アルツハイマーとの戦い

2009年02月09日 66歳で父はアルツハイマー病と診断されました。
息子の介護日記です。

今朝の出来事

2009年02月09日 18時37分39秒 | 新しい症状
続いて新しい症状が出てきました。


今朝5時の電話の後、8時に電話がなりました。
妻が出てみると、同窓会のメンバーからでした。


妻に聞いてみると「お父さんがいなくなったらしい」との事。



携帯を持って行ってるはずなので電話する。
出なかったらどうしようと心配になる。


しかし、「もしもし」という父の声。
生きている、怪我もしていない。
とりあえず安心した。


「車の鍵が見あたらない」
「だから車を止めた所までいかなければならん」
「どこやったか分からない」

という事らしい。
ちなみに、今朝の記事でも書いたが、会場にはうちらが送っていった。
だから、車の鍵も車もないのは当たり前。

一応、それを説明するも、全く話が通じない。ずっと「鍵が・・・車が・・・」と繰り返す。


こりゃ一大事と、二人で出かける準備をすることに。
もちろん、同窓会のメンバーには携帯番号を教えておいた。


父は、「南谷(富山県小矢部市)におるわ」との事。会場は石川県津幡。
そして「昔の8号線を歩いている」らしい。


疑問に思ったので「トンネル(倶利伽羅)は超えた?」と聞いて見るも
「いや、トンネルは通ってないわ」と。

ん?よく分からない。裏道でもあったのか?


とりあえず、それ以上話していても仕方ないので家を出発。
石動を経由して、南谷の交差点辺りでもう一度電話する。


「南谷の小さい道を入った所や」
「ユンボのおる所」
「8号線まで遠いからここまで来てくれ」


南谷をくまなく探すも全くいない。
ひらめいて、除雪用のポール(道の両端にある反射板付きのポール)になんてかいてあるか見てもらうことに。
国道と県道なら「富山県」か「石川県」、市道なら「小矢部市」とか書いてある奴だ。


しかし、話が通じないのか、「いや、今南谷や。もうちょっとすすんでくれ」
と意味不明な事を言っている。
看板などの目印を聞いても「もうちょっとやと思う」と・・・・。


どう考えても、トンネルは抜けてないはずだと思い、石川県側に。
津幡に入り、刈安辺りに行く。ちょうど交番があったので駆け込むことに。
最悪、近くの民家に駆け込んでもらい、民家の人から住所を聞こうとしたからだ。
(あの辺りの詳しい住所は分からないため、交番に行った)

おまわりさんが、住所を聞いてももちろん応えられない。
南谷や、南谷や、と。そしてちょうど看板が見えるところに来たらしい。
看板には「仮生」やら「中尾」やら書いてあるらしい・・・。




・・・・・・・・・別方向じゃん!!




ということで、大体の位置が分かったので向かうことに。



ああ、いたいた。



宿泊施設(倶利伽羅塾・・・道の駅にある所)から南谷とは反対方向にある石川県の津幡町にある仮生に父はいた。


詳しくはこちらの地図で・・・・




一応、怪我もなく・・・・・・合流。



その後、同窓会のメンバーに合流。
他のメンバーも責任感じてそこら中探していたようだ。
申し訳なさで一杯で、ずっと謝罪・・・・。


父は上機嫌。



結局父は2時間以上、下手したら3時間ほどウロウロとしていたようだ。
道のりにして4km程うろついたはずだ。




どっと疲れたが、今日は診察がある・・・・。
一旦家に帰り、すぐに出発。




診察予約は11時30分。
10時20分頃に病院の近くに着いたので、朝食をとろうとウロウロしていた。


しかし、父の様子が変だ。
後部座席でうずくまり、苦しそう。


今にも吐きそうなので近くのマクドナルドに急遽お邪魔することに。
入る前からうずくまる父。


びっくりして出てくるマクドナルドの店員さん。
とりあえず、お水をいただき、トイレを借りることに。



30分程吐いていた。
どうやら二日酔いらしい・・・・・・・・。



そーいえば、昨日は結婚式。その後に同窓会。
一応、あまり飲むなとは言っていたが、他のメンバーには通用しなかったようだ。



とにかく、ドタバタした診察前だった。

<診察へ続く>


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