「原書を読む会」では小道具が必要なため、不本意ながら移動はもっぱら車だ。他はザルなのに、なぜだか駐車料金に対してだけは執拗にケチなわたしは、駐車料金の「500円」をどうしても払いたくないがために、駐車場の契約スーパーで1000円分の買い物をする羽目に陥る。これまでは、牛乳やら卵やら毎日必要な食料品を989円分とか、976円分とか買っていた。駐車料金ケチだ。
5階建てのそのスーパーでは、この何日か4階を閉めて改装工事が行なわれていた。そして、新装開店で4階に姿を現わしたのは、フロアの約1/4を占める本屋だった(残りの3/4がどうなっているのかは知らない、もとい、興味がない)。
いけないねぇ。
まずいねぇ。
今日は歩きだから、1000円分お買い物をしなくてもいいのに、思わず体が吸い寄せられる。ビジネス書が多い、翻訳物のミステリーとか置いてないのかしらん、と思いながら眺めていると、創元推理文庫の塊が目に入った。作品数が少ないなぁ、スーパーの中の本屋さんだもの、仕方ないよね、と思いながら近くによると、なんだかいい感じがする。あるじゃないの、サラ・ウォーターズの新作が。エレン・ヴィエッツもあるぞ、しかも新しい作品! へぇ、ここの店員さんの好みはわたしと似ているのかも。
視察のつもりだったけれど、帰り際、なぜだか平積みされていた米原万里さんの新書に手が伸びる。「なぜ、この方はこんなにも早く逝かれてしまったのかしら……」と思いながら、『米原万里の「愛の法則」』を持ってレジへ。
これからは、牛乳や卵が文庫に変身することが決まった。
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『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書)は複数の講演会の内容をまとめたもの。そのため、書籍ではあるけれど、話し言葉で書かれている。2005年、闘病中の米原さんが来長された際には、「GLOBALIZATIONと国際化のあいだ」と題した講演を須坂まで聴きに行ったが、この本を読んでいると、あのとき、妙な息継ぎで講演されていたことを思い出す。
当然、通訳や翻訳に関しても触れていて、読書の仕方、濫読の重要性、「概念をとらえて訳す」ことの意味など学びが多くある。その中で、ドキっとすることが書かれていた。
同じ言葉でも思い浮かべる内容は人それぞれで、言葉が違えばその内容の差も大きくなる可能性があり、その差を縮めるために通訳が存在する、例えば、神との交信に一種の通訳を使っていた時代もあった、という件で、ドキっが出てくる。
(前略)神様と交信するときには、現代でもやはり通訳を使ったほうがいいのではないかと考えています。
ただし、一つだけ問題があります。どんな分野にも自分の能力について誤解している人間が、最低二〇%はいると言われています。つまり、自分は実際の能力以上にできると思い込んでいるわけです。(中略)例えば、弁護士にしても、優秀な弁護士もいれば、自分は優秀だと思っているけれど実際には全然だめな弁護士もいます。大学の先生でも事情は同じです。
ところが、神様との交信能力については大体九八~九九%の人が自分の能力について過信しているのです。(後略)(P.123~124)
「通訳」を「翻訳」に置き換えて、「そうそう」と読んでいる自分が怖い。

