ικμτは洗礼を受けていないのだから、キリスト教の戒など守る義理も義務もないわけだ。
つまり契約とやらをバイブルの神と結んでいないのだから、その神に対して、隣人愛を実践したから褒美をよこせと要求するのは、するικμτが間違っていたわけだ。
どうも話がおかしいと思ったよ。
ましてや、ικμτは戒とやらを受けていない。
だったら仏教の在家五戒や、密教の十善戒など守る義理も義務もない訳ね。
つまり仏弟子ですらもないわけだ。
寺請制度のなごりで誤解している人も多いが、日本の土着の宗教は仏教ではなく神道で、その土地に住んだらその土地の神様の氏子にはなるが、仏様は元々、客人神と呼ばれる日本にはいなかったお客さんの神様である。
日本史の教科書によれば、尚武の国、日本を恐れた百済王が、日本人を精神的に去勢するために儒教仏教を輸出してきたのが発端で、みんな仲良く暮らしているのに、やれ階級制度だ、やれ、地獄だ極楽だなどと、内輪もめの種や脳みそお花畑の無学な人を増やすきっかけを作るのだから、実に百済王はけしからん。
閑話休題。
とにかく冒頭の通りである。
なんか頭がすっきりしたわい。
以上、管内祖師ヶ谷大蔵でικμτ。