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乗ってみた!空前の大阪発・上野行きブルートレイン

2012年05月10日 17時55分31秒 | コラム・ルポ

記者の眼 乗ってみた!空前の大阪発・上野行きブルートレイン 向谷実“車掌”に学ぶ企業を結びつける力(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 4月27日夕刻のJR大阪駅。次の日からの大型連休に期待を膨らませ、会社や学校からの家路をたどる大勢の人々でごった返す。なかでも独特な熱気に包まれた10番線ホームは、カメラを構えた鉄道ファンであふれかえっていた。お目当ては、寝台特急ブルートレインの臨時列車、その名も「ニコニコ超会議号」だ。

たまたま通りかかった人も携帯電話で記念撮影

 この列車は、インターネットの画面上でユーザーがコメントを付け合うことができる動画サイト「ニコニコ動画」を運営するドワンゴが、東京の幕張メッセで4月28~29日に開いたイベント「ニコニコ超会議」の参加者を関西方面から運ぶために企画された。発案者は、無類の鉄道マニアとして知られるミュージシャンの向谷実氏だ。

向谷“車掌”がご登場!

 向谷氏は日本を代表するフュージョンバンド、カシオペア(現在は活動休止中)のキーボード奏者として名が知れ渡る一方、電車の運転シミュレーターを製造・販売する株式会社音楽館(東京都世田谷区)の社長として大忙しの日々を送っている。このことは日経ビジネス2月13日号の「旗手たちのアリア~鉄道に安心捧げる音楽家」でも紹介したことがある。

 その向谷氏がこの日、薄いグレーの制服・制帽を身にまとい車掌に扮して登場すると、鉄道ファンたちのカメラから一斉にフラッシュがたかれた。敬礼のポーズを決めながら、初めて会ったはずのファンたちと古くからの知り合いのように大声で語り合っている間に、発車時刻が到来。17時49分、定刻通り大阪駅のホームを滑り出した夢のブルトレの行き先は、かつてなかった路線となる上野駅。しかも、ここから日本海側へ遠回りする長旅だ。

誰よりも表情がまぶしい向谷車掌(ドワンゴ提供)

夢を現実にする発想力とエネルギー

 向谷氏が以前から親しくしているドワンゴの川上量生会長と話が弾んだ際、全くのノリで決めたこの「夢のブルトレ」企画は、鉄道好きの向谷氏がこれまでずっと暖めていたアイデアの一部だったという。

 「夢」の企画とされる理由。それは、車両が老朽化によって激減しているほか、飛行機や新型列車に押されて利用者が落ち込んだことで、これまで多くの路線が廃止されてきた背景そのものが物語る。そのことに加え、分割民営化して久しいJR各社の連携が国鉄時代のようにはスムーズにいかなくなったという事情も透けて見える。

 もちろん、分割民営化により各社が採算重視になったのは当然のことだ。ただでさえ長い距離の運行となった今回の企画に関しても、あるJR関係者は「夜間は旅客の乗降がないにもかかわらず、安全確保のために路線上の各駅に人を配置しなければならない。コスト面に限らず、会社をまたがって人員確保の調整をするのは難しかった」と打ち明ける。

 これまでもブルトレの臨時列車としては、夏の高校野球で応援のために地方と甲子園を結ぶための貸し切り列車や、一部団体の大量移動向けはあった。しかし、運行そのものをイベント化する貸し切りの事例はほとんどなかったという。

 いざ、やろうと思ってはみても、鉄道会社の関係者ですら簡単に言ってできる話ではない。それを実現に導いていくところが向谷氏の向谷氏たる所以だ。同氏が持つ発想力とエネルギーに、回りの多くの人が巻き込まれていくのだ。

 多方面に人脈を持つ向谷氏は早速、JRや旅行会社の関係者に相談を持ちかけた。電話に出た先方の多くは最初こそ驚きを隠せなかったが、熱心な向谷氏の話に耳を傾けるうちに、いつの間にか受け入れていた。「無謀に見える今回の企画だが、JR社内にも、予想以上に前向きに受け止めてくれる情熱のある人たちが少なくなかった」と向谷氏は振り返る。

 当初は、2008年に廃止された「銀河」(東京~大阪)のように東海道線を走るルートも考えた。だが、管轄の東海旅客鉄道(JR東海)ではブルトレの運用が事実上難しいという理由で断念。発想豊かな向谷氏は次に、機関士が多く所属する日本貨物鉄道(JR貨物)に相談を持ちかけた。しかし、JR貨物の車両は駅で客車用のホームに入れない。それではと、貨物用のホームを使う案を模索したが、そこでは人の乗降ができないという。

 それでもめげない向谷氏がすぐさま思いついたのが、今回の大阪から上野に至る路線だった。管轄となる西日本旅客鉄道(JR西日本)と東日本旅客鉄道(JR東日本)、そしてツアー商品として成り立たせなくてはならないという旅行会社としてのミッションを課せられた日本旅行が向谷氏を軸にタッグを組むことになった。

難題は車両の調達とダイヤの組成

 大きな課題の1つは、実際に車両を調達できるかどうかだった。ブルートレインの名前の由来になっている真っ青な車両は、長く連なる客車の部分だ。今回使われた客車は「24系ブルートレイン客車」。寝台部分が上下2段式で、寝台エリアと通路との間に仕切りがない開放型B寝台と呼ばれるものだ。通路側には開閉式の補助席もあり、乗客同士のコミュニケーションが取りやすい、開放的な空間が演出されている。今から40年以上も前の1968年(昭和43年)から製造が始まった車両だが、ブルトレの中では新しい部類だそうだ。

ブルートレインの名前の由来は真っ青な客車の色だ

 この客車は普段、JR東日本の青森運転センターで待機している予備車両だという。それを今回は5両用い、JR西日本のお膝元、大阪まではるばる移動させてのスタートとなった。

 客車を牽引する機関車は「EF81形電気機関車」。交流と直流の両方の電気で動くことが可能だ。今回の路線では途中、信越本線の長岡駅(新潟県長岡市)でスイッチバックして進行方向が逆になるため、同形の2つの機関車が使われた。大阪から長岡までは、JR西日本の敦賀運転センターに所属する、「赤13号」というローズピンク色の機関車だ。今年3月まで大阪~青森間を通常運行していた「日本海」などで活躍していた。そして、もう1つの長岡から上野までの機関車は、青森運転センター所属で、赤みが強い紅色の車体だ。いずれの機関車も正面に「ニコニコ超会議」と刻み込まれた特注ヘッドマークが掲げられた。台座から作り、3個製造したうちの2つが使用された。

“ニコ動”のキャラクターもしっくりはまったヘッドマーク

 もう1つの大きな難題は、いままでにない路線を、しかも通常運行する電車の間を縫って実際に走らせることができるかどうか。そこは、鉄道会社で運行ダイヤを組む担当を担う「スジ屋」と呼ばれる職人の腕の見せ所だ。今ではコンピューターを使ってダイヤを作成することが多いが、それでも随所に人間の勘が求められるという。向谷氏は最初の段階で、JR東日本の「スジ」に詳しい知人に相談し、心強い反応を感じたそうだ。

 ブルトレの車両や機関士が今でも比較的多いというJR西日本は、さして利益が多く出るわけでもないという今回の企画を受け入れたことについて、「鉄道をよく知らない人たちにも、改めて鉄道の良さを知ってもらういい機会になればいい」(広報担当)と、向谷氏ならではの発想力に期待を寄せる。実際、ニコニコ動画という多種多様なユーザーが集まるサイトのイベント向けとあって、100人を超えた乗客のうち約3分の1の人がブルトレ初体験だったようだ。

いきなり「とちりました!」

 それでは、そのニコニコ超会議号の乗車リポートを始めよう。

最近ではiPadが向谷氏のトレードマークの1つに

 カメラを構えた“撮り鉄”たちを後に、ラッシュアワーの大阪駅を定刻通りに滑り出した同号は東海道線を東へ向かう。

 「車内放送だあ、車内放送っ!」。乗客よりもはしゃいでいるのは、紛れもなく向谷“車掌”本人だ。日頃からちょっとした作曲・演奏用に肌身離さず持ち歩いているiPadを握りしめ、車掌室へ飛び込む。マイクをiPadに近づけて再生アイコンを押す。歌声合成ソフトのボーカロイドを駆使したご自慢のお手製車内チャイムが女性の声で鳴り響く。

 ♪にこにこ、にこにこ、ちょ~かいぎぃ~♪
 ♪ミソドミ、レシソソ、シ ~ララソ ~♪

 車内で一斉に拍手と歓声がわき起こる。

 「ご乗車ありがとうございます。ニコニコ超会議号、専属車掌の向谷でございます。それでは、くどいようですが、もう一度かけさせていただきます。私の人生で最大級の興奮する瞬間です」

 ♪にこにこ・・・(ブツッと途切れる)

 「…とちりました」(乗客、大爆笑!)

 想像通りというか、こんな感じで旅は始まった。

 今回の路線は簡単に言えば、実在の2つのブルトレを途中で組み合わせた格好だ。今年3月まで通常運行していた「日本海」の大阪駅から長岡駅までの部分と、今も走っている「あけぼの」の長岡駅から上野駅までの部分をつなぐと、同じ路線になるわけだ。この列車と同様に長岡駅で方向転換するブルトレには、金沢から長岡を経由して上野まで行く「北陸」があった。

昔のイメージを復活させたブルトレ着席券

 向谷車掌による最初の車内アナウンスに前後するころ、列車は高槻駅を通過した。途中、巨大な板チョコが側壁を被った明治製菓の大阪工場に圧倒される。ほどなく山崎駅を通ると、サントリーの山崎蒸留所の近くでは、夕暮れの中でベビーカーを押すお母さんが子供に電車を見せながらあやす姿が見られた。

 向谷車掌のほか、ドワンゴの川上会長、旅客全般の世話をする日本旅行の添乗員の方々、取材陣は最後尾の1号車に乗り込んでいる。古くなったとはいえ、ブルトレの乗り心地は良い。揺れはさほど感じず、新幹線の振動とは違う心地良さに、筆者は仕事を忘れていた。そのころ、向谷車掌は、乗客1人1人と談笑しながら、サインを書いて回り始めた。

路線の魅力

 京都駅を過ぎ、山科駅からは琵琶湖を右手に眺めながら北上する湖西線に入った。夜7時ごろはすでに暗くなり、湖面の様子はうかがえない。

 近江塩津駅で琵琶湖に別れを告げ、北陸本線へ入り北上。日本海に近い敦賀駅で運転停車した。この近くには、日本原子力発電敦賀原子力発電所があり、最近では直下に活断層の存在が指摘され、廃炉に追い込まれる可能性が出てきた渦中の場所だ。しかし、もちろん駅構内はいつもの平穏な空気に包まれている。ほかの同乗者と、そんな不思議な感覚を確認し合った。

 列車は福井駅を通過して、金沢駅に到着。時計の針は午後10時半。「JR」の文字をいくつもつなげたデザインの浴衣を着た乗客も目立ってきた。就寝の準備のため、枕元の照明を頼りに、細長い白いシーツを寝台となる座席に敷く姿も。

LEDでは出せない暖かみのある明かり

見所は長岡駅での方向転換

 筆者がブルトレに乗った思い出は30年以上前の1980年ごろだったであろうか。九州の熊本駅を夕方に発車し、翌朝に東京駅にたどり着く「みずほ」だった。今回の車内では当時の風情を堪能できた。上段の寝台に上るためのはしごは、両手で開閉する備え付け型のものだ。昔はあったタバコの吸い殻入れはすべて撤去され、ねじ穴だけが当時を思い起こさせる。

2階で落ちないように寝るには慣れが必要?

 窓側から突きだした小さなテーブルの下端には、ビンに入った飲料のフタをあける栓抜きが今も残っている。「フタのカドをひつかけて、ビンを上へ“こじる”」と、イラスト付きの説明書きも健在だ。

ブルトレに乗るときは、あえて“王冠”付きビン入り飲料を持ち込もう

 高岡駅、富山駅を過ぎ、日本海沿いを北東方向へ。日付が変わるころ、新潟県に入る。親不知駅や青海駅あたりでは、眼下に海面が広がっているはず。だが、大きく欠けた月の明かりが頼りない深夜とあって、暗闇に吸い込まれそうだ。

 眠気をはじき飛ばすかのように驚かされたのは、信越本線に合流する直江津駅。夜中の1時前後だというのに、ホームにはカメラを構える人、人、人。なかには、小学生ほどの子供達の姿も。親に連れられてきたというより、親のほうが付き添わされてきたのか、大人顔負けの装備の鉄道キッズたちだ。我々も、車内から手を振って笑顔を振りまくしかなかった。

 柏崎駅からは日本海を離れるように、引き続き信越本線を東へ。そして、今回の見所、長岡駅にたどり着いたのは深夜2時過ぎだ。ここで、大阪から引っ張ってきてくれたローズピンクの機関車を切り離し、後方に別の紅色の機関車を連結させる儀式が厳かに執り行われる。ここから上野までは、進行方向が逆になる。

 反対向きに走り始めた列車は、宮内駅まで戻ると、今度は上越線に入った。越後湯沢駅、越後中里駅を過ぎ、珍しいループ線のトンネルをくぐる。その後の水上駅を通過したところで、筆者は目を覚ました。実は筆者は直江津駅を過ぎた後、いつの間にやら爆睡状態。寝台が必要ないほどに盛り上がっていた5両目のお客さんたちに、「皆さん、飲みませんか~」と大声を掛けていただいたそうだが、全く気づかなかったほどだ。最も楽しみにしていた長岡駅でのビッグイベントを見逃し、朝起きてしばらくは、連結作業を目撃した関係者の少し興奮した話しぶりに耳が痛かった。

ブルトレよりプロジェクトの「車掌」役

 ところで、向谷車掌はというと、朝6時ごろから40分程度、運転停車していた渋川駅でお目覚めになった。「社長、今、渋川駅です」と関係者が声を掛けるやいなや、「渋い!」と本日の第一声。向谷氏は、やはり口から覚醒するようだ。

 「顔、洗ってくる!」と席を立った、グレーのパジャマ姿の向谷氏。筆者に対し、「松村さん、おはよう」と声を掛けるやいなや、立ったまま、鉄道ビジネスのあり方を熱く語ってくれた。

 「今回、乗ってみて思ったんだけど、やっぱりベッドが狭いね。幅をあと15センチメートル広げないと。収納も今風にもっと増やさなければ。そうすればツアー客だけでなく、きっとビジネス客だって使う人が増えるはずですよ」。古い車両の復活イベントにとどまらず、実用向けの新しいビジネスに展開できないかと、向谷氏は本気で考えている様子だ。

 向谷氏は、鉄道事業全般を「コンテンツビジネス」と捉えている。鉄道の世界には、音楽と同様に人それぞれで様々な楽しみ方が存在する。それらをコンテンツとして提供すれば、単なる輸送手段にとどまらない可能性が広がり、ほかの業種にも経済効果が波及すると信じている。

 今回の臨時列車で向谷氏は専属車掌という、いわば作り物の役柄を務めたわけだ。しかしながら、プロジェクトの発案から企画・交渉・実現化の過程を踏まえて考えると、様々な人や企業を結びつけ、進むべき道へ誘導していく姿こそが、まさに列車内を取りまとめる車掌そのものだった。

 その向谷車掌も、今回は上野までは行くことができず、高崎駅で任務を終えた。同じ日に品川駅から運行されるミステリートレインの乗車に間に合うよう、向谷氏と我々は高崎駅で下車し、東京駅行きの新幹線に乗り換えなければならなかった。様々な人々や企業を巻き込んだ新たなプロジェクトの実現に向けた、向谷氏の次なる“車掌”業務に期待を募らせる関係者は少なくない。

夢のブルトレと高崎駅でお別れする向谷車掌

かな~り真剣に記事を読みましたよ!

いいなー、オレも乗りたいなー。 

やっとお金にも余裕ができてきたのに、憧れの寝台列車は遠い存在です。 

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