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日常の視点

走ってみました。笑ってしまいました。

2007年03月07日 | 健康オタク
そうだ、走ってみよう。
と思い立ってから、早速走っております。

自分ではどのくらい走れるものか、とんと見当もつきませんでしたが、実際に走ってみてびっくり!

なんとたった5分走っただけでも、息が上がってきて苦しいではありませんか(笑)。

ほーーーー

こんなに苦しいものだったんだね~

初日は無理せず、5分走ってあとは30分ウォーキングに切り替えました。

我ながらおもしろいなと思ったのは、こんな情けない自分の現在の状況に当の本人である私自身がちっともがっかりしなかったこと。

いろんな人の話を聞いていると
わが身の年齢による体力の衰えを嘆いたり、昔はよかった的な悲観的な気持ちになっちゃうのかな?

となんとなく思っておりましたが、
自分で実際に経験してみると、たったの5分しかペースよく走ることができなかったことに関して、自分なりに笑えたというか、こんなにできなかったらむしろおもしろいんじゃない?

と楽しくなってきてチャレンジの気持ちが沸いてきました。

今日は5分だったら、明日はあと5分長く走れるようになったら嬉しいな~と思ったし、実際に10分走れたら嬉しくて、明日も5分長く走ってみよう、と思って3日目には15分走っている。

このチャレンジの気持ちは私の場合、メラメラと燃え上がるようなパッションではありません。
長期的にみてこのくらいできるようになればいいな~という自分なりのハッピーな目標設定が即座にできていたこともなんだか嬉しかった。

これは、なんだか新しい発見だったな~。

新しいことをはじめたお陰で、自分のこともあらためて発見できた感じ。

よく人から「ポジティブ」だったり「前向き」だったり「超プラス思考」なんて羨ましげに言われたりしますが、私自身はそういう前向きっぽい偽善的な決め付けワードは結構苦手で、その言葉の後に「私も見習おう」とかそういうその人なりの言葉が入っていなければ、

あれ?自分自身では無意識に楽しくやっていることが、人には「がんばりすぎてる」ように見えてしまっているのかしら?と逆に心配になってきたりします。

暗に『いーねー、悩みがなんにもなくってさぁ。』とか『何様だと思ってんだ、ばーか』とかバカにされているようにも感じられるし、何かの意図を感じる「前向き」ワードってそういう理由から難しいなあと思います。

無理して「ポジティブ」を装っている人には間違いなく悲壮感が漂ってて、逆に自分のことを痛めつけているんじゃないかと思ってしまう

ポジティブだと人から良く見られるんじゃないか?という風に視点が外に向いているのではないかしら?と思ってもっと自分を大事にいたわってあげたらいいのに。。。と思ったりします。

こういう思考は努力して無理やりに手に入れるものではなくて、もっと「生きる」ということに一所懸命であればおのずと知らない間に毎日ちょっとした喜びを感じられるものだと思っていたので、自分が思ったより「できなかったこと」を素直にそのまま受け入れることができた自分がなんだか嬉しかったし、じゃあ昨日よりちょっとでもいい自分でいたい、という本心からの前向きな気持ちっていうのはやっぱり心身ともに健康な状態でないとなかなか難しいわけで、

そういう平常心を保てるように、日々工夫して自分を大事にしている自分のことがちょっと好きになります(笑)。

自分のことは自分で愛そう!

現在日常的にたくさん見受けられる自分さえよければいい「ナルシスト」とは全然違いますよ。
ナルな人は比較対象はいつも、自分以外の視点のようなので、
「人と比べて自分が大事にされていない」という風に思っちゃって自分の内にこもっちゃうのかもしれないけれど、視点はいつも等身大の自分に向けていたいな~と思うのです。

自分が考える自分を毎日着実に達成できたか?

そこが生きる美学だと思うな~

愛と美学。

そんなことを深く考えさせられたへっぽこランナー体験でした。