オリオン村

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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金田留広氏が逝く

2018-10-11 20:56:20 | 千葉ロッテ

1974年のロッテの日本一に最多勝で貢献をした金田留広氏が、今月2日に亡くなっていたことが明らかになりました。
死因は非公表で享年71歳、最近はあまり動向が聞かれませんでしたので体調を崩していたのかも知れず、金やんの心痛いかばかりか、お悔やみ申し上げます。
正直なところファンになった直後で幼かったこともありあまりピッチングの記憶は残っていないのですが、二桁勝利が途絶えたとは言っても5年で84勝、その前年には20勝で最多勝だった投手がトレードで移籍をしてきたのですから忖度にしても今からすればちょっと考えられず、長嶋一茂のそれとはレベルが違いすぎます。
交換相手が二年で20勝の野村収でしたからそれなりの形にはなってはいるものの、当時の金やんの力の凄まじさと言ったところでしょう。
その金やんが退陣をすると同時に広島に放出とかなり露骨なところはありましたが、間違いなくロッテのエースとして一時代を築いてくれました。
金田留広のオレは金田ファミリーの駄々っ子だ、という著書を古本屋で入手をしたはずなのですがざっと探したところ見つからず、おそらくは押し入れの奥にしまい込んであるはずなので年末の整理のときにでも引っ張り出して読み直してみようなかなと、ちょっとした下ネタもあって面白かった記憶があります。
成田に続いてまた一人、1974年のロッテV戦士が旅立ってしまい、同時に自分も年齢を重ねたことを痛感する訃報がショックでもあり、また地元最終戦を白星で安心をさせたいです。



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4 コメント

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74年V戦士 (パンテーラ)
2018-10-11 23:21:26
金田留は確か最多勝争いをしていたような。
亡くなった成田、金田留、木樽が当時の3本柱だったと記憶していますが、全員技巧派だったような・・・。
私が記憶にあるのは左腕の水谷のみで、なにかモッサリした投げ方だなという記憶しかありません。
野球のことはさっぱりわからなかったのに、カクテル光線て綺麗だな、という想い出があります。
金田留がいなければ絶対優勝できなかったはずで、残念ですがご冥福を祈るしかありません。
74年の日本一は有藤、アルトマンが故障したのに掴んだ日本一でした。
阪急全盛時代によく勝てたものです。
ありがとう金田留。
思い出の金田留弘 (HS)
2018-10-12 15:21:07
私が金田留弘で、明確に覚えている試合は、シーズン後半の神宮球場のダブルヘッダー第1試合で、金田留弘が先発し9回無失点で引き分けになった試合。
この年、不調だった金田留弘が無失点で好投したのでロッテ応援団長が「今日の先発はあの金田留弘です。南海さんありがとう」と言っていたのが面白くて、明確に覚えています。
その試合を写真(白黒)で撮っており、先ほど見直してみましたが、懐かしい金田留弘の投球フォームを思い出しました。手ぶれ写真ですが、その日の2試合で南海側は江夏、佐藤道郎が投げており、ロッテも成田も投げているので1977年のことでしょう。
金田監督が辞任(解任?)されたとき、渡辺秀武と金田留弘がロッテにはいられないと去りました。
「オレは金田ファミリーの駄々っ子だ」は私も古書で入手して、どこかにあります。捨てていません。本の内容で金田留弘が「カーブで三振」に快感を持っていたこと、兄弟で500勝以上は世界一とか、シーズン中に有藤が門限破った三井を殴って意識不明で欠場、鹿児島サンロイヤルホテルの展望浴場の除き事件とか。
現在とは異なる、子供のころにあこがれていた古いプロ野球の世界が描かれた本で、忘れられない本ですね。
自分のロッテファンの経歴の一部分が失われていくようで寂しいですね。
金田兄弟に栄光あれ❗ (きよぽん)
2018-10-12 16:25:41
1974年の優勝を知っている方は、若い方と言うより、生まれていなかった方がほとんどでしょう。
ジャイアンツのV10を1毛差で破った、与那嶺監督率いる、中日ドラゴンズを4勝2敗で破って日本一になった年があるんです。当時パ・リーグは、2シーズン制を採用していました。
前期優勝は、当時ダントツに強かった阪急ブレーブス、後期優勝はロッテオリオンズでした。
初めて行われた、プレーオフはその前年、後期1勝も勝てなかったブレーブスに、南海ホークスが、奇跡の優勝❗ジャイアンツのV9の最後の相手は、プレーイングマネージャー野村捕手率いる南海でした。
留広投手は、その74年に東映 ?日拓?から トレードでオリオンズに入団しました。そして、その年に16勝でしたが、最多勝を獲得❗オリオンズの優勝に貢献してくれました。当時はジプシーロッテでしたので、今の環境よりはるかに大変だったと思いますので、留広投手の最多勝は、見事と言う言葉では語れない位凄い投手でした。金田正一さんには、私の記憶が正しければ、何人か弟さんがいて、プロ野球選手がいらしたと思いますが、甥っ子の金石投手を含め、留広投手が一番活躍した選手だと思います。 71歳での逝去は、まだまだ若い、若すぎますね❗70代の元アスリートの死が、多過ぎるような気がします。星野さん、輪島さん、金田さん、ゆっくり休んでください。お疲れ様でした。
お返事 (オリオン)
2018-10-13 03:56:07
>パンテーラさん
移籍初年度は最多勝です。
成田までが技巧派かどうかはあれですが、村田が先発抑えでフル回転をしていましたし、八木沢もいました。
成重もいたような、うん、懐かしい。
このときは阪急と言うよりは南海の晩年だったような、いずれにせよ遠い昔の話です。

>HSさん
投げてるところの記憶はないんですよね、そもそもこの年の記憶はやたらと弘田が打っていたことぐらいしかない・・・
著書はあれですね、外国人選手のナニがでかいだの、ちっちゃいやつが特攻隊になっただの、そんなことばかりを覚えています(笑)
山内一弘氏、成田文男氏、そして金田留広氏と、そうですね、自分の人生のページが削られていくような感じがします。
2005年戦士が物故していくときには、人生の終焉近く何だろうなぁ。

>きよぽんさん
じじいなんで生まれてました(笑)
江本が東映時代の金田留の猛練習について語っていますね、そういう時代と言ってしまえばそれまでですが、ウサギ跳びはさておき、もっと走り込まなければとの金田ファミリーの声が聞こえてきそうです。
明日は半旗、喪章を付けてのプレーになるんですかね、黙祷に間に合うよう球場に行かないと。

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