見ていたような記憶があります。

最初のころは「白黒」だった気がしたのですが、調べてみたら、「カラー」で放送されていました。アレ?と思ったら、我が家の受像機が「白黒」だったのです。

遠い昔のテレビ番組と思っていましたが、「1990年」まで放送されていました。放送開始は1959年からです。



放送は日曜日の11時ごろだったと思います。兎に角、夢のような番組でした。「兼高かおる」さん素敵でした。綺麗でした。

それと、彼女が「日本人」として世界を回ると、「何か変?」と思ったりしました。容貌は西洋人ですし、英語はペラペラでしたから、外国の人達は「日本」と云う国は、「ヨーロッパ」の「端っこ」の国と思ったのか? 一度は聞いて見たかったのです。そんなことも思い出しました。


提供が「三井物産」で、後援?協賛?があの今は無き、航空会社「パンアメリカン航空」でした。そう「パンナム」です。垂直尾翼の「あのマーク」鮮明に覚えています。



番組は「パンナム」の「大型ジェット旅客機」が大空を飛んでいるシーンから始まったような気がします。もしかして、FMの「ジェットストリーム」のイメージと重なってしまった?

「世界の旅・三井物産・パンナム・ジェット機」この言葉の響きを聞いただけで、ドキドキしました。手の届かない「遠い夢」「憧れ」・・・・・・そんな時代でした。

見た事も、聞いた事も、行った事もない、遠~い国の「見知らぬ風景」。南の国の「青い空・紺碧の海・白い波・白い雲」・・・・・・。



見知らぬ「ヨーロッパの街角」歴史を刻む、建物、石畳、見るものすべてが、新鮮でした。不思議でした。驚きでした。



夢の海外旅行が現実となり、誰でも手軽に海外旅行に行かれる時代となった、1990年に番組が終了しました。

それで、「誰でもいける時代」なったのですが、私の場合、海外旅行はバブルの時代に「会社持ち」で行った、「香港」と「グァム」の2回しか経験がありません。

少し無理をすれば自腹の「海外旅行」も可能ではありましたが、「少し無理」するほどの「欲求」が生じなかったのです。

今は、私にとって「見知らぬ外国」は「夢と憧れ」のままで、大事に「とって置きたい」・・・・・・そんな気がしています。

私にとって、見知らぬ外国の、見知らぬ街の、夢と憧れナンバー1はスペインの「アルハンブラ宮殿」です。



スペイン、グラナダ、アルハンブラと見ただけ、聞いただけで「あの曲」、あの「幻想的」で、「寂しく」、「もの悲しく」、「やわらか」な・・・・・・ギターの弦を弾く音、そして、夕陽に照らされた「宮殿」の「情景」が目の前に現れてきます。

これって、宮殿」の建築的素晴らしさと、「曲」の素晴らしさですね。そして、宮殿が「スペイン・グラナダ・アルハンブラ」であること、曲が「ギター演奏」であること等、幾つかの重なりが生んだ、奇跡と云ってもいい出会いだと思います。

曲と宮殿はふたつで一つの「芸術」です。


そうだ。「兼高かおる世界の旅」でした。

番組の終了後の翌年。1991年に、アメリカの「自由と繁栄の象徴」、「パンアメリカン航空」が倒産しました。

調べてみると、「パンナム」は番組終了のかなり以前に降りていて、後半は「スカンジナビア航空」の協賛になっていました。知りませんでした。

夢の番組、「兼高かおる世界の旅」の想い出でした。ホントに「かおる」さんは「素敵」でした。「綺麗」でした。


今夜は「アルハンブラ宮殿の想い出」を聞きながら飲みます。

Recuerdos de la Alhambra アルハンブラの思い出


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日本も、私も、未来に夢を描けた、ホントに、ホントに、いい時代でした。

兼高かおるさん、ありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

     合掌

 

 

 

 

コメント (3)
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