『兵士の物語』9月14日

  今日は客席が埋まり具合がちょっと寂しかった割には、パフォーマンス中の観客の反応が今までで最も良く(大笑いしてた)、カーテン・コールではブラボー・コールが飛びまくり、スタンディング・オベーション続出で、今までで最も盛り上がりました。どういうこっちゃ。

  そこで終演後にさぐりを入れてみた(←周囲の観客の話に聞き耳を立てる)ところ、どうやら先週とは客層がやや異なるようで、アダム・クーパーもウィル・ケンプも知らない人が多く観に来ていたようです。

  「面白かった」、「楽しかった」と嬉しそうに話す声を聞いて、私も嬉しくなりました。チケットの販売が大幅に遅れたのがつくづく悔やまれます。それとも、たった1ヶ月の販売期間で、あそこまで客席が埋まったのはすごい、と思うべきか?いずれにしろ、もっと長い販売期間と宣伝期間を設けていたら、もっと多くの人々に観に来てもらえたでしょうに。

  昨日の記事に寄せて頂いたコメントにありますように、また「アダ友情報網」によると、昨日の公演に異常なほど多くのカメラが入っていたのは、単なる「記録撮影」のためではないらしいです。まだ確定ではないようですが、・・・名前を出してもいいでしょ、WOWOWで放映するかもしれないそうですよ。やっぱりね~。ただの「記録」のためにしては、カメラの数が多すぎると思ったんですよ。

  さて今日の公演ですが、案の定、またもやアダム・クーパーの踊りが昨日より良くなってました。こうなると、あと残り2日で、彼の踊りがどこまでレベルアップするのか興味津々です。大阪公演も期待できますね(私は行きませんが)。

  ちょっと風呂に入ってきますわ。残りはまたあとでね

  アダム・クーパーは、手足がきれいな形ですっきりと伸びるようになり、動きも軽やかになりました。たとえばクーパーのジャンプはそんなに高くないけど、ふわっと浮き上がるように跳んで滞空時間が長く思えます。しかも、彼が跳ぶと、その瞬間に彼の長い手足が舞台の空間全体にばっ!と広がります。伸ばした手足の形が美しく、しかもそれぞれがツボな角度に入っているのでそう感じるようです。

  初日は重たくてぎこちない動きに加え、踊り方が粗くて雑だと感じたのですが、今ではそれらも消え失せました。こう言っては語弊がありますが、ミュージカルのダンサーが踊るバレエは、バレエ・ダンサーが踊るバレエと違いますね。クーパーの踊りは、前数日は「ミュージカル的バレエ」だったのですが、今は「バレエ的バレエ」にシフトしつつあります。

  ポーズはきちんと整っていますし、動きの一つ一つが丁寧になりました。絶妙な間と余裕を設けて、緩急をつけながら踊っていきます。前アティチュードのターンはゆっくりときれいに回ってしかも安定しているし、縦に跳び上がって空中で回転し、着地してから即座に片足で回転するところも、足元がグラつくこともなく、体もまっすぐな軸を保っています。

  アダム・クーパーの役である兵士は、ボロボロの薄汚れた草色の軍服を着て、脚にはゲートルを巻いています。でも、そんな衣装を着ていても、クーパーの姿には健康的なエロい質感があります。見ているだけで、その体温が伝わってくるようです。そんな身体で上記のように踊られると、無自覚っぽい危うさを持った色気がバンバンに放射されます。マッチョな激しい振りで踊っても、どこか曲線的で丸みを帯びた柔らかさがあります。ああ、「アダム・クーパー」だなあ、と思いました。

  『兵士の物語』の振付はかなり変わっています。クラシック・バレエがベースであるには違いないのですが、見た目にはっきりとそうと分かる振りは少ないと思います。第2部の王女のソロ、王と王女のデュエットには、クラシック・バレエの振りが多く見られます。しかし、それらのほとんどが上半身と手足の動きをちぐはぐにしてあります。それでも決して滅茶苦茶な動きにはなっていません。

  兵士の踊りは、抽象的なもの、パントマイム的なもの、バレエ的なものが混在しています。どっからこんな動きを考え出したのか、想像もつかない動きがたくさんあります。王女の踊りも兵士の踊りも、見た目には簡単そうに見えるし、お笑いシーンで踊られたりするので気づきにくいですが、踊る側にとっては実は難しい振付なのではないかと思います。

  振付でもマイムでも、それらのすべてが音楽と完璧に合致しています。音楽と合わないポーズ、マイム、踊りは、一つとしてないと言ってもいいでしょう。しかも、それらは音楽が表現している情景や、音楽を聴いた感じの雰囲気に実に良く合っているので、見ていて心地よいし飽きることがありません。

  4人のキャストたち、クーパー、ケンプ、ハート、ヤノウスキーは、もはや息でもするかのように自然に演じ、また踊っていて、「決められたことをやっている」感はゼロです。4人の呼吸がぴたりと合っており、安心して見ていられます。

  もっと小さな劇場であれば、観客も舞台上の世界、物語や登場人物たちの世界に溶け込みやすかったでしょう。今回の公演では、舞台と観客との間に、劇場の大きさに由来する距離があります。このウィル・タケット版『兵士の物語』は、舞台上のキャストたちの表情、眼の輝き、流れ落ちる汗、息遣い、きぬずれの音、そういうものを間近で見聞きできるのも魅力だと思うので、それだけがちょっと残念です。

  あと2回しか観られないのかあ~。明日もガン見するぞ。
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『兵士の物語』9月13日

  今日も昼・夜連チャンでした。さすがに疲れてしまって、よせばよかったかな、とちょっと後悔している次第。考えてみれば、ボーン版『スワンレイク』日本公演は6年前、『危険な関係』日本公演は4年前、私はその間にトシをとっているのよね。昔のような熱狂に任せて無謀に行動するには、もう体のほうがもたなくなっているみたいです。哀しいかな。

  でも、ショウはすごく楽しみました。一幕物だけど、この『兵士の物語』は、いろんな極上のエキスが凝縮された、質の極めて高い舞台だな、とつくづく思います。

  今日は記録撮影用のカメラが入っていました。ですが、その数が半端なくて、合わせてなんと14台!客席の最前列中央・左右サイド2箇所・真ん中の列中央・そしていちばん奥の中央と左右に設置されたデカいカメラを、スタッフたちが一斉に構えている。異様です。たかが記録用にこれだけのカメラを動員するなんて、パルコは念が入っていますね。バレエ公演だと、せいぜい1台か2台が普通だと思うんですが、演劇などではこれが当たり前なんでしょうか?

  アダム・クーパーは踊りが急上昇中です。まだ重さは若干感じられるものの、動きが流れるようにきれいになりました。動きと動きとがスムーズにつながっており、姿勢は美しく整っています。初日のあの踊りはなんだったんだ、と不思議なくらいに見違えるようになりました。たった2、3日で踊りがここまで変わるなんて、アダム・クーパーはヘンなヤツですね。でも、しつこく言うけど、まだ完全に彼本来の踊りにはなってないと思うけどね。

  それから、今日のクーパーは舞台で「巨大化」しました。彼の巨大化スイッチも無事に復旧したようです。

  一度は引退した女子プロテニス選手、キム・クライシュテルスが現役復帰し、現在開催されている全米オープンで、とうとう決勝まで勝ち進みました。しかも、実質的には世界ランク1位のセリーナ・ウィリアムズを破ってです。

  男子の世界ランク1位のロジャー・フェデラーは、クライシュテルスの快進撃について、「自転車に乗るようなもの。一度乗り方を覚えたら忘れない。だから、そんなに驚いてない」とコメントしたそうです。

  アダム・クーパーもある意味クライシュテルスと同じなのかな、と思いました。つまり、久しぶりにバレエを踊ったら、最初こそおぼつかなかったものの、あとは「自転車に乗る」ように体がバレエを思い出してきているのだろうか、と。

  だから、初日(金曜日)の公演しか観ていない方々にはわるいことしたな、となんか申し訳ないです(私のせいじゃないけど~)。

  もっとも、初日の舞台で、はじめてアダム・クーパーの踊りを観たある若人(イケメン)が私の不満を聞いて、初日のクーパーの踊りについて、「あれで良くなかったんですか!?」と驚いてたから、はじめて観る人はそんなに違和感は抱かないらしい。

  一方、以前にクーパーの踊りを観たことのある人では、私と同じように感じている方が多いみたいなので、だからやっぱりクーパーはまだ本調子ではないと思います。ただ、公演3日目で急激にこれほど良くなったから、明日の公演ではどうなっているか楽しみです。

  昨日はゼナイダ・ヤノウスキーについて書いたから、今日はマシュー・ハートかウィル・ケンプについて書こうかと思ったけど、このまま「アダム語り」を続けます。

  アダム・クーパーはここ数年、ミュージカルや振付業に没頭していたわけです。私はそれをできる範囲で追いかけてきました。かといって、彼がミュージカルに出演するのを、私は全面的に支持していたわけではありません。クーパー君、なんとかバレエの世界に戻ってくれないか、とずっと望んでいました。

  しかし、かといって、彼がミュージカルに出演することについて、それを全面的に批判する気持ちもありませんでした。私は「回り道」をしてしまう人間が好きで、道をまっすぐ順調に進むことのできるおめでたい人間は嫌いだからです。

  それに、彼がミュージカルや演劇に出演してきたこと、自分で振り付けたり演出したりしたこと、すべてが肥やしになっているはずだ、と思っていたし、あと、私にはなんとなく、アダム・クーパーはバレエを捨ててはいない、という確信がありました。それで大して心配していなかったのです。

  今回の『兵士の物語』日本公演の初日を観て、アダム・クーパーの踊りに、バレエから遠ざかっていた影響と、(たぶん)わざと体重を落としたことによる体力の低下が表れていたので、「だからいわんこっちゃない」と私は思いました。

  しかし、『兵士の物語』の初演・再演時とは比べものにならないほど上達した彼の演技、セリフ回し、発声には、彼がミュージカルや演劇に出演したキャリアが、こうした形で見事に結実していることを認めざるを得ませんでした。これはウィル・ケンプも同様です。

  同時に、数回の公演をこなすうちに、アダム・クーパーの踊りが見違えるように良くなっていくのを目にして、懐かしい「アダム・クーパーの踊り」が復活していくのを目の当たりにして、そうだった、彼個人の回り道だらけの生き様、内面の葛藤が隙間からこぼれ落ちるような彼の踊りを、私は好きだったのだ、と思い出しました。

  今のアダム・クーパーは、体の敏捷さやしなやかさではマシュー・ハートに及ばないかもしれない、体力ではウィル・ケンプに及ばないかもしれない、でも、アダム・クーパーの踊りには、ハートやケンプの踊りには決してないものがあるのです。それはやはり「人」です。私は彼の踊りにどうしてもにじみ出てしまう「人」に強く惹かれるのです。

  イタくなっちゃいましたね。でも、アダム・クーパーについて、こんなに真面目に考えたのは久しぶりかも。もともとは、アダム・クーパー4年ぶりの来日で、「アダム友だち」と久々に再会し、アダム・クーパーについて久々に語り合ったことがきっかけです。

  明日の舞台はどうなっているかな。  
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