「花はどこへいった」、長野での上映がこの連休まで延びたそうです。長野在住の皆さま、足を運んでみてください。「千石はちょっと」というそこの奥さま、そうおっしゃらず、是非どうぞ。
またまた東山魁夷館に足を運んだ。50年前に書かれた巨匠の風景画をじっくり見る。
50年前の風景が、目の前に広がった。
その絵は悲しいほど普遍だった。たった1枚のその絵が、50年前のその場所と50年後のわたしとを結びつけてくれた。
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リーディングはゆとりを持ってやりたい――今回こそ2巡、いやいや3巡じっくり読めるかも、などと夢のようなことを考えていたが、やっぱりそれは淡い夢だった。
あっという間にスケジュールは能力の130%状態。沈没直前だ(いや、実は月曜日、すでに一度撃沈している)。これはもう、130%を70%にするべく能力をあげるしかない。そうじゃなきゃ、映画も観に行けやしない。
かくして、来週の半ばまで断続的に完徹ちゃん化が95%決定。「淡々と」への道は険しいのぉ。
それにしても、きゅぅきゅぅ度があがるにつれ、あの人のブログ、この人のブログが気になるのは一種の病気でしょうか。
戦略的思考。
18日のあさま組以来、この言葉が頭の中をグルグルまわっている。プロとして、寝ても覚めても翻訳三昧な生活を送るためにはどんな戦略を練ればいいのか。泣きながら地図仕事をやった去年の夏に戻らないためにはどうすればいいのか。
戦略の一つとして、1年限りの100本ノックに参加することにした(ちっとも戦略じゃない、か)。わたしは追い詰めないとダメなやつ。ならば、とことん追い詰めてやろうじゃないか。1年後の自分に会うのが楽しみだ。
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ヤマモトさんが恩師の話をしてくれた。その昔、翻訳の印税で別荘を建てられたそうだ。
「だから、先生もがんばってください!」
翻訳の印税で別荘……。たまには夢を見るのもいいかも。翻訳の印税で別荘を買って、ヤマモトさんを招待しよう。
きっと今頃、東京でも、大阪でも、パソコンの前で必死こいて翻訳している人たちがいるに違いないと思うと、決して群れるのが好きなわけではないのに、なぜだかホッとする。
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またまた大、大、大ピンチを迎えてしまったが、かわいい教え子のダンスの発表会があるというので県民文化会館まで足を運んだ。開演から45分ほど経っていたのだけれど、駐車場がぎっしりで駐車スペースがないのには驚いた。うわっ、これはあきらめて帰るしかないか、と思っていたら、ちょうど目の前の車が出庫してくれた。運がいい。
大ホールに入ってもビックリした。駐車場と同じ、こちらも満席だ。舞台を見て、納得した。いやぁ、小さい子たちから大人まで、生徒さんが山ほどいる。長野はバレエが盛んな土地だが(バレエ人口とバイオリン教室と美容室の数は、対人口比で全国トップクラスだと思う>当社比)、ここまですごいとは思わなかった。ゴーシュが女の子だったら、わたしもきっと習わせていたに違いない。
教え子が出るお目当てのプログラムを見て、そそくさと退散。でも、おかげで、最近忘れていたフラメンコへの夢がまたムクムクと頭をもたげてきた。フラメンコ、やりたい。その前に痩せなきゃ。
そうそう、久しぶりに花屋に行ったのも、精神衛生上とてもよかった。赤いバラを中心に、ピンク系のかわいらしい籠を作ってもらった。赤いバラでかわいらしく、というのも妙だが、さすがお花屋さんはプロ。教え子の可憐なイメージにピッタリな花籠になった。花を見て、その花をもった彼女の姿を想像して、すっかり幸せな気分になった。
とにかく詰めが甘い。
最近、メールを送ってから送信済みのホルダーを開いて読みなおすと、間違いが見えてくる。で、慌てて訂正メールを送ってしまう。とてつもなく格好悪い。
見直して間違いが見えてくるくらいなら、送る前によくチェックすればいいじゃないかと思うが、そんな簡単なことで解決できるなら、こんなにウジウジ悩んじゃいない。問題なのは、送信前のメールだと何度見ても間違いが目に飛び込んでこないこと。どういうわけだか、送信済みでないと見えてこないのだ。
実はこれ、メールだけではない。勉強でも同じだ。この間のあさま組の課題も、ファイルをみんなに送信してからもう一度読み直したら、あれもこれもおかしいところばかりが見えてきた。たまらん。思わず書き直して、差し替え原稿を用意してしまった。
「提出するときに、差し替え原稿の訳文が書けているといいですね」――仲間の一言が、ビブラートがかかっているようかのように聞こえた。

