目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

だからせめて穏やかに金の皿が砕け銀の糸が切れる日を待ち望むわけである。

2023-12-15 20:40:14 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
一切の価値の冷笑。

この心理はニーチェの言う、ニヒリズムと野合する。
ここで「野合する」と書いたのは、なかなかニーチェの説く運命愛や超人の思想には到達しないからだ。

特に根底に非定型発達や境界知能などがあり、小さい頃から家族まで巻き込んだ、いじめや仲間はずれを受けてきて、そんな「運命を永遠に繰り返すのだ」などと言われて、そんな思想をはいはいと受け入れられるはずがない。

だからそんな世間の価値観を冷笑することはあっても、真にニヒリズムに結びつき、運命愛を持った超人なるなどというニーチェの発想は、それこそ冷笑するに過ぎない思想なのだ。

やがてニーチェを卒業することになる。
それでキリスト教に触れたり、仏教の本を読んだりするわけだが、もはやどっちも、嫌われ者たちのコミュニティーとしての本質を失っている。

まさしく「普通の人の集まり」だ。
きれい事を言う分、「普通の人」よりたちが悪いかもしれない。

私はこれらの集団に所属したことがないからわからないが。

そしてまたまたキリスト教や仏教の持っている「きれい事主義」を見抜いて、さらにこれらの価値をも否定するようになるのである。

薬物療法が奏功して、ある程度の症状は残すも、中程度の欠陥状態となった患者は、表面上はおとなしく世間の約束事を受け入れたふりはするが、内心はそんな世間の約束事を、冷笑し、唾棄している。

なぜならそのような仕打ちを、病者は子供の頃から受けてきたからだ。

さて、そんな人生も両親の他界などによって終わる。

昔はそんなことはなかったが、身寄りのない孤独な病者は、「慈悲深い」近所の人々の「通報」によって、慢性期精神病院に「入院」させられる。

そこで「治療」を受け「病死」するのだ。
老衰などという自然死ではなく、「病死」させられるのだ。

それは宇都宮病院事件や朝倉病院事件などによって、明らかであろう。

そんな運命を読み切った病者は、それこそ太宰治の人間失格ではないが、「ただいっさいは過ぎていきます」(太宰は一切と一歳をかけているのではないだろうか?)という心理になるわけだ。

だからせめて穏やかに金の皿が砕け銀の糸が切れる日を待ち望むわけである。



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