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「長野でのんびり翻訳生活」の野望

翻訳とか原書を読む会とか

『サウダージ』

2005-09-28 15:29:57 | 読んだ本
垣根涼介 文藝春秋

  『君たちに明日はない』に関して、垣根氏は「今までの小説とは違うタイプのものを書いてみた」などと書いていたように思う。確かにこれは『君たちに~』とは全く違う。

  ポルノ小説かと勘違いするほどポルノチック(『君たちに~』も多少エッチだったが)で、残虐シーン満載。その上、現金と麻薬の強奪が舞台。とってもハードで肩がこりそう。実際、こった。でも、登場する男たちはカッコいい。柿沢とか、桃井とか。屈辱を受けることに耐え切れず自信がありそうでない、あっくんとチキートには、妙に人間らしさを感じる。干物みたいにぺっちゃんこになった死体も出てくる血まみれの話なのに、読後がちょっとさわやかなのはなぜだろ。それぞれの別れに、明日が見えるからかな。

  最後に書かれた「シェガ・ジ・サウダージ」はポルトガル語。この曲からボサノバがはじまったと言われている、スタンダードナンバーのタイトルと同じ。邦題は「想いあふれて」。題名にもなっている「サウダージ」は「郷愁、とどかないものに対する憧れややるせない気持ち、家族や友人をなつかしむ気持ち、恋人を想う気持ち、自然に対する気持ち・・・といった感覚を表す言葉」だそうだ。人はひとりでは生きていけない、きっと。

  曲に関してはこちら→http://hiyokomame.com/ottnet/bossa/chega.htm

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『天使のナイフ』

2005-09-27 08:46:44 | 読んだ本
『天使のナイフ』
薬丸岳 講談社

  重罪を犯した少年の「更生」とは何を指すのか。少年の「可塑性」は普遍なものなのか。被害者の人権はどこまで侵害されてしまうのか――重い課題を投げかけた作品。最後に次々と明かされていく人間関係の複雑さには、少々無理があるような気がする。それでも、焦点を少年犯罪に絞り、視点をぐらつかせず妻を奪われた桧山に固定したことで、うまくまとめられている。

  第51回江戸川乱歩章受賞作。

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『アヒルと鴨のコインロッカー』

2005-09-26 17:15:30 | 読んだ本
『アヒルと鴨のコインロッカー』
伊坂幸太郎 東京創元社

「二年前」と「現在」の出来事が交錯。けれど、読者が決して混乱することのないような話の展開になっている。「二年前」の「わたし」は、二年前の出来事の中心的存在、河崎と琴美とブータン人ドルジのうち、琴美。そして「現在」の「僕」は、その三人の物語に後から参加しただけ。えっ、どうなっていくの? 何なの、この話し? と思わずページをめくってしまう。出来事のむごさと、輪廻の世界観がアンバランスな関係を保っている。

  どの登場人物もとても中性的なのが印象的。男性はとても優しく、女性はどことなく男性っぽい。表現やたとえもユニーク。ある人の顔を「知性が蒸発してしまったようにみえる」と表しているあたり、なるほど、知性が蒸発してしまった感じね、と想像ができてしまう。的を得ているからだろう。

  第25回吉川英治文学新人賞受賞。

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『壊れた脳 生存する知』

2005-09-26 10:30:26 | 読んだ本
『壊れた脳 生存する知』
山田規畝子 講談社

  脳が壊れていても、知性は存在する――理屈ではわかっていても、理解しづらい。その実際を医者が体験談として語っているのが本書である。山田氏は1964年生まれというから、わたしよりも若い。学生時代に脳卒中で倒れ、ウィリス動脈輪閉塞症(ウィリスどうみゃくりんへいそくしょう、通称モヤモヤ病。脳血管の一部が閉塞し、それを補うため、細い血管が多数新しく発生している様子がモヤモヤに見えるところから)という持病があることが発覚。合計4回も倒れている。生死をさまよう事態になったこともあったという。脳損傷は広範囲に及び障害も深刻だが、幸いにも言語機能に関連する部分に損傷がなかったため、言葉を書くことで自身の体験を言葉で綴ることができた。
  
  氏の尊敬する山鳥先生が「人間の行動は記憶がすべてである」と著書で語っているそうだが、その「記憶」が怪しくなったり、考えたとおりの行動がとれなくなったりした場合、知を持つ人間として不本意な自分をどう捉えればよいのだろうか。高次脳機能障害(高次な脳機能の障害)をわずらった人たちに自殺者が出るというのは理解できる。

  認識の話で、非常に興味深い記述があった。語学を習得する上でも全く同じことがいえるのではないかと思い、ここに引用する。
~ここから引用~~

 言葉を発する力 この職場で教えてもらったことで、自分なりにあれこれ考えていることがある。私のように頭頂葉の異常で、空間認識やものの位置関係がわかりにくくなっている人が道に迷わないためには、考えを言語化するといいそうだ。

「あそこで右に曲がったんだから、左に行けば、目的地に着けるはずだ」というように。

 その理由は、目で充分に認知しきれない情報を、耳から入力することによって補えるからだと考えられているらしい。
 
 それも確かにあるだろう。だが私の感覚では、それはいくつかの代償作用の一部分にしかすぎない気がする。言語化する、ぶつぶつ言ってみるということが、霧のかかった頭の整理に有効だというのは正しいと思う。だが、道に迷わなくなる本当の理由は、耳から情報を入力する効果だけだろうか。

 私個人の考えでは、言語化すると、その声に出したという行動と言葉がいっしょになって記憶に残るからではないかと思う。それも若干、長期記憶に近い、しっかりとした記憶である。そうなると、比較的ゆっくり、安心して自分の行動を分析できる。だから頭も整理されやすいし、深く考えることもできる。

~~引用ここまで

  実に健常者の語学学習と同じである。何度も口にすることで、情報がすぐ忘れてしまう短期記憶から長期記憶に変わっていき、自由に頭の引き出しから取り出せるようになるのだ。

  もう一つ勇気を与えられるのが、「どんな脳でも必ず何かを学習する、ということだ。ただし、それには前提として、やろうという意思の力が必要である。それがある人は必ずよくなる」というくだり。これは健常者であっても同じ。いかにして、やろうという意思の力をつけるか、モチベーションを持つのかがカギになる。

  解説で山鳥先生が書かれている――「認知的な障害を回復させるためのもっとも重要な鍵は、自己の欠損を洞察する力である。自分の心が自分の心の障害に気づく、ということである」。目に見えない、脳の中の障害を気づくのは本人同様、周囲の人にとっても難しいことである。サポートする人にも当然洞察力が求められることになる。

 人間は何もないところからは何も思い出せない。自分の知らないことを話せないのと同じだ。だからこそ、不幸にも脳に損傷を受けたとき、それまで自分が何を学び、何を感じてきたのかが重要になる。今からでも遅いことは決してない。記憶の素を頭に叩き込む努力をしよう。

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『ブルータワー』

2005-09-25 10:23:34 | 読んだ本
『ブルータワー』石田衣良 
徳間書店

  悪性脳腫瘍をわずらった40代の男性瀬野周司の精神が、その激痛に悶え苦しむ中、戦闘状態にある200年後の世界にジャンプするという奇想天外な話。地表はもはや人間が住めないほど、強力なインフルエンザウイルスに汚染されている。世界は人民を人民が選別する究極の階級社会で、上流階級になればなるほど安全な塔の上層で生活できるという。当然、階層間には摩擦が起こり、社会は混乱、自爆テロが頻発する戦闘状態に陥る。ジャンプした周司の精神は、200年後の世界で上層階級に属するセノ・シューの体に乗り移る。そして、200年の時空を行き来しながら、戦闘を終結させるカギを探し出す。

  石田氏はじめてのSF作品だという。時空をわたる作品は荻原浩の『僕たちの戦争』でも読んだ。パラレルワールドの存在はそれを考えるだけで頭が爆発しそうになる。それを文章に克明に書き記すことのできる作家はやはりすごい。ビジュアルに訴える圧倒的な筆力だけでなく、精神論を展開しているのも見逃せない。中国の文化大革命で囚われの身となった知識人のくだりでは、「人は確かに環境によってつくられる。だが、与えられた環境をのり越えるのも人の力だった。」(P.399)と語り、また、危機に直面した主人公には「人間とは本来なんだろうか。~(中省略)~人間とは、その人物の持ち歩く記憶のことではないだろうか。」(P.385)と考えさせ、人間の本質にも触れている。

  もっと読みたい、石田衣良。

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