3月11日以来、2006年以降の徳永英明氏の歌声に癒してもらってきた。もう1つ、再生しては涙を流す画像がこれ。
3月12日開業。横浜育ち、長野県人だけれど、ルーツが九州なわたしとしては、九州縦断ウェーブを見るたびに、目の前が曇る。
3月11日以来、2006年以降の徳永英明氏の歌声に癒してもらってきた。もう1つ、再生しては涙を流す画像がこれ。
3月12日開業。横浜育ち、長野県人だけれど、ルーツが九州なわたしとしては、九州縦断ウェーブを見るたびに、目の前が曇る。
街中ですれ違ったら、きっと怖いおじさんにしか見えないであろう濁声の芸術家が、今年も長野に来てくれた。
言葉(と沈黙)の世界。
気づいたら3時間が終わっていた。毎回話を聞くたびに、くぅぅ~、やられた、と思う。何が違うんだろう。
前座のお兄さんのお話を聞いていると、学芸会の保護者の気分になる。一句一句、さぁ、次のせりふは大丈夫? 間違えないで言える? と心が落ち着かない。何よりも問題なのは、今のは誰のせりふ? と混乱してしまうことだ。聞く方もしっかり聞いていなければならない。ボヤっと聞いていると、えっ、えっ、今誰が出てきたの? と置いてきぼりを食らってしまう。
聞く方もしっかりしないと。油断できない。
でも、芸術家のお話の場合、油断するもしないも、流れに乗っていればいいだけだから、聞いている方はある意味楽ちん。息を吸ったり吐いたり、たまに止めたり。すべては芸術家の思いのままだ。聞く方は意識しない。というか、意識できない。
こういう本物に出会うと、目の前の壁がまた高くなる。読者に負担をかけない――言うは易く行うは難し。
こちとら、前座に上るのさえ四苦八苦なのだ。
7月18日。待ちに待ちました。
3・11以降、わたしの心を癒してくれた声の主が長野に来てくれました。
車が止められるかどうか心配で開演1時間前に会場に行くも、メインの駐車場はすでに満杯。サブの駐車場にギリで滑り込みました。まだ開場には時間があるというのに建物の外にはすでに長蛇の列。これが紅白歌手の集客力なのか。しかも客層は今一番お金を持っていそうな徳永世代。歌がうまいだけでなくて、ビジネスの才覚もあるのか……。
さすがに、母とデートの中坊の姿は(他に)見かけませんでした。
舞い上がって、こんなものや、
こんなものも買いました。
いやぁ、舞い上がっちゃったからね。
歌は……2階席からご本人の姿は豆粒にしか見えなかったし、独特なリズムの取り方にあやうく船酔い(?)しそうになったけれど、次は、センターで聞きたい、わたしに歌いかけてもらおう、そう誓ったのであります。
今年のはじめから合計12万ワードのプロジェクトが終わった。当初は3カ月で、という話だったのだが、確定申告の時期だし、年度末の(悲しい)予算消化仕事もあるだろうし、他の仕事を並行してやることを考えると、それは少々無理そうなので、1カ月2万ワード、2週間で約1万ワードという結構ゆるめのスケジュールにしてもらった。
2週間で4ファイル、1ファイル平均2,500ワードで、隔週で月・火・水・木毎日1ファイルずつ納品する。内容は音声プログラムの文章化(スクリプトあり)なので、こなせるワード数は通常の文書とは純粋に比較できない。500ワード@時間という数字も結構だせる。それに、何度も文書を訳したことのある人のインタビューなので、「わたしの彼」くらい親近感があるし。
だから、かる~くできる、はず。
でも、そういう先入観って、マジでヤバい。本来の悪い意味で。
原稿は遅くとも1週間前には届くので、いつからでも着手できる。でも、どうしてもやりたい仕事や「一般的な単価」の仕事や急ぎの仕事や急ぎの仕事や急ぎの仕事が入ると、グリグリ挿入してしまうので、気がつくと、「わたしの彼」のゆる~い仕事はキュウキュウの仕事に変身していた。
おそろしい。
天使のようなコーディネーターのお姉さまがいなければ、6月末日はきっとdoomsdayになっていたに違いない。
それと、もう1つ。
「わたしの彼」が何を言っているのかちっともわからなくて、投げ出したくなったときに、呪文のように唱えたのが、「翻訳者の仕事って何?」だった。以前、実力以上の仕事をやって仲間に泣きついたことがあった。そうしたら、「ほかの人がわからないことをわかるようにするのが翻訳者の仕事でしょ、京子ちゃん、何言ってるの」(脚色・監修by CoCo)と喝を入れられた。
スミマセン、そうでした。
何とか読者に伝えないと。この言葉のバトンを読者に渡さないと。
挫けそうなときにはそういう本質論的な部分が、自分にはどうしても不可欠。それ以来、泣きそうになるたびに、「翻訳者の仕事って何」と自問自答している。
っていうか、自問自答しすぎ?
あとは……「公式レート」10円@ワードで12万ワードなら、それだけで120万じゃん。現実とのギャップに目をつぶるか、何とかするか、それが問題だ。