植物の生き方

2018年05月25日 | Weblog


ほぼ一年間、毎日とは言えないまでもそれなりに忙しい日々を送ってきました。
しかし、此処に来て生活の改善をしようとして自分なりの努力をした結果、ややゆとりを持つ毎日を先月の末あたりから送ることが出来るようになりました。

一つ役を引き受けると、次からつぎへと連鎖反応を起こすもので、忙しさが増えます。
あの日とは役を引き受けたから、今度もまた頼もうか。と言うことになるのは世の常です。

  

漱石曰く、「山路 ( やまみち ) を登りながら、こう考えた。 智 ( ち ) に働けば 角 ( かど ) が立つ。 情 ( じょう ) に 棹 ( さお ) させば流される。」
さらに、「意地を 通 ( とお ) せば 窮屈 ( きゅうくつ ) だ。とかくに人の世は住みにくい。」
と言うことになりかねないので、角が立ったり、流されたりしないためには、自ら身辺の整理をしなければなりませんからね。

それはともかく、今日も晴です。雲はやや多めです。白い雲なので高い所にあるのだと思います。

  

田植えはほぼ終わったようです。水に映った空を映そうと思ったのですが、稲の苗を撮ったような写真になってしまいました。
難しいですね。もっとも、雲がもっとはっきりした形をしていれば、見る人の目はそちらにも行くのだろうと思いますが。

  

田んぼは元々畑または山林を切り開いたものなので、耕作時期、特に田植え後は常に水を井戸から汲み上げて供給しなければなりません。
米が熟する時期には水はほとんど要らないのだそうです。それなので、ドジョウなどは決して生息することはできません。昔は無かった形式の田んぼです。

   

我が家の道路際にある電柱の元に咲いたポピー。
たぶん、ポピーはポピーでもこの種類のものかと思いますが、このように道路際の花が作った種は路上にこぼれ、それがトラックなどの車のタイヤにくっつ付いて運ばれ、全国的に広がったのだとか。そういう話を聞いたことがあります。

生き物のしぶとい生き方と子孫の残し方です。そして 『置かれたところで咲きなさい』 と言う本を書いた人がありますが、まさにその通りですね。それを見ならいなさいということでしょうね。言われなくても、自然に祖先はそれをやってきたはず。そのおかげで我々の今があるわけです。

  

この花が好きです。ヒルザキツキミソウと言うのだそうです。これも道路際に咲いていることがあります。
たくさん咲いていると、ますますきれいに見えます。

  

茨城県はこの植物の南限の地なのだそうです。これは高倉健の歌で有名なハマナスです。
この花も好きです。バラの花かな?とも一瞬見違えそうな感じです。
茎の所にはやや硬い無数の短い毛のようなものに覆われています。硬いので、トゲとも思われるくらいです。
実際、つかむと痛さを感じます。腕の柔らかい部分ですと触れたらかなり痛さを感じます。

地下の根が広がっていくので、それを防ぐために、直径が1mくらいの漬け物樽のような植木鉢を埋めて、その中に植えています。
水分が少なくなり枯れるようなことは今までにありませんでした。


    世の中をみつめるゆとりは欲しいもの
            それにつけても騒ぎの多さよ

    世の中はいつものほうが良いことと
            変わらなければならぬことあり


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