復刻!仙台スランバー

まどろむ夢の中のひとこま・夢のような覚めてるような

リターン

2011-12-01 | 日記
今泉の下宿先から
家具の街にあった予備校まで自転車で30分


通ったのは夏休みまで


お昼になると宮城県庁の食堂で安い定食食べて
勾当台公園で昼寝して

何となく過ごした18の頃


あの頃は不思議と仙台に愛着もなく
あっさりとひばりに乗って東京に向かう




初めに住んだのは都営三田線の『新板橋』

今思えば笑っちゃうほどの古くて暗いアパート

でも一人暮らしには十分だったけれど
細かい事言う”大家さん”に嫌気がさして
1年で引越し

その先は確か三つ先の同じ線の『千石』

結局行く事はなかったけれども
三百人劇場があった町

大学にも近かったせいもあって
いつも”誰か”が勝手に入り浸っている部屋

ここも少しだけうるさい”大家さん”だったけど
居心地がいいアパートで大学を卒業して暫く住んでいた
(多分こちらがうるさかっただけだと思う)

社会人になってちょっぴり景気が良くなると
トイレ付きの部屋が欲しくなって
JR池袋駅近くの『南池袋』に移動

ここも結構居心地のいいアパートだったけれど
明治通りから路地に入ると直ぐにピンクの看板のお店があって


初めて”父親”が上京してきた時
何となくバツの悪かったのを憶えている


そう言えば隣には怖い”お兄さん”が住んでいたっけ?




そして最後に住んだのは東武東上線の『坂戸』
でも住所は入間郡鶴ケ島町



”父親”に新しい住所を知らせた時
「入間郡!?・・・」
と絶句されたのを憶えてる

”連れ”の実家が程近くて
休みに”一人”で退屈していると
”義母”からよく電話が掛かって来て


「お昼食べに来なさい」と誘って貰っていた


あの頃の”連れ”は図書館勤務で
休みは月曜日
あの頃から噛み合わない”二人”だった


実家の裏手は武蔵丘陵の一角で
今でも好きな場所の一つ




そして”自分の父親”が亡くなって
いろんなあみだくじが用意されていた


引いたのか引かされたのかは忘れたけれど
その一本が今に続いている


たまに隣のくじを選んだらどうなっていたんだろ?
って夜中に”隣に眠る人”を見て思うけれど

果たしてどうだったんだか?

(そっちもそう思っているんだろうな?)

そんなどうしようもない事考えているうち夢の中



目覚めれば仙台

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