特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

兄妹

2013-11-27 08:41:37 | 特殊清掃
故人は70代の男性。
地方の小さな街の出身。
若い頃は“いい人”がいたこともあったのだろうが結婚歴はなく、子供もおらず。
都会の小さなアパートでながく一人暮らしを続けていた。

家族は、両親と年の離れた妹が一人。
ただ、母とは血がつながっておらず。
実母は故人が幼少の頃に他界。
母は、父の再婚相手だった。
そして妹とも“腹違い”の兄妹だった。

両親は、小さな妹を可愛がった。
故人も、年の離れた妹を可愛がった。
特に、母は妹を溺愛。
そのせいもあってか、故人は母とはなじめずにいた。
自分と義母の間に立つ父の心労や、腹を痛めた我が子を持つ義母に対して遠慮する気持ちがあったのか・・・
父がすすめる高校進学も断り、故人は、中学をでると田舎を離れて上京。
家に自分の居場所がなかったというだけではなく、裕福ではない家庭に負担をかけたくないという理由もあったようだった。

故人は、上京して後、何度かは盆暮れに帰省していたが、次第にそれも少なくなってきた。
特に父親の死後は、田舎に帰ってくることもなくなった。
結果、母妹と顔を合わせることもなくなり、電話で話すこともなくなった。
それでも、故人のもとには、毎年、妹から年賀状が届いた。
ただ、故人が、返礼の賀状を送ることはなかった。

そうして年月が経ち・・・
年を重ねた故人は、寄る年波には勝てず。
身体に不調を抱えていたのか、ひっそりと自宅で死去。
そして、しばらく誰にも気づかれず、その身体を朽ちさせていったのだった。


依頼者は60代の女性。
故人の“腹違い”の妹。
両親もとっくに亡くなり、女性は、故人の唯一の血縁者。
東京から遠く離れた、故人の出身地である地方の街に暮していた。

その女性のもとに、ある日突然、警察から故人の死を知らせる連絡が入った。
高齢でもあり、こんな日がくるのも遠い先のことではないと思ってはいたものの、それが警察から入ってきたことに、女性は驚いた。
更に、それが自宅での孤独死であり、しばらく誰にも気づかれずにいたことを知らされると、単なる寂しさとか悲しみとは違う罪悪感のようなものを覚えた。

女性は、故人に対して負目にも似た情をもっていた。
自分は、両親のもとで大切に育てられ、人並みの教育も受けさせてもらい、結婚し子宝にも恵まれ、家も家庭をもつことができている。
一方の故人は、幼少の頃に実母を亡くし、再婚した父と新しい母親に気をつかい、高校にも行かず働きに出て・・・
家族も持たず、ずっと小さなアパートで一人暮らし・・・
相応の苦労や寂しさをともなって生きてきたであろうことは想像に難くなく・・・
そして、最期は孤独な死を迎え・・・
・・・その対照的な境遇は、女性の心中に大きなシコリを残しているようだった。

故人と女性は、もう40年以上も会っておらず、事実上、音信不通状態。
また、唯一の身内ではあっても、賃貸借契約の保証人ではなかった。
しかも、遺産相続を放棄する手続きをとっていた。
だから、女性が故人の後始末を放棄したとしても著しく道義に反するものとも、また、社会通念を逸脱しているとも思えず、更に、法的にも故人の後始末をする責任は免れる立場にあった。
しかし、関わることに反対する夫や子供を説得し、“自分には道義的責任がある”と言うような姿勢で、故人の後始末は自分が責任をもつことをアパートの大家にも伝えた。
そして、相応の出費と心労をともないながら、ことの収拾にあたったのだった。


部屋に置いてある家財生活用品は、どれも古びたモノばかり。
男性が、余裕のある暮しをしていなかったのは一目瞭然。
貴重品らしい貴重品はなく、あったモノといえば、印鑑、残高の少ない預金通帳、キャッシュカード、年金手帳・・・そんなもの。
また、古いタンスの引き出しのひとつには、何枚もの年賀状と一通の手紙がしまってあった。
みると、差出人は女性。
私は、そのことを女性に知らせた。

電話の向こうの女性は、それを聞いて少し驚いた様子。
同時に、どことなく嬉しそうにし、声のトーンを上げた。
ただ、“年賀状は毎年欠かさず送っているので憶えがあるけど、手紙を送った記憶はない”とのこと。
そして、“気になるので中を確認してほしい”と言われ、私は、その手紙の中を確認した。
すると、手紙の送り主は、間違いなく女性。
中身は、女性自身の結婚式の招待状。
もう40年も前に出されたものだった。
中は、結婚相手の紹介、出会った経緯、結婚式の場所と概要、新居の案内etc・・・
故人が実家を出て行ってからの数年の時間を埋めようとするかのように、身の回りのことや自分が思っていることなどが詳細にしたためてあった。
そして、そこには、夢と希望に満ち溢れている若き日の女性の姿があり、まったくの他人である私にも深い感慨を覚えさせた。

私は、手紙の中身を女性に伝えた。
すると、当時の記憶が瞬時に甦ったよう。
「そんな手紙がまだあったなんて・・・」
と、こみ上げてくるものを抑えられず、声を詰まらせた。

故人は、その結婚式に姿を現さなかった。
祝意を伝える短い手紙と祝儀を送ってきたのみ。
「兄妹の境遇の格差に気を悪くしたのだろうか・・・」
と、女性は、しばらくそのことを気に病んでいた。
しかし、
「本当は、家族が好きだったのかも・・・」
と、大事にとっておかれた年賀状と手紙は、女性にあたたかな思いを与えたのだった。


身内でも後始末の責任を負わない人は少なくない。
賃貸借契約で保証人になっている場合は別だけど、遺産相続を放棄してしまえば法的にはそれも許されるのだ。
もちろん、世の中は法律だけで回っているのではない。法律だけでは回らない。
社会通念、道徳、義理、人情、常識、良識etc、そういった潤滑油があってこそうまく回っているのだ。
だから、“法律で許されることなら何をやってもいい”ということにはならない。
そうは言っても、放棄する人を単純に批難することはできない。
人には人それぞれの事情があるから。
思いと実情が乖離して、不本意ながら放棄せざるを得ない状況にある人も少なくないから。
ただ、やはり、肉親の情愛を重んじ、義理を欠くことを嫌い、負わずにすむ荷をあえて負う人には好感をおぼえる。
苦渋の中にも人間の清々しさがあることを感じさせてくれる。


作業期間の最初から最後まで、女性が東京にくることはなかった。
だから、当然、お互いに顔も知らず。
その分、我々は、電話でたくさんのことを話す必要があった。
信頼関係を築くため、仕事を円滑に進めるために。
その中には、お互い、顔を合わせていないからこそ話せたこともあったような気がする。

請け負った作業が完了したことの報告も電話だった。
女性は、私の労をねぎらい、感謝の言葉をたくさんくれた。
そして、
「二度とお話しすることはないと思いますけど、どうかお元気で・・・」
と言葉を交わして、最後の電話を終えた。


出会いがあれば別れもある。
それが人の縁。
私は、少し寂しいような感慨をおぼえつつ、届くわけもない心の声で、
「家族っていいもんだな・・・」
と、青く晴れた天につぶやいた。
そして、
「大事な人には、もっと素直になったほうがいいんだろうな・・・」
と、難しい性格を自省しながら、ホッと笑みを浮かべたのだった。




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