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聖教新聞 (2018/10/26) 〈ライフスタイル Woman in Action 輝く女性〉 死は忌み嫌うものではなく人生の大切な締めくくり

2019年01月16日 21時29分12秒 | コラム・ルポ

2018年10月26日 聖教新聞

最期に寄り添い見送る「看取り士会」を設立
看取り士 柴田久美子さん
 
なごみの里の高齢者と©國森康弘
なごみの里の高齢者と©國森康弘
 

 今、日本では8割近くの人が病院で亡くなっています。しかし厚生労働省は、高齢者人口が全体の約3分の1になる2030年には、約47万人が病院でも施設でも最期を迎えられない“看取り難民”になる可能性があると警告。そこで立ち上がったのが、日本看取り士会を設立した柴田久美子さん。人生が多様化する中で、選択肢の一つとして注目されています。

父の厳粛な旅立ち

 核家族化が進む前、1950年ごろの日本では約8割が自宅死、約2割が病院死だった。現在は割合が逆転している。「元々、日本には幸せで自然な看取り文化があったんです」と柴田さん。看取りの原点は小学6年生の時、胃がんで余命宣告を受けた父の臨終の姿。

 「学校から帰ると、父の部屋に友人や親戚が集まっていて、父は皆に感謝を伝え、最後に末っ子の私の手を握り『くんちゃん、ありがとう』と微笑み、息を引き取りました。その時の浄化された空気感。とても温かい雰囲気で、障子の桟がキラキラ輝いて見えました。
 最近『終活』などで死と向き合う人が増えましたが、まだまだ“死は怖いもの”と忌み嫌う風潮は残っています。誰でもいつかその日を迎えるのに……」
 柴田さんが看取りの活動を始めて26年、「看取り士」と名乗り始めて7年。それまでの人生は紆余曲折があった。
 20歳の時、日本に上陸してすぐの日本マクドナルドに社長秘書として入社。当時の社長・藤田田氏は「飲食業界で日本一の給料を出す」という方針だった。やがて当時では珍しい女性店長に。高度成長期の真っただ中、持ち前のガッツで実績を残し、社長賞である「藤田田賞」を受賞。結婚、出産も経験し、2店舗のオーナーに。
 「いわゆる“仕事人間”です。お金は稼いでいたから家政婦を雇い、子どもを預けて海外出張に行ったり。家になかなか帰れないほど忙しく、家庭との両立に悩み、どんどん自分を追い込んで……。ある日、楽になりたいと自宅で大量の睡眠導入剤を飲みました」
 幸い命は助かったが、子どもたちは夫が引き取り、離婚。会社も辞め、35歳で身一つに。その後、飲食店開業を経て介護の世界へ。
 「愛ある人生にこそ、生きる意味があると思ったんです。何か大きなものに動かされているような感覚でした」

自分が望む臨終を

 ところが、そこで目にしたのは、自分の最期を自分で決められないという現実。

 「ある高級有料老人ホームでは『延命治療はいらない。病院で死にたくない』と本人が望んでも病院に送られ、チューブまみれで会話もできず亡くなっていく。ホームで亡くなると、次の人がその部屋に入りづらくなるからという理屈です。
 私は皆、父のように家族に囲まれ感謝を伝えながら旅立つものだと思っていたので、そういう姿に『人間は何のために生きるんだろう?』と、悩みました」
 柴田さんはホームを辞め、病院のない人口約600人の離島に移住した。4年間、ホームヘルパーとして働く中で、自身もがんを経験。人生でやり残したことを考えると――看取りだった。2002年、NPO法人「なごみの里」を開設。そこで多くの看取りを経験し、12年、本州で一般社団法人「日本看取り士会」を設立した。
 看取り士は、本人や家族から依頼を受け、余命告知から納棺まで寄り添う。自宅での看取りだけでなく、病院で延命措置をせず看取ることも。いずれの場合も医師やケアマネジャー、看護師と連携を取りながら、介護制度の中で人手が足りない部分をフォローする。一番の目的は本人の死への恐怖を和らげること。同時に家族の不安にも寄り添い、幸せな最期を共に迎える。
 「亡くなる間際、ご本人が死を受け入れると、とても穏やかなお顔になります。私たちはご家族に、手を握ったり体をさすったりしていただき、『大丈夫ですよ』と声を掛け、温もりと安心感を与えます。そして、生まれた時に抱いてもらったように、抱きしめて見送ります。
 亡くなると手足は冷たくなりますが、おなかや背中は翌日まで、長い人だと数日温かいんです。その間はご家族に声を掛けたり抱きしめたりすることをお勧めしています。ゆっくりとお別れし、命を見つめることはグリーフケア(遺族のケア)にもなります」

命のバトンを受け取る

 現在、全国の看取り士は約400人。その6割が看護師、2~3割が介護士だ。看取り士になるには同法人の養成講座を受講する。

 「最も重要なのは、当事者意識に立てることと、自己肯定感が高いこと。看取りの場ではどんな状況にも動じない心の強さが求められます。何があろうとにこやかに受け入れ、愛を渡せる人でないと、愛が欲しい人だと難しいですね。研修では親子関係を振り返り、自己肯定感を高めるプログラムを設けています。死を恐れない死生観も求められます」
 依頼を受けると、有償の看取り士と、無償の「エンゼルチーム」という地域のボランティア数人で体制が組まれる。エンゼルチームは看取り士を支え、終末期の方のそばにただ寄り添い手を握ること、見守ることが仕事。それ以外は行ってはならない。
 「ご家族が外出される時もありますし、例えばご本人が目が覚めた時、誰かがいるということがすごく大事。余計なことはしゃべらなくていいんです。そこにいるだけでいい。人間の力、存在ってすごいんですよ」
 こういった体制を、ケアマネジャーと相談しながらプランの中に入れてもらう。長くボランティア活動ができるよう1人の活動は3時間まで。現在、全国に約450チームができた。
 またあらゆる利用者のために、予算に応じたプランや、一人暮らしなど家族がいない方の「お一人様契約」も用意している。
 看取りの思想は今、宗教の違いを超えて海外にも広まりつつある。ちなみに柴田さん自身も特定の信仰は持っていない。今秋、カナダで現地法人が立ち上がる予定だ。
 「どう人生を生き、どんな最期を迎えたいか。生と死は同じ。延命治療の有無、どこで死にたいかなど、子どもや医者任せではなく、60歳を過ぎたら自分で決めておくことが大切です。だって、棺桶まで自分で歩いて行けませんから(笑い)。愛する家族が困らないよう、日頃から話しておくべきことだと思います。
 臨終はとても感動的な時間です。脈拍も血圧も測れない状態で、ご家族と『愛してるよ』『ずっと一緒にいるよ』『ありがとう』と心を通わされた瞬間、頰に赤みがさすこともある。不思議で荘厳な場です。
 逝かれた方のエネルギーを受け取ることを、私たちは『いのちのバトン』を受け取ると表現しています。たくさんの宝をいただける看取り文化を広めるため、来年は映画も公開予定。今後も各地でいろんな形の施設を作っていきたいと構想を練っているところです」

 しばた・くみこ 1952年、島根県生まれ。一般社団法人「日本看取り士会」会長、一般社団法人「なごみの里」代表理事。日本マクドナルド勤務、飲食店経営、老人福祉施設勤務を経て、離島で看取りの家を創設。本人の望む自然死で看取る実践を重ね、活動拠点を本州に移し、2012年、「日本看取り士会」を設立。看取り士として旅立つ人に寄り添う傍ら「看取り文化」を伝える講演活動などを展開中。著書多数。

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【編集】加藤瑞子 【レイアウト】本橋正俊 

【柴田久美子さんの写真】綿谷満久
【その他の写真】日本看取り士会提供


オレはいったい、どんな最期を迎えるんだろうか。

そして、どんな最期を迎えさせてあげられるんだろうか。

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