COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

限りある地球に住む一地球市民として、微力ながら持続可能な世界実現に向けて情報や意見の発信を試みています。

学生の論文集 第1章 公害と環境汚染 PART 1

2007-06-11 01:09:19 | Weblog
 先日、某学で講義している120余名の文系学生達に、自然理解関連科目の履修をどう考えているか書いて貰ったレポートを掲載した。似通った記述が多く、字数制限もあって、個々の意見の独自性が曖昧になった嫌いがあった。そこで学生達を五つのテーマに振り分け、今後の5週間に異なるテーマについて分担執筆して貰うことにした。文字数制限も倍に増やしたので、個々の意見の独自性が見やすくなった。ブログ開設者の願いは、全体の中に埋没して目立つことを避けたがる学生達が、他の学生達のレポートを読むことで互いの意見や情報を共有することで、講義の聴講では得られない教育効果を生むことである。

以下、提出順にPART 1、PART 2に分けて掲載して行くが、文責は個々の学生さん達にある。

掲載論文リスト
1.発展の代償(学生109)
2.北九州市の公害対策と再生(学生114)
3.公害問題から考えるこれからの環境(学生129)
4.公害と環境汚染に向き合う(学生103)
5.駆け足を歩みに(学生160)
6.公害を防ぐすべはあるのか?(学生番号27)
7.今後私達はどうしていくべきか(学生36)
8.環境問題について(学生93)
9.私たちにできること(学生28)
10.公害問題は防げなかったのか(学生161)
11.公害と環境汚染から考えるべきこと(学生33)
12.科学と社会(学生99)
13.公害を止めるために必要なこと(学生95)
14.忘れてはならぬ配慮、求められている対価(学生51)
15.公害病と対策(学生149)
16.個人の意識(学生83)
17.高度経済成長期の代償(学生163)
(以下はPART 2に掲載)
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1.発展の代償(学生109)   
 明治以降日本は急激に発展してきた。私たちの生活は便利になったし、豊かにもなった。しかし、豊かになったり便利になったりした反面、環境に影響を与え公害まで引き起こしてきた。確かに、発展することは大事だが環境に影響を与えすぎることは、結果的に人間にマイナスになるのではないだろうか。
 例えば、イタイイタイ病がそうである。戦時中環境のことを考えずに、排水対策を施さず廃水を垂れ流し川が汚れ、その結果排水中のカドミウムが人体に影響を与え骨軟化し、激痛に見舞われ、最終的に死に至るものである。その他にも、水俣病や四日市ぜんそくなど日本各地でこのような公害が発生した。
 このように、日本は発展するためとはいえとても大きな代償を支払った。だから、これからの日本はこのことを教訓にして、日本を発展させるためとはいえ環境を無視したことはせずに、環境に対する影響をしっかりと事前に調べて行動すべきである。

2.北九州市の公害対策と再生(学生114)
以前「灰色の街」とまで言われながらも見事再生を果たした北九州市に興味を持ち調べることにした。 
北九州市は製鉄所などからの「七色の煙」により大気汚染の影響は著く、呼吸器疾患などの健康被害が発生し市民の生活に深刻な被害を及ぼした。同市は「公害の街」「灰色の街」と呼ばれ洞海湾は「死の海」と言われた。
市では、官民一体となり対策に乗り出した。市は公害対策組織を結成し国の基準を上回る「公害防止条例」を制定した。企業は燃料を転換したり企業同士で自主的に公害防止協定を結び公害沈静化を図った。その後、同市は環境保全に大きく貢献したとして国内外の様々な賞を受賞し高い評価を得ている。そして今、同市は長年にわたって蓄積された膨大な技術力を活用し国際テクノロジー都市の完成を目指している。
これから、北九州市は中国など発展してきている国のいい見本になると思う。その技術力と経験を様々な国や地域で生かし続けてほしいと思う。

3.公害問題から考えるこれからの環境(学生129)
公害とは環境汚染から起こったものである。今も環境汚染はあるが、公害が起こった当時の環境汚染が最もひどかった。それはどのようなものであったのか。
公害の最も大きな問題点は広い範囲で大きな生物被害、健康被害、そしてたくさんの死者を出したことである。しかもこれらがほとんど同時期に起こった。公害の原因は高度経済成長の過程で、経済発展にだけ目を向け、環境の方に目を向けなかった為であると思う。その当時、工場などでは環境汚染を強く進める物質などを大量に排出していた。日本経済が波に乗り、もっともっと発展させようと環境のことを無視して、自分達の利益ばかりを考えた結果、このような大きな公害問題が起きてしまったのである。
これから私達はこの過去に起きた大きな公害問題を後世に伝えていくと共に、そこから学習し、二度とこのような公害を起こしてはならない。そして同時に、ほかの環境問題についても考えていく必要がある。

4.公害と環境汚染に向き合う(学生103)
 古代から人間全体は自然破壊を通じて衣食住を保ってきた訳だが、それは生活するためであり仕方がなかった。
 だが近代の公害や環境汚染は一部の階級者たちの恣意的な利益のため、急速な開発によって生み出された副産物であるから、誠に残念としか言いようがない。利潤を追求する現代社会が今後一切の環境破壊活動をやめることもありえないだろう。その中で、科学技術により環境改善をする活動が進められていることも事実である。この間テレビでとある技術者たちが濁りきった隅田川で微生物を利用し、水質改善に成功したとの報道があった。身近の問題が解決されるほど嬉しいものはないが、よく考えてみれば、それだけ身近にも汚染は迫っていたわけだから同時に恐怖を覚えずにはいられない。
 環境が破壊されれば公害が伴うのはおかしくない。だから、公害を生み出さない為には我々が環境について知識を持ち、賢くなる必要があるのではないだろうか。

5.駆け足を歩みに(学生160)
環境汚染がとまらないのはなぜか。人間が生活を豊かにすることばかり考えているからだ。
私達の生活は豊かであり、快適なものだ。それは決して悪いことではない。しかし、我々は自分達の生活のことしか考えず、今持つ技術をよりよいものにしようとしすぎている。出来るから、という理由だけで、環境にどのような影響が出るかを知らぬまま技術を使うのはあまりにも無責任だ。たとえば、多くの人は農薬が環境や人間に影響を及ぼすとは考えぬまま使用している。たとえ少量でも積もれば莫大な量になるのに、自分の生活を最優先していてはその事実になかなか気付くことが出来ないのだ。生活をよりよきものへと考えるあまりに自然の時
間の流れを忘れ、先を急いでばかりいては環境汚染は酷くなる一方だろう。
私達は地球の時間の流れを越えて暴走してしまった。今一度地球や自然、他の生命の流れを確認し、環境と人間生活の均衡を取り戻すべきである。

6.公害を防ぐすべはあるのか?(学生番号27)
公害はなぜ起こるのか?小学生の頃にその言葉を知ってからずっと疑問に思っていたので根本から考えてみました。
まず公害は工業化によって引き起こされます。なので日本などの工業的に発展した国の背景には、その代償として公害という問題を抱えていることが多くあります。
これは授業を参考にした仮説ですが、ある地域で複数の工場が競うようにして発展したとします。その対立する工場は売上を伸ばしたいと考えると同時に、少しでもコストを減らしたいと考えます。結果、ある工場が廃棄物を処理する費用をおしみ、勝手にそれを河川等に流し、それによって河川が汚染され公害が起こったと考えることもできます。
このようなことから公害は企業の環境への配慮の怠りがまねいたものだと考えられます。つまり公害は企業の心がけ一つで防ぐことができるのです。よってこれから公害が起こりそうな国にその危険性を知らせるべきだと思います。

7.今後私達はどうしていくべきか(学生36)
現在私達の生活する地球では様々な問題が起こっています。その代表的なものとしてあげられるのが公害と環境汚染です。
まず公害ですが、どれも大変深刻なもので、原因は様々ですが、企業活動によって引き起こされたという点は共通していると思います。ですので企業側は地域住民に対して最善の配慮をする必要があるのではないかと思います。環境汚染に関しては、本当に身近な問題で、私達がより快適な生活を求めるために引き起こってしまったと思われるので、改めてよく考える必要があると思います。現に自分自身もこのレポートを通していろいろと考えさせられました。少しでも環境のことを考えてリサイクルできるものはするなど、身近なことからやり始めたいと思いました。
やはり公害も環境汚染も私達人間が関わっていることに違いないので、取り返しのつかないことになる前に、今私達にできることをしていって欲しいと思います。

8.環境問題について(学生93)
日本は経済を成長させるため、戦争で得た景気を継続させるため、多くの工場を建設し、森林を開拓してきた。
 多くの人が生活の向上を望んでいただろう。そして、日本の社会を向上させることが重要視されていた。公害や環境破壊はその代償だと思う。人間の自分勝手な望みのせいで自然は傷つけられた。そして、人間は自然を傷つけた結果として公害を被ったのである。
 私たちは、自分たちの利益のためだけに発展を続けてはならない。どうしたら人間が住みやすい環境を作ることができるのか、自然にとって何が大切かを考えなければならない。そしてそれは企業のみが考えることではなく、私たち一人ひとりが考えるべきことなのである。

9.私たちにできること(学生28)
技術発展の追及が環境を破壊するまでになった。過去に起きたことは、もうどうしようもないが、これからの社会において、公害や環境汚染を防ぐためにはどうしいたらよいのだろうか。
 私たちにも公害や環境汚染を防ぐためにできることがたくさんあると思う。まず第一に、工場など、汚染の原因となる企業側の細かな配慮が必要であり、安全性の検査がとても重要であるが、私は地球に生きる一人の人間として、ごみや資源のの分別や節電・節水、エコバックの利用などを地道に実行している。誰にでもできることのように思えるが、意外と実行できていない人も多い。当たり前の事に取り組む姿勢が大事であり、動くかどうかが肝心である。
 他にも、車の排気ガス減量のために、公共交通機関を利用したり、再生紙を積極的に使用するなどできることはたくさんある。地道な私たち一人ひとりの取り組みの積み重ねも大きく環境保全に貢献できるはずだ。

10.公害問題は防げなかったのか(学生161)
 公害問題は防げたはずである。チッソ水俣工場と水俣病を例にして問題点はどこにあったのかについて考える。 
 1952年の段階で製造工程で水銀の使用がされているのはわかっていた。つまり早い段階で魚類の大量死の原因となった化学物質に着目していた。そして56年には水俣湾魚介の摂取と水俣病との因果関係も判明していた。にもかかわらず、県はチッソとの関係を認めなかった。国も水質2法を発令したものの、調和条項を付けた。どちらも経済成長を優先したためである。県も国も、「ここで工場を廃止したら日本経済に打撃がくる。」ということよりも、水銀の危険性、被害者の拡大の阻止を優先して考えるべきであった。
 類似例として、薬害エイズも国、製薬会社の利益を優先したために対策が遅れた。タミフルの問題も、因果関係は判明していなくても、疑わしい段階で早めの対策をとるべきである。教訓は生かされなければならない。


11.公害と環境汚染から考えるべきこと(学生33)
今各地で公害や環境汚染の問題が深刻化しつつある。今回はその状況や今後の対策について考えていきたい。
 数十年前、我が国で重大な公害が猛威をふるった。四大公害だ。どれも工場から排出される物質が原因だった。被害は大きく、四大公害病にかかった人の苦しみは想像を絶するものだった。もっと被害を抑える方法はなかったのだろうか、と誰もが思ったはずだ。そもそもこの問題を事前に防ぐ事は出来なかったのだろうか。最近、技術が発達し、便利な物を作る事に力を注ぐようになった反面、安全性を考える事を疎かにするのが目立つようになったと感じる。その結果が現在だ。今地球上では、公害だけでなく、大気汚染や水質汚濁などの問題が手に負えない危険な状況となっている。人間の軽率な行動がかけがえのない地球や私達自身の未来を奪おうとしているのだ。
 人類はこれを止める義務がある。そしてそれは全ての人に言えるという事を頭に入れておきたい。

12.科学と社会(学生99)
私がこの公害と環境汚染の講義を通じて考えたのは科学と社会がつながっていないようで密接な関係を持っているということです。
なぜ私がそのようなことを思ったかというと産業革命以降人類の科学はめざましい発展を遂げました。しかしそれは新たな公害を生み出しました。その苦しみから逃れようと人々が抗議する事に対し政府が介入し自分達の都合のいいように最小限のことしかしない。この事は科学の発展によって政府(社会)が動かされていることだと思います。それは私はあってはならないことだと思います。逆に社会が科学を動かしていかないといけない。私はそう考えます。社会というのは人々がいて成り立つものであり科学だけがあっても成り立たないからです。人々にとって科学は必要不可欠なものですがそれが人々を苦しめるのはおかしいことだからです。
社会が科学を規制し苦しむ人々をいかに減らしていくかがこれからの課題だと思います。

13.公害を止めるために必要なこと(学生95)
前回の授業で公害について学び、その被害はどれも悲惨である事を知った。公害を防ぐために必要なことは何だろうか。
四大公害の原因となったどの企業も、初めは自分の会社の責任を否定していた。国も、大学の研究室に、原因を明らかにするな、と指示など、公害の原因を突き止める事を避けていた。これらは、当時日本が経済成長の只中で、それらの会社が有害物質を排出している事が判明すると、経済の発展に支障をきたすと感じたからだろう。しかし、人間が生きていくためには、整った環境が必要不可欠なのだ。目先のことだけに捕らわれず、環境維持の大切さに気づくべきであった。
中国等の発展途上国では今日も公害が相次いでいる。自国の経済発達の事だけを考えるのではなく、将来の地球のことを考えることが必要だ。 そのためには公害経験者である日本や、その原因を起こした企業等が責任、過ちを認め、環境を守る運動をしていく必要もあるのではないだろうか。

14.忘れてはならぬ配慮、求められている対価(学生51)
 生活を豊かにする営みの中、私たち人類は環境への配慮を欠いてきていた。その代価の支払いが今求められている。
 チッソ水俣病について考えてみる。資料を見る限り、事件の初めからチッソと奇病との因果関係をはっきりと示す証拠こそなかったものの、誰が見ても関係があることは明らかであった。しかし当時の日本政府は、重要な化学企業であったチッソを守ろうと働きかけるばかりで、環境は勿論、その地域に住まう人々のことからさえも目をそらしていた。環境汚染への対価は今も、胎児性水俣病患者の苦しみとして支払わされ続けている。私はこの事実から度し難い程の怒りと悲しみを感じる。環境汚染には何の関係もないはずの第三者が苦しんでいるからだ。
 このように環境汚染の爪痕は、汚染行為に何ら関係のない第三者にまで襲い掛かる。そしてその爪痕は多くの場合、取り返しがつかずに残り続ける。私たちはそのことを忘れずに行動しなくてはならない。

15.公害病と対策(学生149)
 私が公害と聞いて連想するのは、水俣病、四日市ぜんそく、新潟水俣病、イタイイタイ病などの四大公害病である。
 これらの公害病の共通点の一つとして、すべて産業廃棄物などによる環境汚染が原因であるということがあげられる。もしも汚染の原因である恐れのある企業が、自主的に営業を停止するなどの真摯な措置を取っていれば事態はもっと軽く済んだに違いない。しかし、公害病の被害が深刻となった原因としては、汚染の原因となった企業だけではなく、政府などの対応の遅さもあったと思う。
 最近、日本で深刻な環境汚染といえば、やはりごみの不法投棄であろうか。これを規制するのは難しいことではあると思うが、対策の遅れは取り返しのつかない事態を招きかねない。同じことの繰り返しだけは避けねばならないと思う。

16.個人の意識(学生83)
 公害や環境汚染を解決するには一人一人の努力が必要不可欠である。そもそもこのような問題が起こった原因は私たち人類にあると思う。
 私たちは自分たちの生活をよりよくするために経済の発展を重要視してきた。その結果環境汚染などの問題が発生した。一方、公害は企業などの団体が自分たちの利益のためにやりたい放題だった。そしてそのことについて指摘をされても自分たちではないと責任のなすりつけをしてきた。このような自分のことしか考えていない無責任な行動のせいで問題が深刻化してきている。先日行われたサミットでは大国であるアメリカが環境問題よりもテロなどの問題を優先すべきだと言っているのを聞いて驚くというよりもはや失望した。
 公害や環境汚染をこれ以上防ぐには一人一人が状況をよく理解し、努力することが最も重要なことだと思った。

17.高度経済成長期の代償(学生163)
 今、私達は様々な問題を抱えて生きている。環境汚染もまたその問題の一つである。
 日本は昔、公害病という病気によってたくさんの被害者が出てしまった。その原因となったのは全て工場から出る排気汚染や有害物質である水銀などであった。このような事件が起こったのはちょうど高度経済成長期であった。この時期というのは今を生きる私からするとすごく大事な時期であったと思う。今、日本が世界でも有数の先進国となったのはこの時期があったからだと思う。だから工場を増やしたりしたことはしょうがないと思う。けれども排気ガスの排出量を制限したり政府が徹底して工場を点検していればこのような大惨事にならなかったと思う。まだこの公害事件によって苦しんでいる人はいる。政府や原因となった工場はその苦しんでいる人の為にもこの公害事件を忘れずにこれからの日本を支えてほしいと思う。

(以下はPART 2に掲載)

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公害と環境汚染の意見を読んでみて (NIKI)
2007-06-12 01:56:28
 「地球環境を大切にしよう」という意見は多くの人が考えていることだと思う。
しかし、その意見は第三者である自分、或いは被害者を主体にしているように思う。別にそれがいけないことだとは言わないが、加害者の視点にも立たないと問題は解決しないと思う。
被害者の視点に立てば、「かわいそう」や「痛々しい」という感情から加害者への憤り、そして憎悪へとつながる。確かにそう考えたほうが構図がハッキリするし、わかりやすい。
しかし、実際にはそんなに単純だろうか?
 たとえば、自動車についてはどう考えるだろう?
自動車が環境にとって有害なのは周知の事実であると思う。であるにもかかわらず、自動車を世界から一掃しようという意見は僕が知らないだけかもしれないが、聞いたことがない。銃砲火器を廃絶しようという運動なら、まだ見かけるのだが。
「銃器は人殺しの道具で、自動車は違うから」とも言えるが、僕にはそれが後からとってつけたロジックに思えて仕方がない。自動車は世界にあまりにも氾濫している。その恩恵にあずかる人は兵士や犯罪者ではなく、自分たちと同じ一般人である。
そこにからくりがあるように感じる。
自分も含め、あまりにも多くの人々がその恩恵にあずかり、実際にいま消滅してしまえば、非常に困るモノ。
本当に自分自身に利便性を享受させてくれるモノは、手放せなくなる。銃器はいい、なくなっても困らないから。
この自己中心的ロジックは公害を発生させた企業と同じではないだろうか?
僕は自動車を廃絶したいわけではない。
ただ自動車廃絶があまりにも少数意見なのは疑問だ。
大多数の人々の利便性を害するようなことは声を大にして言えない。
加害者は企業だが、企業は集合体だ。そこには多くの人が勤め、その一人一人に営みがある。だから自分たちも充分加害者になりうる。否、もう既に加害者である。
自動車に乗りながら、自然環境保護をうたう、そこに僕は違和感がある。
いつか使われるとわかっている核兵器の開発に携わりながら、地雷駆除をしているようなおかしな感覚。
 このパラドックスとエゴイズムからは人間はどうすれば脱却できるだろうか?ひょっとしたら未来永劫できないかもしれない。
しかし、こういった意識と自覚を持つことが環境というカテゴリを考える上で必要不可欠だと僕は思う。

大気汚染 (横ざわ渚)
2011-03-03 20:50:49
わたしは5年で大気汚染について調べています
5年 (yn)
2011-03-03 20:53:04
こんにちわ5年生ですでわさよなら

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