アルツハイマーとの戦い

2009年02月09日 66歳で父はアルツハイマー病と診断されました。
息子の介護日記です。

私を認識しなくなった父

2016年01月10日 19時39分27秒 | 新しい症状
気付いたら2016年も明けておりました。
さすがに時期遅れ感が半端ないので、挨拶も適当に。

しかし、久しぶりです。

正直、最近は父の施設に行く気が起きなかった。
いろんな仕事が溜まっておりましてほぼ半年、妻に任せっきりでした。

年末に父の年賀状に貼り付けるための写真を撮りに行き、
昨日、新しい肌着を届けに参りました。


しかし、どうも父の様子がおかしい。
遊びに集中しているのは仕方ないにしても、あまりにも反応が悪い。

いかにも、「あー、親戚の人が来てくれた」って感じ。
試しに聞いてみても分からないとの事。

うーむ、ここまで来たか。

妻のことは一年ほど前から分からなかったが、
さすがに私の事は認識(名前も答えられた)していた。


まあ、仕方ないだろうな。


父、薬追加

2014年03月01日 22時07分34秒 | 新しい症状
ご無沙汰しております。

あの後、何度か父の所を訪れております(当然か)

床屋に連れて行くついでにショッピングに連れて行き、
新しい服と靴とを買い、たこ焼きを食べさせたり(手で食っていた)。

そういう日は調子もよく、夜も迷惑をかけていないみたい。


ただ、それも長くは続かない。
夜になるとウロウロしたり、帰宅願望を強めたり。

一度、施設を抜け出して1km程家に向かっていた事もあったようです。
結構前の話ですが、施設の人からは教えてくれませんでした。
記録を精読して判明しました。

まあ、僕のように「父の失態」を克明に知りたいって人は少ないんだと思います。
大体の家族は「預かってくれさえすればいい」って事なのだと思います。
そんな報告は聞きたくないって家族も多いのだとは思いますが。

とにかく、そういう状態が改善されること無く、便汚染(入所してから二度)や
尿汚染(昨日は一日二回・・・これは初めてのことらしいです)もあったので、
僕もようやく(遅すぎる?)重い腰をあげて・・・


薬を追加


する事を決意。アルツハイマーにはアリセプトしかないので、追加はつまり・・・
精神科の薬という事になります。

精神科の薬って便利なのですが、それに頼りきってしまうとアルツハイマーの症状が
悪化したからそうなったのか、薬(特に複数種類を同時使用した場合)の副作用なのか
分からなくなるから・・・・というか抜け出せなくなってしまうので、避けておりました。


ただ、家族の我がままを通して施設の方に迷惑をかけっぱなしなのもどうかと思うので、
今回、主治医と相談し、1錠だけ追加することにしました。



今回追加したのは、「クロチアゼパム錠5mg」というもの。
「トーワ」と書いてあります。東和薬品のジェネリック製品みたいです。

とりあえず、一日一錠夕方に処方するようです。
これを一週間分頂きました。


まず、本日飲んでみて明日の朝にどうだったか様子を教えてもらいます。

そして、一週間服用し薬を増やすか、変えるか、さらに様子を見るか決めようかと思います。


アリセプト服用開始から既に5年。
効果が出る限界といわれているのが5年。


これからはいろんな意味で、変化して行きそうな気がします。

初めての便汚染

2014年01月04日 21時21分08秒 | 新しい症状
新年早々、あまり良い話題でなく申し訳ございません。

去年の暮、正確には12月29日の朝8時少し前。
父はベッドと床に便汚染を致しました。

おそらく下痢だったのでしょう。
(そうでないとそこまで広がらないかと)

父は、途方にくれていたようです。
何が起きたかわからない、という感じではなく「あー、やっちゃたな」って顔だったようです。
申し訳ない、申し訳ない、という顔。

今までは尿汚染だけでした。

今回初めての便汚染。


一度の失敗でオムツにするわけにはいきませんが、これからは注意して見てみようと思います。

第二段階

2012年12月01日 18時20分12秒 | 新しい症状
長い間、更新できずに申し訳ございません。

本来なら、日々の変化を克明に記し、後続の方(誰も好き好んで後には続きたくないとは思いますが)の参考にでもなればと思っておりましたが、いざ、自分が介護する立場を続けるとなると毎日の更新は厳しいものがあります。


まず、僕は介護の第一線から退きました。
仕事を優先したのです。


おかげで、日中は妻が一人で父の面倒をみる事に。
疲れて帰ってきた僕としても、なるべく父のことは忘れたい。

日々、進行していく父についていけない妻。


会社に行っていても、親戚から電話がかかり父の捜索をしなくてはいけない。
ちょうど妻も父を探していたようで、こちらからの連絡(親戚の方が、3km程はなれた所にいた父を報告してくれた)が功を奏したようだ。



家に帰っても、毎日毎日、面倒ばかり。

スリッパの履き替えも全く出来ない。スリッパを脱ぐことがまず出来ない。
出来たと思ったら、片方だけ再びはいて(次に履く予定のスリッパじゃなくて前履いていた奴)、戻ってきたり。
大体、スリッパの履き替えを指示しているだけで5分ほどかかる。
(こっちで脱いで、次これ履いて・・・では絶対にすまないから)


病院へ行っても同じ。トイレのスリッパを堂々と履いて、廊下を闊歩。
僕がいたら一緒に入ることが出来るが、妻は廊下で待つしかないので面倒極まりない。
家でのスリッパなんて辞めてしまおうかとも思った。しかし、トイレのスリッパを家中で履いている父を想像して辞めた。
(どうせ間違うのだから、トイレのスリッパでうろうろされる確率が低い方を選びたい)


パジャマを渡して「着替えて」といって服を苦労して脱がせても、
次の瞬間には同じ服を着て「ほら、おらだって服くらい着れる」と自慢げにたっている父。
病気とはいえ、腹が立つ。


「部屋でテレビ見ていてくれる?」
「もう夜なので部屋でゆっくり休んでください」


この言葉が全く通じない日々。
テレビをつけっぱなしにして、階段を下りて外へ行く。
びっくりして探して、部屋に戻らせて・・・布団に入れて眠らせる。
妻は根気強く30分程かけて安心させて・・・眠らせた。
眠ったかなと安心して寝室に戻るも、5分もたたずに階段を下りる父。
また追いかける。

「いや、お前(clausewitz)が下に行けというから」

は?そんなこと一言も言っていない!
とりあえず部屋に戻して。。。妻がまた説明をする。30分かけて。
眠るのを待つ。
寝たかと思って寝室へ戻るが、今度は即座に下へ。

「ちゃんと下へ行こうとしているのに!!」と怒鳴られる。

何なんだ、一体。


その上、「おらなんか、何のために生まれてきたのか分からない。早く死なんなん」と愚痴る始末。
じゃあなに?俺は介護するためだけに生まれてきたのかよ。
24時間の介護は本当に疲れるんですが。
寝ているときですら、階段を下りる音がするとどっちかが見に行く。
しかも父、怒られると思っているのか、必ず抜き足差し足である。
小さな音を見逃さないように、眠りも浅い。


僕も妻も、些細なことで喧嘩するように。
父の言葉ではないが、ほんと、何のために存在しているのか分からない。
おそらく、後、15年は同じ状態(いや、どんどん悪化していくはず)だ。
(15年といえば・・・50歳を超えるな。その時まで生きているのかすら不明だが)



さすがに限界が来た。
リハビリも全く効果が無かったので、全てキャンセル。新薬の治験もキャンセル(むしろ悪化した?)
当初週に2回程、デイサービスを利用してもらおうかと思ったが、

妻の「は?あんたは状況分かってる? そりゃ、あんたは夜だけだから楽だろうけど・・・」の一言に沈黙。


即座にケアマネに連絡し、「平日は毎日デイサービスをお願いします」と。


そして、現在。平日の妻(日中の間だけだが)は、随分と落ち着いてきた。

父、救急車で運ばれる

2012年10月15日 23時28分19秒 | 新しい症状
疲れているので、端的に。

本日夜、父は救急車で運ばれました。

朝、ご飯を食べた後、徘徊。徘徊らしい徘徊もこれが初めてかも。
散々探し回った後、僕は村の仕事へ。

そして妻から連絡。20時半過ぎても来なかったら警察に連絡するとの事。
結局20時20分に父は自力で帰宅。しかも、裸足で。
妻はすぐにシャワーを浴びさせた。

20時30分過ぎ、妻から悲痛な電話。すぐに帰れと。
指をざっくり切って(指は繋がっている)、大量の血が出ているとの事。
帰ってきた時は気付かなかったらしい。

僕の所へ電話して来る前に、救急車を呼んだらしい。

帰ってきてから様子を見てみると、父は元気そう。
しかし、妻は随分うろたえている。


どうやら、父は痛みが感じない。だから元気。
妻はその痛みを感じない事にうろたえている。神経か?


結局、救急車が到着。その後病院へ。
内科長しかいなくて、整形外科の先生に電話し自宅(金沢)から来てもらう。


ざっくりいっていた傷は、神経や筋肉の手前(脂肪)で止まっていた様だ。
ただ、深さは深いので縫合をした。ただそれだけ。


いろんな人に迷惑をかけてしまった。

父は今、独り言をいいながらベッドで休んでいる。


「ご飯が美味しかった」といいながら。


朝にパンを食べた後はずっと徘徊し、さっき(23時20分)ようやくご飯にありつけたのだから、
そりゃ、美味しかっただろう。

入浴  見守りから完全介助へ

2012年08月16日 20時22分02秒 | 新しい症状
実は少し前からやばいなって思っていたのですが、見て見ぬフリをしておりました。

でも、やっぱり完全介助が必要になりました。

なんというか、入浴を介助するってのは身体的に具合が悪い人にたいして
やるイメージがあるのですが、アルツハイマー(体が元気な状態)でも
やらなくてはいけないんですね。


足が動かなかったりしたら諦めも付くのですが、どこも具合が悪いわけでもないのに、
いちいち入浴に付きまとわれるのは父も嫌でしょうが仕方が無い。

身体も洗えていないし、臭いので仕方ありません。
外から見ていて「シャンプー使って。右の奴」って指示しても分からない。
右とか左とか、もう分からないんです。


もちろん、着替えも今までどおり指示が必要。
こりゃ、完全介護ですね。


そして、普通の人なら、「そんなんデイサービスに任せたら?」というと思うのですが、
うちの父には通用しない。

何しろ、さっぱりしたら「こりゃ爽快じゃ」って感じで、外に向う。
そしてドロだらけ。汗だらけ。行くなと言っても、直後に行っている。
腹が立って「どうにでもなれ」って思うが、いざ臭さ満点で帰ってくると、
シャワーさせたくなる。という感じで1日何度も介助が必要になっている。

つまり、デイサービスですっきりしたら、余計に汚して帰ってくるのだ。
ほとんど意味が無い。どっちみち、やらなくてはいけないのだ。


夏場は本当に嫌だ。
すぐに汗はかくし、(父にとって)やらなくてはいけないことは多いし、すぐに出たがる。
家の中にいる=遊んでいる、という風に思う昔人間なので出たがるのだろう。
別に寝ていて治るわけではないので仕方ないといえば仕方ないか。



時々、何のために生きているのか分からなくなる。

介護ってそういうものです。

血圧測定

2012年08月06日 19時00分25秒 | 新しい症状
今日、ふと思い出した。

「そういえば、最近、お父さんは血圧測定をしていない」

そこで考えたのは

「ん? 用紙が切れたのか!?」


しかも、肝心の測定器自体もない!
どこを探しても無い。


・・・・・?


妻に恐る恐る聞いてみた。すると


「はぁ? もう随分前に私が仕舞ったよ」


どうやら、三ヶ月ほど前から父は血圧測定が出来なくなったらしい。
機械の使い方が分からなくなった。

電源が入っていないのに、スタートボタンを連打。
電源を入れておいても、勝手に抜いてしまうし。そしてそのまま連打。
こういう状態が長く続いたので、片付けたとの事。
そういえば、チラッと聞いた気がした。
しかしながら、「その時だけの措置」かと思って気にもとめてなかった。



ちなみに、無くなった日以降、父が「血圧測定器、どこにいった?」という類の言葉を全く話していない。

毎日測定していたことすら、完全に忘れているのであろう。


迷惑な父

2012年08月02日 23時35分11秒 | 新しい症状
暑いですね、ほんと。

今日は本当に困った・・・・腹が立ったので報告。

ちょっとした外出から帰ってきた時のこと。

妻がギャーと叫んでる。

見ると、冷蔵庫が大変なことに。

最初に目が入ってくるのは、冷蔵庫が全開な事。
んで、よく見てみると、大きな発泡スチロールが入ってる。

どうやら叔父が送ってきてくれたムール貝とあさり(要冷蔵)を入れたらしい。
ま、本当ならば、発泡スチロールから商品を取り出して冷蔵庫に入れてくれたらよかった。

しかしながら、「冷蔵庫に入れなければならない!」って思いだけが先行したのだろう。
大きな箱ごと入れようとしたのだが、入らない。
んで、そのままにしてくれれば良かったのだが、無理矢理入れてみた。
扉は閉まらず、さらに棚は滅茶苦茶。35度を超える今日、冷蔵庫全開である。


しかも!!!


何故か知らないが、冷蔵庫の電源まで切られてる!!!


意味が分からない!!



おかげで、冷凍庫の冷凍物などは全てとけ、冷蔵庫内もムワッとしてる。
腐ってるか?

もう、疲れる。


父を呼んで聞いてみるも、「そんなのしらん。台所に入ってない!!」という。
誰かが勝手にやった!」とか言うし。

そのくせ、叔父からの荷物・・というと、「ちゃんと入れた」とか言うし。
どんだけ矛盾してんだよ。

冷蔵庫の電源も、誰かが勝手に入ってきてやった、と言い切るし。



本当に腹が立つ!


全く・・・・いつもは時間指定などして宅配してもらうのだが、お中元など
送る相手が好きなタイミングで送るものの場合は、本当に気をつけなくてはいけない。

少し進行したかな?

2012年07月05日 10時25分03秒 | 新しい症状
昨日、大学病院へ検査のため行って参りました。

内容は脳のMRIと、脳髄液検査(合計1万円ちょっと)
結果はともかく父の様子を少し。


MRIの時は想定内でした。
いつも通り、着替えに手こずり時計が無いと何度も聞く程度。

しかし、脳髄液検査の後はちょっと・・・。
あの検査、昼食抜き(それでも10時20分にはパンを食べた。もちろん朝食も)で臨んだのですが、
検査後に2時間安静にしなくてはいけないのです。

しかし、何もせずにずっと寝ているっていうのが苦痛らしく、すぐに起き上がる始末。
その度に何度も看護士さんに注意され、ベッドに戻され、イライラも頂点に。
最後に医師と話す時には、「人間扱いされなかった」と仏頂面に。

実は僕ら家族は外に出ておりました。さすがに検査30分、安静2時間もじっと見ているのは暇だったので。
担当の人に外に出ていいかと聞いたら「そうですね、その方がいいですね」と言われたから出たのですが・・・。

後から医師と看護師から「次回は必ず付き添ってください」と言われてしまいました。


帰りの車の中でも「今日は運動とかしないで、ベッドでじっと寝ていた方がいいみたいだよ」と言うも、
「そうやな、散歩くらい(1時間コース)行かなくてはいけないな」と父。


そして今朝。
薬をあげようかと7時頃寝室へ行くも留守。
帰ってきたのは10時過ぎ。服装は上がパジャマ、下がステテコ。

僕を見つけたらバツが悪そうに、「あぁ、勝手に帰ってきて悪かったかいや?」と質問。

意味が分からず「ん?」という顔をしていると、「病院から抜け出してきた」と父。


散歩じゃないの?と質問しても「散歩に行っていたわけではない。帰ってきた」との答え。
家から大学病院まで30km近くある。気付いたのか「あれ?どうやって帰ってきたんや?こんな格好やし」と不思議そう。

検査に行ったのは昨日で、今朝まで寝ていたよ。おきてから散歩に行ったんじゃないかな?と聞いても腑に落ちない顔。


どうしようもない、なんか分からなくなってきた。と混乱し寝室に戻って寝始めた。


細かい事だけど、ちょっと混乱が長い感じがします。