「ゾロ」リハーサル映像

  アダム・クーパー公式サイトがリンクしている、サウザンプトンのメイフラワー劇場の公式サイト上で、ミュージカル「ゾロ」のリハーサル風景、監督、振付家、ジプシー・キングス、主演者へのインタビュー映像が公開されています。クーパー君の公式サイト から跳んで下さい。

  別枠で映像のあるページが開きます。下のリストから“Zorro”をクリックします。すると自動的に映像が再生されます。時間はおよそ5分間です。

  残念ながら、クーパー君のインタビューはほんのわずかな時間ですが、リハーサルのシーンでは、割とマメにクーパー君の姿がちらほら見えます。少しですが踊る姿、それから歩いていく姿、そして、私が何よりも恐れていた、歌っている姿。最後は振付家のアマルゴ(←おネエ疑惑急浮上)に撫でられて、おまけに抱き寄せられているクーパー君の後頭部。

  なお、私のパソコンでビデオ・クリップのページを開いて映像を見た後、そのページを閉じようとしたら、パソコンが制御不能になりました。みなさんのパソコンで同じことが起きた場合は、Ctrl、Alt、Delのキーを同時に押してタスク・マネージャを呼び出し、映像のページのタスクを終了させて下さい。そうすれば映像のページが閉じて、パソコンが再び制御可能になります。
  (追記:上のパソコンが制御不能になる現象は、最初に映像をダウンロードしたときに起こりやすいようです。さっき、あらためて映像を再生したところ、今度は制御不能になりませんでした。)
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マラーホフの贈り物Bプロ(3)

  第3部の続き。「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ、ヤーナ・サレンコ、ズデネク・コンヴァリーナ。サレンコは朱に近い赤いチュチュ(金の刺繍入り)、コンヴァリーナは黒いボレロ、黒いタイツ姿で登場。

  最初に二人で踊るところでは、サレンコが「爪先立ちアティチュードによるバランス・キープ耐久レース」を披露しました。本当にバランスを保つ能力を持っているダンサーです。最も長かった記録は5~6秒間くらいだと思います。でも、ちょっと鼻についてきました。軸足はグラグラしてたし、どうせやるならタマラ・ロホ(英国ロイヤル・バレエ)みたいに、文字どおり微動だにしないレベルにまで達してほしいものです。

  バジル(コンヴァリーナ)のヴァリエーション。「グラン・パ・クラシック」を観て、このダンサーのどこがいいのか、と思いましたが、ヴァリエーションもそんなにすばらしいというほどではありませんでした。キトリ(サレンコ)のヴァリエーションでは、サレンコはやっぱり安定したバランス・キープと、ゆっくりした余裕ある回転を見せてくれました。

  コンヴァリーナはコーダでの舞台ジャンプ一周で根性を見せました。力強くて、ダイナミックで、そしてほとんどヤケになっていて、迫力満点でした。最後の連続回転もぐるぐるとパワフルに回っていました。サレンコは32回転で、きっとやるだろうと思いましたが、2回転どころか、3回転を織り込んで回っていました。ところが、途中でバランスを崩してしまい、立て直そうとした拍子に、思いっきり斜めに移動しました。32回転もタマラ・ロホの勝ちです。

  「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」、振付はロナルド・ザコヴィッチ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル兼振付家)で、この公演のためにマラーホフが振付を依頼した作品だそうです。もちろん世界初演。

  コンテンポラリー作品です。マラーホフは白のTシャツと白のショート・パンツの上に、濃いグレーの透ける生地のTシャツを着て、同色のズボンを穿いています。踊っている途中で床に横たわり、グレーのTシャツとズボンを脱ぎます。この脱皮は、プログラム(正確にはキャスト表の紙の裏)に書いてある、「天使のようなものが禍々しい部分から生まれる」ことを表現しているのでしょう。でも、こんな演出は不要に思われます。踊り自体で何かを表現できるダンサーに、こんな演出は余計です。

  マラーホフの動きはすごかったです。男性ダンサーであんなふうに踊れる人を見たことがありません。まるでザハーロワかギエムかアレクサンドロワみたいでした。彼が手足を動かす様は、とにかく柔らかい、しなやか、鋭い、きれい、美しい、螺旋のよう、流線のよう、連続写真のよう、どんなふうに形容すればいいのか分かりません。

  最後の最後でガツンと一発やられました。闇の中で踊るマラーホフを、緊張して見入っていました。そして、マラーホフが本当に優れたダンサーであることを実感しました。

  カーテン・コールには「威風堂々」が流れる中(確か「ルグリと輝ける仲間たち」でも流れたような・・・)、ダンサーたちが集結しました。そこでもやられました。マラーホフの笑顔に。本当に嬉しそうに、そしてとても優しい目で他のダンサーたちや観客を見るのです。これが(1)の冒頭の感想につながるわけです。ニコニコ笑って、両腕を広げて、両手を胸に当てて、投げキッスをして、人柄の良さがにじみ出ています。ダンサーとしての能力と人格が比例している最もよい例です。  

  そうそう。マリーヤ・アレクサンドロワとセルゲイ・フィーリンが二人でカーテン・コールに出てきて、それからカーテンの後ろに退場するとき、フィーリンは先に姿を消したアレクサンドロワに「手を強く引っ張られて前につんのめるフリ」をしました。また、全員が並んでのカーテン・コールのときには、アレクサンドロワがフィーリンから差し出された手に、わざとバチン!という乱暴な感じで手を置きました。

  観客からは、アレクサンドロワのほうが強くてフィーリンが弱気そうにみえる、ということを両人とも知っていて、それでふざけたんでしょうね。アレクサンドロワとフィーリンは本当に仲がいいんだな、と思いました。

  マラーホフが嬉しそうに笑っている顔が強く印象に残りました。そして、「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」でのマラーホフの動き、あれは久々の衝撃的出会いでした。でも、舞台に復帰してまだそんなに月日が経っていないとのことですから、どうか無理せず、着実に治して、完全復活することを祈っています。マラーホフは本当にいいダンサーです。また機会があったら絶対に観に行きます。  
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マラーホフの贈り物Bプロ(2)

  第2部:「バレエ・インペリアル」、ポリーナ・セミオノワ、ウラジーミル・マラーホフ、奈良春夏、中島周、横内国弘、東京バレエ団。

  去年の秋、やはり東京バレエ団による「バレエ・インペリアル」を観たときには、なんてヒマくさいつまらない作品だろう、と思いました。しかし、今回の公演での「バレエ・インペリアル」は、まったく別の作品のように思えました。すごく見ごたえがあって、最後まで飽きませんでした。

  セミオノワの踊りがとてもすばらしかったです。チャイコフスキーのピアノ協奏曲をそのまま踊りにしたような、音楽性に溢れた端正で美しい動きでした。セミオノワは長身(確実に170センチはあると思う)で手足が長く、純白のチュチュがよく似合います。もちろん振付もいいのでしょうが、同じ作品でも踊れる人が踊ればこんなに見違えるものか、と感動しました。

  最もすばらしかったのは、ストーリー性がほとんど削除されたというこの作品に、「ドラマ」があったことです。マラーホフの踊りにはやはり力がなく、おっかなびっくり踊って、セミオノワをなんとか持ち上げている、といった感がありました。しかし、マラーホフ、セミオノワ、そしてマラーホフとセミオノワが踊っているのを見ていると、ロシアの宮廷で舞踏会があって、美しく誇り高いロシア皇女がいて、皇女に恋する下級貴族の青年がいて、皇女と青年は互いに心を惹かれあって・・・という具合に、勝手ですがストーリーが浮かんでくるのです。

  そういうドラマを作り上げてしまうマラーホフの演技力は大したものです。そして、セミオノワの演技もすばらしくて、能面で踊るのではなく、気高い雰囲気を保ちながらも、貴族の青年に惹かれていって、女性らしい愛らしさを表情に出すようになります。セミオノワは「牧神の午後」ではあどけない少女でしたが、この「バレエ・インペリアル」では誇り高い皇女様でした。役によって雰囲気を変えられるのはすごいことです。ちなみに、最後はハッピー・エンドらしいのでよかったです。

  おっと、ぜひとも書いておかなくてはなりません。東京バレエ団のダンサーたちもすばらしかったです。奈良春夏さんはちょびっとミスはしたけれど、堂々と華やかに踊っていました。それに、なんといっても群舞が非常に整然としていて、列も動きもよく揃っていました。第2楽章の最後(たぶん)なんか、叫びたいくらいカッコよかったです。

  第3部:「シンデレラ」(ロスチスラフ・ザハーロフ振付)、マリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン。このザハーロフ版「シンデレラ」は、1945年にボリショイ・バレエが初演したそうです。

  ザハーロフ版はプロコフィエフの原曲を削除していないそうです。だとすると、今回踊られたのは第49曲「ゆるやかなワルツ」で、最後から2番目の曲です。プログラムには「シンデレラと王子の華やかな結婚式の場面」とありますが、アレクサンドロワは淡いブルーグレーのワンピース、髪は1本のみつあみにして垂らしていた(新鮮!)。フィーリンは白いシャツに白いタイツだったので、結婚式にしてはそぐわない衣装だと思うんだけど。

  振付は、これが1945年の作品かと思えるほど斬新でした。お約束のクラシカルな動きがほとんどなく、アレクサンドロワとフィーリンが第1部で踊った「ハムレット」そっくりな、モダンな振付でした。

  やはりアレクサンドロワの見事な動きと、フィーリンとアレクサンドロワによる息の完璧に合った踊りが印象的でした。アレクサンドロワは手足を美しく、絶妙のタイミングで旋回させ、アレクサンドロワの体をフィーリンが自然な動きで受け止めます。

  アレクサンドロワの演技にも感動しました。シンデレラは王子が自分を見つけて求愛してくれたことに感動しつつも、それでも最初は王子の愛を信じることができないようでした。自分なんかが王子に求愛されるなんて、と戸惑っているようにも見えました。王子がシンデレラを抱きしめながら踊るうちに、シンデレラもだんだんと切なそうな表情になっていきます。シンデレラの気持ちが王子に傾きつつあるのが分かります。王子が彼女の両足に口づけをすると、シンデレラは完全に王子を信じます。ふたりは床に横たわって抱き合います。

  (追記:NBSの公式サイトには、アレクサンドロワとフィーリンが踊ったのはユーリー・ポソホフ版「シンデレラ」だと書いてあります。プログラムの紹介文は、アレクサンドロワとフィーリンによる実際の踊りとは、音楽、シーン、衣装の点で重ならないので、おそらくポソホフ版であるというのが正しいと思われます。)

  「アポロ」(ジョージ・バランシン振付)、イリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー。ドヴォロヴェンコもベロツェルコフスキーも白いギリシャ風の短いヒラヒラ衣装を着ていました。ベロツェルコフスキーはアポロの役だと思いますが、ドヴォロヴェンコは何の役なのか、そしてこれはどんな場面での踊りなのかが分かりませんでした。

  早くも記憶が薄れかかっているのですが、ドヴォロヴェンコが最初に一人でコミカルな踊りを踊り、次にベロツェルコフスキーが一人で踊り、最後に二人で踊ったのではないかと思います。

  ドヴォロヴェンコとベロツェルコフスキーの踊りより先に、まずバランシンの振付の多様さに感心しました。クラシックの技がほとんどない振付だったのです。同じ振付家が、一方では「バレエ・インペリアル」のようなクラシカルな作品を振り付け、また一方では「アポロ」のようなモダン作品を振り付けたのですから。

  振付は鋭くてメリハリのある、かつスピーディーな動きで構成されていました。ドヴォロヴェンコとベロツェルコフスキーの踊りは、第1部での「黒鳥のパ・ド・ドゥ」よりはるかによかったです。とてもキレがあって、またダイナミックでした。

  一昨年からいろんな公演でアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルたち(ジュリー・ケント、パロマ・ヘレーラ、ホセ・カレーニョ、マルセロ・ゴメス、デヴィッド・ホールバーグ)の踊りを観てきて、今回イリーナ・ドヴォロヴェンコとマクシム・ベロツェルコフスキーの踊りを観た結果、多数決で今年のアメリカン・バレエ・シアター日本公演は観ないことに決定しました。  
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マラーホフの贈り物Bプロ(1)

  昨夜(21日)の公演に行ってきました。いや~、マラーホフはいい人ですね!あんなに感じの良い、優しげで親しみやすい雰囲気のダンサーは初めて見ました。友だちになりたいほどです。

  第1部:「牧神の午後」(振付:ジェローム・ロビンス)、ウラジーミル・マラーホフ、ポリーナ・セミオノワ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)。

  舞台はバレエのレッスン・スタジオという設定で、客席を全面の鏡に見立てていました。上半身裸の青年(マラーホフ)が寝転がっていて、鏡(つまり客席)を見つめながらストレッチをしたり、ゆっくりと踊ります。そこへ淡いラベンダー色のワンピースを着た少女(セミオノワ)が入ってきて、同じく鏡を見つめながら踊ります。

  最初こそ鏡に映る自分の踊りだけに見入っていた彼らは、やがて鏡の中にお互いの姿を認めあいます。少女は恥ずかしがってバー・レッスンに移りますが、青年は彼女に近づき、彼らは鏡を見つめながら一緒に踊り始めます。

  青年が少女の頬にキスをすると、少女はその頬を押さえながらスタジオから去ってしまいます。青年はスタジオにひとり残されます。

  マラーホフの役を青年、と書きましたが、おそらく少年なんでしょうね。マラーホフもセミオノワも非常に表情が豊かで、最初は自分に夢中になっていたのが、やがて互いの存在に気づいて相手を異性として意識し、恋のような感情が湧いてくるものの、少女はためらって逃げてしまい、少年の恋心は性的な形で爆発する。たった20分弱の間に、静かで穏やかではあるけれど、危うい色っぽさをともなったドラマが繰り広げられます。

  最初、マラーホフは床に寝転がっていて、片脚を上に伸ばします。脚から爪先までの形がまるで弓道で使う長弓のようで、あ、この人はすごいダンサーだ、と一発で分かりました。また、腕の動きも波打つようでとても美しかったです。

  ですが、マラーホフは、たぶんまだ完全に怪我から回復していないのではないですか?両足を揃えて半爪先立ちで立つとグラつくし、セミオノワを持ち上げるときもなんだか危なっかしかったです。

  「グラン・パ・クラシック」、ヤーナ・サレンコ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)、ズデネク・コンヴァリーナ(ナショナル・バレエ・オブ・カナダ プリンシパル)。

  まず、サレンコがNBSの公式サイトや公演プログラムに載っている写真とは別人で、すごくかわいい、きれいな人でした。写真写りがあんまりよくないんでしょう。本当にかわいかったですよ。

  サレンコはこの「グラン・パ・クラシック」の他に、「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ドゥを踊りました。ですからおのずと「得意科目」が分かります。長時間バランスを保つことと、安定感のあるゆっくりな回転に長けているダンサーでした。アダージョ、ヴァリエーション、コーダで見事なバランス保持力を披露しました。ただ、去年の夏に観たヴィクトリア・テリョーシキナ(マリインスキー劇場バレエ)のほうがすごかったと思います。

  コンヴァリーナは、サレンコが順調にバランスを保てるような、上手なサポートをしたのがよかったです。ただ、コーダでの踊りの一部(下半身を左右にひねりながら連続して跳ぶところ)はヘンでした。

  「ハムレット」(ボリス・エイフマン振付)、マリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン(ともにボリショイ・バレエ団プリンシパル)。この作品の原題は「ロシアン・ハムレット」(←・・・・・・)で、エカテリーナII世とその息子であるパーヴェルI世との間の愛憎を描いており、1999年に初演されたそうです。

  アレクサンドロワ(エカテリーナII世)はゴールドのラメの入った紫(だったかな?)の長いドレス、フィーリン(パーヴェル皇太子)はグレーのビロードのシャツとズボンに、なぜか茶色の膝上まである長靴(築地市場でおっちゃんが穿いてるようなヤツ)姿。

  振付はクラシカルな動きとモダンぽい動きが混ざっていて、組体操かアクロバットみたいな動きもありました。アレクサンドロワが長いドレスの裾を翻しながら、蹴り上げるように跳躍する動きがすごかったです。アレクサンドロワはいかにも女帝らしい威厳を漂わせながら鋭い動きで踊ったかと思うと、皇太子とのちょっとアブない踊りでは、皇帝、母親、女、とめまぐるしく変わる複雑な感情を醸し出していました。彼女はすごい演技達者でもあると思いました。

  振付の良し悪しは分かりません。でもアレクサンドロワの踊りは凄まじいほどすばらしかったです。他の女性ダンサーたちとは別格でした。うまくいえませんが、技術とか以前に、動きそのものからして他の女性ダンサーたちとは違うんです。

  似たような体験はいくつかあります。たとえば、去年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演で、ウリヤーナ・ロパートキナが出てきて踊ったときとか、一昨年の「ルジマトフ&インペリアル・ロシア・バレエ」公演の「シェヘラザード」で、スヴェトラーナ・ザハーロワが出てきて踊ったときとか、去年の「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ」で、東京バレエ団による「ステッピング・ストーンズ」のすぐ後に、ギエムとニコラ・ル・リッシュが出てきて「優しい嘘」を踊ったときとかです。

  私は古典作品を踊るアレクサンドロワしか観たことがなかったので、彼女がこうしたモダン作品で、これほど流麗な動きで踊れるとは思ってもいませんでした。この公演に参加した女性ダンサーの中では、アレクサンドロワが(ダントツで)最も優れたダンサーだろうと思います。

  フィーリンも、母親への(異性としての)愛情、父親を殺した女への憎しみ、皇帝への畏怖など、激しく交錯する感情を漂わせながら踊っていました。この人はベテランのようですが、何歳ぐらいなのでしょう?すごく若く見えました。たぶんアレクサンドロワのほうがずっと年下なのでしょうが、母親と息子として踊っても、違和感がまったくなかったです。

  「白鳥の湖」より「黒鳥のパ・ド・ドゥ」、イリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー(ともにアメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)。

  普通によかったと思います。可もなく不可もないです。ただ、テープ演奏なのでいつもと勝手が違ったのでしょうが、特にドヴォロヴェンコの踊りが音楽に合っていませんでした。本人的にはうまく合わせていたつもりのようです。踊り全体がなんだかあわただしく、辻褄を合わせるようにあわてて見得を切っても、カッコよくもなんともないのですが。

  それと、全幕上演するときには、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」のときにはロットバルトがいて、オディールのヴァリエーションのときには王子が舞台の脇に立って見ているのかもしれません。でも、今回はガラですよ。誰もいない空間を邪悪そうな目つきで見つめてどーするんですか。今回はガラ公演であるということに機転を利かせず、いつもの調子でルーティン・ワーク的に演技するのはどうかと思います。

  更に、カーテン・コールで、ドヴォロヴェンコがオディールのキャラを保ったまま、お辞儀しているのがわざとらしくて演技過剰で、見ているほうが恥ずかしかったです。アメリカの善良な観客は、この程度のダンサーに感動して拍手喝采しているのかと思うと気の毒です。   
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