気ままに生きてます 2

日々のつぶやきと旅日記です

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

私の脳腫瘍の記録 8

2015-07-15 21:02:48 | 悪性脳腫瘍の記録
最初の手術直後は
頭がガンガン痛かったと、
記憶してますが、

日増しに痛みは薄れてきましたが、
お天気が悪いと痛いって感じですね

毎日が仕事に追われ、

もう私にはしんどいです!

と、

半分冗談
半分本気で 上司に話したら

民営化後の
平成20年4月に
同じ生駒市内の郵便局に、
異動となりました。

民営化の時に肩書きも
変わってしまいまして、

課長はいないのに

課長代理、、、


なんの事だかよくわからないまま、
今でもこの役職です


生駒市内は縦に長いんです。

南の方の生駒市内の職場に
異動しました。


で、

客層も全く違いまして、

次の職場は
私にとっては
いい勉強になった所でした


初めての、
女性の上司だったのですが、

みんなが注目する時に
成績を挙げると、
印象が違う!

と、
言われ、

確かにそうでして、


この職場で
私の花が咲いた感じでした



が、


この上司が
定年前に退職し、

次に赴任してきた上司が
とある信用金庫の支店長をされてた方が

新天地?

を求めて、

着任されました


2年目に入った職員と

4年目に入った職員と、

4人の職場


やはり、
皆さん頑張ってくださるんですが、

どうしても、
私もさらに頑張らないと
いけなくて、、



とある
クレーマーさんが
お越しになって

長時間 お相手をさせて頂き、

なんとかお帰り頂いたんですが、

疲れたんでしょう、、


日曜日、
横になっている時に

痙攣発作が起こり、

救急車のお世話になりました

たまたま、
三男が一緒に居てたのですが、

私が口から泡を吹いてて、
白目になってたらしく、

慌てて
110番にかけたらしく、

落ち着いて
119番にかけてね!

と、言われたそうです

私は記憶に無いのですが、

来てくださった救急の方に

自分で乗れます!

と、
歩きだしたらしいのですが、

やはり担架に乗せられ、

救急車に乗り込みました。

この車の中の事は覚えてます

次に覚えているのが、

CT撮影の機械の中、、


入院はしなかったのですが、

主治医の許可で、
段々と、痙攣止めを減らしていたんです


今まで、
痙攣なんて
なったことがないので
やめてもいいですか?

っ聞いたら
徐々に減らしていって。

と、
言われてたので、
徐々に減らして

痙攣が出た時はほとんど薬を
飲んでなかった時期だったんです


クレーマーのショックもひどくて、

しかも痙攣で、
機械操作がわからなくなりまして、
4年目の職員に聞く始末で、、


あまりにもショックで、


電車が職場に近づくにつれて、
動悸が激しくなるんです


上司に
病院に行ってみたら?

と言われ、悩んだ挙句、


結局は心療内科に通いました


この時は

心の病で、

病気休暇をもらいました

約3ヶ月休みましたが、

産業医の面談では、
鬱ではないと言われたので、
職場にはすぐに戻れました


当時はまだ、
人員がたくさんいましたので、

私の替わりに
来てくださってた職員さんが
いらしたので、
てっきり私が転勤するもんだと
思っていたら

その方が転勤しちゃいました


でも、
私が休んでいた3ヶ月の間、

上司が自分がしなければ!

と、思ってくださったみたいで

私は
窓口で営業だけをさせてもらいまして、
なんどか表彰もして頂けました


休んでいた間に
職場の成績が
どん底まで下がってしまい、

申し訳ない!

と、
頑張ったからだと
思っています


結局
この職場には6年間在籍していましたが
職場の成績としては、
常に上位に入っており、
私も ここでの経験が
とても印象に残っています。

鹿の愛護会に入っておられる
おばあさまが
全くの自費で、
鹿の折り紙を毎月100匹づつ持ってきてくださったり、

向かいの酒屋さんの奥さんとは
嵐のコンサート話で盛り上がったり
私は嵐ファンではないのですが、


お客様にも恵まれ、
とても楽しく仕事をさせてもらってましたが、

やはり
また異動の辞令がやってきました


それが、

在籍している職場になります。


コメント   この記事についてブログを書く
« 私の脳腫瘍の記録 7 | トップ | 7月17日の日記 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

悪性脳腫瘍の記録」カテゴリの最新記事